1989 年 39 巻 4 号 p. 421-436,477
ベルナール・ラクロワは『デュルケームと政治』において次のように述べた。「社会学的伝統の第一の誤りは、今日存在する学科への知の分割から出発して過去を再構成していること、つまりどうなったかを知りつつどうなるだろうかを述べるということ…にある。」 (三〇頁)
この言葉を反省の契機として、今一度初期デュルケームの諸論文を読み返すことが本論を生むきっかけとなった。リセの教師時代に卒業式で行った一八八三年の演説から『分業論』の直前まで約二〇の論文等には、同時代に生きたデュルケームの足跡が鮮明に浮かんでくる。この中で重要なできごとは、一八八六年を中心としたドイツ留学と一八八七年のボルドー大学就任であるが、我々の関心は前者にある。デュルケームがドイツで何を見、何を学んだか。ドイッ社会思想からデュルケームへの影響に関しては夙にドゥプルワージュの批判があり、これを交えて検討を行う。我々が焦点をあてるのは、道徳の実証科学の確立をめざすデュルケームが、他方で社会にとっての道徳の重要性を強調したことであり、しかもこのような姿勢はデュルケームに特有の論点ではなくて、同時代の知識人や政治家に共通してみられる点である。それゆえ、この時期に彼が重視した社会の統一性、連帯とは、何よりもフランスという具体的な社会について述べられていたと考えられる。