社会学評論
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52 巻 , 2 号
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  • 袰岩 晶
    2001 年 52 巻 2 号 p. 180-195
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本稿は, M.ホルクハイマーの批判理論における理論概念を明らかにすることによって, 社会理論の「存在被拘束性」と「再帰性」によって生じる問題に答える試みである.理論の存在被拘束性とは, 社会理論が理論主体の社会的立場に制約されていることを意味し, 逆に, 再帰性は, 理論がその理論対象である社会に影響を与えていることを意味している.社会理論がみずからの存在被拘束性と再帰性とを認めた場合, 理論はみずからの絶対性, すなわち普遍妥当性を主張できなくなる.ホルクハイマーは, 絶対性を求める理論を「伝統的理論」と呼んで批判する.一方, かれの主張する批判理論においては存在被拘束性と再帰性の概念を受け入れることで, 理論の作業そのものが一般的な社会的活動の一部分, つまり「理論的実践」であると捉えられ, その理論的実践の社会的機能によって社会理論の意味が判断される.ホルクハイマーにしたがうならば, 伝統的理論は, 個人と社会を物象化し, 支配を維持する機能を有しており, それに対して, 批判理論は, 解放をめざす実践として機能する.存在被拘束性と再帰性の概念を受け入れた社会理論の可能性がホルクハイマーによって示されるのである.
  • 小原 一馬
    2001 年 52 巻 2 号 p. 196-213
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は, ブルデューとヴェブレンの2人の, 気高さに関する理論を, シグナル理論を通し相互に比較することによって, それぞれの理論の特徴を明らかにすることである.その結果, ヴェブレンの理論は, グラーフェンのシグナル (=ハンディキャップ) モデルとその前提・結論を共有することがわかった.一方ブルデューの理論の基本骨格と考えられる戦略/資本概念は上記のシグナルモデルと前提をほぼ共有するものの結論だけが異なり, 理論に矛盾が存在していることが発見された.この矛盾はブルデューの理論のもつ, 上記の基本骨格とは相容れない別要素に着目した解釈によって解消可能である.その別要素とは1 : 複数の異なる欲求の導入 2 : 経済条件による行動の直接決定論の導入, である.このうち1の選択は, 価値の純粋な社会構造による決定という考えを放棄し, ヴェブレンと同性格の理論をとることを意味しており, 2の選択は戦略概念の放棄を意味する.また, この分析の過程で, ブルデューの気高さに関する理論が広い意味での経済還元論であること, ヴェブレンの競争心の概念には, 直接の意図が必ずしも含意されないこと, も同時に確認される.後者は, ブルデュー, エルスターによるヴェブレン批判に対する反批判となっている.
  • 串田 秀也
    2001 年 52 巻 2 号 p. 214-232
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    私たちが自分の経験を言葉にして誰かに話すとき, それは何らかの意味で経験を「分かちあおう」としているのだといえようが, この営みはある困難をかかえている.経験は話し手と同じような形で聞き手によって「所有」されることはできないからである.では, 経験を話すことでその「分かちあい」が達成されうるとすれば, それはいかなる意味での「分かちあい」であり, いかなるやりとりにおいて実現されるのだろうか.とくに, 相互行為をする者たちが共通の成員性を有するとき, 経験の「分かちあい」はより促進されると予想できるが, それは具体的にどのような形でなしとげられるのだろうか.
    本稿は, これらの問いに基づいて, 会話の中で自分の経験を報告しあうというやりとりを会話分析の視点から分析し, 以下のことを示していく.1) ひとりが報告した経験と共通の経験をもうひとりが報告することは, 前者の経験を理解したことを立証する手続きを構成する.2) 経験を報告しあうことは, 報告された経験の異同にかかわりなく, それ自体として共通の成員性を可視化する手続きを構成する.3) 経験を報告しあうというやりとりは, 話題を形成する発話連鎖のある独特の利用によって生み出される.4) この発話連鎖がもっとも強い形で利用されるとき, 報告された経験をもとに共通の成員性を更新する機会が作り出される.
  • 川田 耕
    2001 年 52 巻 2 号 p. 233-249
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    集権化された強力な国家の出現は個々の人間が自己抑制的になることに連動していくとエリアスは主張しているが, 日本の17世紀後半の浄瑠璃などの民衆的な諸物語にみられるプロットの内在的な発展の中にもこの連動を読みとることができる.
    中世以来の伝統的な物語にたいして, 17世紀半ばに人気のでた金平浄瑠璃が描いたものは「国家」であった.そこでは, 国家の力を一身に体現する想像的・人格的な形象=〈父〉が描かれ, 主人公たちがこの〈父〉に情動的に同一化して非国家的な勢力にたいして攻撃的態勢を取ることで, 国家と自己との肯定的な関係が想像された.
