社会学評論
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戦間期の東京における新中間層と「女中」
もう一つの郊外化
牛島 千尋
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2001 年 52 巻 2 号 p. 266-282

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抄録

「女中不足」は性別分業によって特徴づけられる「近代家族」誕生の背景の一つと見なされる.女中不足は, 戦間期の東京における新中間層の増加とどのように関連していたのであろうか.女中の雇用は新中間層の郊外化とどのように結びつき, そして, 東京郊外にどのような意味をもたらしたのであろうか.本稿は, これらのテーマを国勢調査と女中に関する調査データによって検討することを目的とする.第二次世界大戦以前, 女工とならんで女中は多くの若い女性が従事した典型的な仕事であった.女中不足は, 「女中奉公」の目的が行儀見習いから収入の獲得に変わった明治末からすでにあった.地域的に分断されていた労働市場が戦間期に統一されると, 東京は地方から大量の労働力を吸収した.女中は, 農村からの出稼ぎ労働者によるこの流れの一端を担った.戦間期には女中の実数は増加したが, それを上回る新中間層の増加は, 求人側と求職側の間の思惑の不一致を引き起こし, 女中不足をいっそう深刻化させた.新中間層の多くは一人の女中しか雇うことができなかったので, 妻も家事に従事しなければならなかった.結果として, 世帯内の夫と妻の間に明確な性別分業を引き起こした.このようにして, 戦間期に新中間層が増加した東京の西・西南部の郊外は, 産業化の過渡期に生まれた「女中」と近代家族の誕生とともに生まれた「主婦」からなる「二重構造」を呈する都市空間になった.

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