2025 年 75 巻 4 号 p. 447-465
本稿の目的は,戦前の日本において栄養学が,一般家庭における食事作りに受容されていくプロセスを明らかにすることである.
先行研究では,栄養学は近代国家体制の形成過程で権力と強固に結びつき,普及してきたことが指摘されてきた.しかしながら,どのような歴史的文脈で一般家庭に栄養学が導入されるようになったのかは明らかにされていない.本稿は,家庭料理の向上・発展をめざす上中流階層の女性たちが,いかにして栄養学を受容したのか,そのプロセスを明らかにした.
結果は以下の通りである.大正期,女性たちは滋養に富む料理として西洋料理を称揚し,栄養学者佐伯矩が提唱した「栄養献立」に対しては,自分たちのめざす「料理文化」とは相反するものだとして反発した.だが,彼女たちは関東大震災をきっかけに病と関連づけられた栄養学の知見に関心を寄せるようになり,それにもとづく栄養料理に着手するようになった.栄養料理は当初,男性中心の「料理文化」からの介入によって病人料理の枠をでなかったが,そこで開発された食事者への「配慮」を優先する調理技術が次第に評価されるようになり,昭和初期には男性たちにも次第に受容された.
また,そうした調理実践は家庭料理に定着し,食事者の「栄養」や嗜好を「配慮」する「家庭料理文化」が形成された.
本研究が示したのは,栄養学をめぐる科学知が人びとの食のなかに取り込まれていく具体的なプロセスである.