    しかし17世紀半ばをすぎるとこうした空想的な物語は廃れ始め, 近松の浄瑠璃をはじめ新種の物語が生まれはじめる.卓越した力をもつ〈父〉そのものへの同一化と外部への攻撃性の発散ではなく, 力を失った〈父〉の教える道徳を自己犠牲を厭わずいかに見事に実践するのか, ということがその主題となった.国家の力としての〈父〉は道徳としての〈父〉に変化して, 個々の主体の内面へ取り込まれていったのである.この時, 外部に向けられえなくなった攻撃性は個々の主体の内部へと方向をかえ, 自殺などの自己懲罰的な行為が主題化されるほどに, 自己抑制的な人間像が繰り返し描かれる.
    このような物語の中の主体のありようの変遷から, 集権的な国家の出現にともなう自己抑制的主体の日本社会での誕生を窺い知ることができよう.
  • 冨江 直子
    2001 年 52 巻 2 号 p. 250-265
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本稿は, メゾレベルの意思決定に関与するアクターが, 抽象的な政策理念を具体的な政策へと変換していく過程を明らかにするために, 同じ政策理念を共有しているように見える2つの政策の形成過程を分析する.1つは第二次世界大戦中に戦時厚生事業の一環として打ち出された児童政策, もう1つは戦後改革期に制定された児童福祉法である.本稿は, この2つの政策の関係-戦前・戦後の「児童福祉」の連続・不連続問題-を解明する.メゾレベルの意思決定に関与するアクターは, マクロな社会経済的・政治的要因の影響のもとで, 政策を実現するための政治的エネルギーを動員するために, 政策理念を「翻案」し, 政策の内容を変化させていく.政策理念の「翻案」とは, 同じ言葉で表現される政策理念を異なる文脈のなかで繰り返し用いることによって, 言語的資源としての政策理念を共有しながら異なる内容を持つ複数の政策を作っていくことである.「翻案」というアクターの行為をとらえることで, 政治過程を, そこに関与するアクターの動機に内在的な視点から理解することが可能になる.分析の結果, 2つの「児童福祉」の政策理念は, 社会事業の草創期である大正デモクラシー期に芽生えた児童保護政策の理念が, それぞれの時代背景に適合するように, 異なる状況のなかで, 異なる意思決定機構のもとで, 異なる動機から「翻案」されたものであったという結論を得た.
  • 牛島 千尋
    2001 年 52 巻 2 号 p. 266-282
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    「女中不足」は性別分業によって特徴づけられる「近代家族」誕生の背景の一つと見なされる.女中不足は, 戦間期の東京における新中間層の増加とどのように関連していたのであろうか.女中の雇用は新中間層の郊外化とどのように結びつき, そして, 東京郊外にどのような意味をもたらしたのであろうか.本稿は, これらのテーマを国勢調査と女中に関する調査データによって検討することを目的とする.第二次世界大戦以前, 女工とならんで女中は多くの若い女性が従事した典型的な仕事であった.女中不足は, 「女中奉公」の目的が行儀見習いから収入の獲得に変わった明治末からすでにあった.地域的に分断されていた労働市場が戦間期に統一されると, 東京は地方から大量の労働力を吸収した.女中は, 農村からの出稼ぎ労働者によるこの流れの一端を担った.戦間期には女中の実数は増加したが, それを上回る新中間層の増加は, 求人側と求職側の間の思惑の不一致を引き起こし, 女中不足をいっそう深刻化させた.新中間層の多くは一人の女中しか雇うことができなかったので, 妻も家事に従事しなければならなかった.結果として, 世帯内の夫と妻の間に明確な性別分業を引き起こした.このようにして, 戦間期に新中間層が増加した東京の西・西南部の郊外は, 産業化の過渡期に生まれた「女中」と近代家族の誕生とともに生まれた「主婦」からなる「二重構造」を呈する都市空間になった.
  • 浜田 宏
    2001 年 52 巻 2 号 p. 283-299
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    全国的な統計調査によれば, 収入の満足感や経済的地位の満足感は, 必ずしも客観的な状態を忠実に反映しているわけではないことが知られている.客観的な所得分布は対数正規分布によって近似でき, その歪度が常に正であることが過去の統計データから分かっているが, 人々の収入に対する満足度は, その客観的分布に比すれば相対的に高い.本稿では, 客観的な状況としては低所得層に大部分の人が集中しているにもかかわらず, なぜ収入や経済的地位に満足を感じている人が相対的に多いのかという問題の解明を試みる.そのために, 「準拠集団」や「相対的剥奪/充足」といった社会学に馴染みの概念を取り入れた数理モデルを定式化する.
    モデルは各階層下の個人が経済的地位の近隣から準拠集団を選択し, 準拠集団の所得期待値と自身の収入を比較して満足/不満足を決定することを仮定する.モデルを分析した結果, 主なインプリケーションとして次が得られた. (1) 準拠集団を所得階層上のより広い範囲から選択した場合には, 可能な満足度は上昇する. (2) 低所得者層では視野が広い者ほど, 相対的剥奪を感じる. (3) 高所得者層では視野が広い者ほど, 相対的充足を感じる. (4) 最も裕福な者の満足感は, 必ずしも最も高いわけではない. (5) 所得分布の対数平均が上昇すると, 全体として満足感は下がる.
