本稿は、『資本論』マルクスの「三位一体範式」論につき、文献学的考証を踏まえつつ、その未完の論理の再構成を企図する。
一では、今日リュベールの考証によって復元可能となったマルクスの配列指示を、何故にエンゲルスは無視したかの謎が究明される。その過程で、「諸断片」と「書下し部分」との間に、マルクス自身における重大な視座転換が介在していたことが開示される。それは、資本制社会における日常的生活信条たる「三位一体範式」の不条理性の単なる曝露に自足する水準から、その神秘性・倒錯的自明性の存立機制の展開=叙述を意図する水準への、飛躍であった。
二では、リュベール編集が指示するテーマの流れとエンゲルス編集が示唆する視座転換の介在とを導きの糸としつつ、「三位一体範式」論の再構成がなされる。すなわち、 (1) 「資本-利子、土地-地代、労働-労賃」という経済学的三位一体の不条理性の曝露。 (2) <物象化Versachlichung>の機制を核とした、資本制社会における富の領有と分配の実在的連関の展開=叙述。 (3) 俗流経済学による教義化の試みとその挫折。 (4) <物化Verdinglichung>の機制をとおしての神秘化の完成。
かくて、資本制社会は、<物象化>と<物化>の重層的構成において、その倒錯的自明性を確立するのである。