  • 山田 信行
    2001 年 52 巻 2 号 p. 300-315
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本稿は, 現代社会における重要な趨勢的傾向の一つであるグローバリゼーション (globalization) を「国民社会」における社会関係の「特殊性」あるいは「固有性」の解体傾向と, その帰結としての社会関係における世界的な「普遍性」あるいは「一般性」の発現傾向として把握し, (広義の) 労使関係を対象としてこの妥当性を検討する.まず, グローバリゼーションの意味と評価に関する議論を検討する作業を通じて, 日本においてもこの過程が進展していることを確認する.次いで, 世界システム論を一つの典拠として, とりわけ日本におけるグローバリゼーションの理論的解釈を試み, (広義の) 労使関係におけるフレクシビリティ (flexibility) の追求としてとらえられる「普遍性」の発現状況を把握する.最後に, こうした「普遍性」の発現が各「国民社会」における労使関係をその「固有性」を媒介としながらも変容させる傾向をもち, 一つの解釈としては労使関係における収斂が進展していることを確認する.
  • 坂本 真司
    2001 年 52 巻 2 号 p. 316-332
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2010/01/29
    ジャーナル フリー
    本稿は, 開発NGOのエンパワーメント戦略のもとで運動を実践しようとする「自律性」が, 民衆に生成する契機を考察する.開発NGOは現在, 貧困克服のための自助的な運動の機会を民衆に提供して, 「民衆エンパワーメント」を進めている.これに関連してデビッド・コーテンは, エリートが彼らの財を奪っている事実やその仕組みを民衆に教えることもNGOの任務とする.そうすることで, 貧困の根本原因がエリートへの依存であると民衆に知らしめ, 彼らの自律的な運動受容を導くことができるからである.だが, エリートの収奪に関する情報から, 本当に民衆の自律性は生まれるのか.あるバングラデシュNGOの村人組織では, 情報を提供した当のNGOがエリートに代わる新たな保護者とみなされ, 運動が拒否されることもあった.ゆえに, 情報提供が組織メンバーの自律性を導いているとは必ずしもいえない.では, 現在多くのメンバーがもつ自律性は, どのような契機から生起すると理解されるか.筆者がジェームス・スコットを援用して事例の分析と検討を進めた結果, NGOスタッフとエリートをジョークで皮肉りあう中で, メンバーはNGOを保護者と認識しなくなり, 自らを貧困の解決者と自覚することを発見した.エリートの行動を, それに関する「知識」を頼りにNGOとジョークで「表現」することから, 民衆は運動を志向する自律性を獲得するのである.
  • 渡辺 雅子
    2001 年 52 巻 2 号 p. 333-347
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本研究は, 日本と米国の小学生の説明のスタイルが具体的にどう異なるかを4コマの絵を使った実験により明らかにする.説明のスタイルを調査する方法として, 一連のできごとを説明するのに, どのような順番でものごとを叙述するかに注目した.
    4コマの絵を使った実験では, 同じ絵を見てそこに表されたできごとを説明するのに, 日本の生徒は生起順にできごとを並べて時系列で説明をする傾向が強いのに対し, 米国の生徒は時系列とともに結果を先に述べた後, 時間をさかのぼって原因をさぐる因果律特有の説明の順番に従う傾向があることが明らかになった.また理由付けをする場合には, 米国の生徒は結果にもっとも影響を与えたと思われるできごとのみを述べて他を省略する傾向が見られたのに対して, 日本の生徒は説明の場合と同様に時系列でできごとを述べる傾向が見られた.さらに日本の生徒は, 一連のできごとを述べた後, 社会・道徳的な評価で締めくくるのに対し, 米国の生徒は因果律の観点から, 与えられた情報をもとに説明を補足する特徴が見られた.
    時系列と因果律という叙述の順序の違いは, 個々のできごとの軽重の判断や一連のできごと全体の意味付けに重大な影響を及ぼしている.説明のスタイルの違いが理解や能力の問題として把握される可能性は大きく, 教育の現場においては複数の説明スタイルの違いの存在を意識することが必要である.
  • 平田 周一
    2001 年 52 巻 2 号 p. 348-354
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 石田 浩, 苅谷 剛彦, 菅山 真次
    2001 年 52 巻 2 号 p. 355-358
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 藤村 正之
    2001 年 52 巻 2 号 p. 359-360
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 那須 壽
    2001 年 52 巻 2 号 p. 360-362
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 土場 学
    2001 年 52 巻 2 号 p. 362-364
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 若林 直樹
    2001 年 52 巻 2 号 p. 364-366
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 八木 秀夫
    2001 年 52 巻 2 号 p. 366-368
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 清水 新二
    2001 年 52 巻 2 号 p. 368-370
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 金城 一雄
    2001 年 52 巻 2 号 p. 370-372
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 大野 道夫
    2001 年 52 巻 2 号 p. 372-373
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 山本 英治
    2001 年 52 巻 2 号 p. 373-375
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 田中 重好
    2001 年 52 巻 2 号 p. 375-377
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 尾嶋 史章
    2001 年 52 巻 2 号 p. 377-379
    発行日: 2001/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 2001 年 52 巻 2 号 p. 379
    発行日: 2001年
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
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