2022 年 30 巻 3 号 p. 290-293
自己効力感(self-efficacy)は,患者の行動への理解において必要な認知的な概念である.Banduraは人間の社会的行動について,外的刺激ではなく,それをどう受け止めるのかという認知が大きな役割を果たしていると考え,人間の行動を包括的に説明するための理論として社会的学習理論を提唱した.人間の行動を起こす(行動変容)には,「自分にはその行動をする力がある」という自己効力感を,成功体験,代理体験,言語的説得,生理的・感情的状態などの影響要因に働きかけて高めること,さらに「その行動をするとよい結果が生じる」という結果予期が必要になる.自己効力感の概念を用いた分析に適しているのは,「必要なのに行われない行動」である.看護師は患者の認知に目を向けて,患者が自分の行動を振り返り分析することを援助する.自己効力理論を活用して,慢性呼吸不全患者が希望する生活を継続するための療養支援について考える.
自己効力感(self-efficacy)は,心理学の中で1970年代後半~1980年代にかけて盛んに検討された.Albert Banduraは人間の社会的行動について,外的刺激ではなく,それをどう受け止めるのかという認知が大きな役割を果たしていると考えた.人間の行動を包括的に説明するための理論として社会的学習理論を提唱し,自己効力感は,そのなかで規定された人間の認知的な働きを示す概念の1つである.
この認知的な概念が,看護や医療で注目されるようになった背景には,疾病構造の変化に伴う生活習慣病の増加がある.生活習慣病は食事や運動,喫煙などの習慣といった生活に起因する疾患である.生活習慣病は患者自身が自覚して自分の生活行動を改めなければ回復に結びつかないため,患者を行動の主体と捉えた行動科学的な理論や概念が療養支援の鍵となる.
人間の行動は,「その行動をするとよい結果が生じる」という結果予期(outcome expectancies)と「自分にはその行動をする力がある」という効力予期(efficacy expectancies)によって影響され,自己の効力予期に対する認知を自己効力感と呼ぶ1).自己効力感が低く認知されているときには,人は無気力,無感動,無関心になり,あきらめが早く,失望し落胆するなどといった行動の特徴を示す.自己効力感が高い人は,人間として成就することや個人のwell-beingをいろいろな方法で強めていくと言う.
人が望ましい健康行動を実行したり,望ましい習慣に改善したりするためには,結果予期と自己効力感の両方が必要になる.そのため,行動変容を成功するためのキーポイントは結果予期と自己効力感を高めることである.自己効力感に影響を及ぼす主な4つの要因として,その行動をやってみて「できた!」という成功体験,その行動を上手にやっている他の人を見るという代理体験,色々な人から説明と励ましを受ける言語的説得,その行動をしてもどきどきしないなどの生理的・感情的状態がある2).その他の要因として,行動に対する意味付けや必要性,行動の方略,原因の帰属,ソーシャルサポート,認知能力,健康状態がある3).
自己効力感が,健康行動の有効な説明概念であることを示唆している研究も多くあり,糖尿病や慢性腎不全患者など慢性疾患患者を対象とした研究も行われている.Robert M Kaplanらは,慢性閉塞性肺疾患患者を対象に,歩行プランの遵守と自己効力感の関係を調査している4).息苦しい状態にある患者が,運動を継続することには困難を伴う.そこで自己効力感を高めるためには,目標設定やプランを行うという約束,症状改善のフィードバックをする行動的介入に加え,歩くことについての誤った信念を変化させるという認知的介入が,どちらか一方のみの介入を行うよりも有効であると報告した.
人間の行動を起こす(行動変容)には,患者が「自分にはその行動をする力がある」という自己効力感を,成功体験,代理体験,言語的説得,生理的・感情的状態などに働きかけて高めること,そして「その行動をするとよい結果が生じる」という結果予期が必要になる5).
看護の場面において,自己効力感の概念を用いた分析に適しているのは,「必要なのに行われない行動」である.初めに結果予期を確認する,また行動が起こされない原因は自己効力感が欠如している場合と自己効力感があっても結果予期がない場合がある.患者自身が自己の行動を振り返り,課題を焦点化するプロセスが重要であるため,看護師は考える主体が患者自身であることを理解し,患者の認知に目を向けて,患者が自分の行動を分析することを援助する.
1. 事例紹介Aさん,70歳代前半の男性.慢性閉塞性肺疾患(以下;COPD)ステージIII.修正Borgスケール2,妻と2人暮らし.COPDが肺炎により急性増悪を来たし,非侵襲的陽圧換気療法とステロイドパルスを施行した.徐々に病状は回復したため,今後は日常生活動作(Activities of Daily Living;以下ADL)の拡大を図り,在宅酸素療法(Home oxygen therapy;以下HOT)を導入後に退院する方針となっている.酸素投与量は安静時 3 L/分,労作時 5 L/分.
2. Aさんが語る自分の病気と状況Aさんは「九死に一生を得たけれども,こんな身体になってしまった.病気も悪くなってきていることもわかっている.先生からは酸素は外すことはできないし,今後も酸素は必要だよって言われてはいるのです」と話した.医師からは,HOTの必要性について説明されていた.しかし,AさんはHOTの習得に向けた行動を起こせていなかった.Aさんの退院に向けた具体的な心情や準備性について,この時点で看護師は確認できていない状況であった.Aさんは「入院してから今まで,ほとんど寝たきりの状態で2日前からやっと普通に食事ができるようになった.酸素を使いながらの状況で自宅での生活は難しいと思っています」,「歩いて帰ることが目標.今まで自分でやってきたことは,自分で行っていきたい」と話した.
3. 看護の方向性Aさんの希望(目標)は,「歩いて帰ること,今まで自分でやってきたことは自分で行っていきたい」であった.Aさんは,感染を契機にCOPDの急性増悪にて入院しており,生命の危機状態に際し死を覚悟したという体験をしていた.今後の回復過程について見通しのつかない状態にあり,不安を感じていることがわかった.HOTを取り入れて生活を送ることは, Aさんにとって生命予後の延長やQuality of life の維持,向上のためにとても重要になる.その生活を実現するためには,Aさんが身体の変化を理解し,その変化に適した生活様式を獲得できるよう支援することが必要である.しかしAさんの言動・状況からは,HOTを行うことやADLの回復について不安があることにより,具体的な行動を起こせていないことがわかった.今後の生活と酸素を使用することに関して,Aさんの言葉や行動から情報の整理を行い,具体的な行動レベルで考えていけるように自己効力感に焦点を当て分析とアプローチを行った.
4. 具体的な手順・自分が行動することの結果について,どのように思っているかを情報収集し,結果予期を分析する
・結果予期がある場合は,その行動の自己効力感を情報収集し,分析する
・結果予期に不足があり,行動に結びつかない場合には,行動と結果の随伴性の認知にアプローチする
・結果予期があるが,自己効力が不足していて行動に結びつかない場合には,4つの要因を用いて自己効力感を高めるアプローチを行う
1) 「自宅で酸素を使用すること」とその結果の随伴性の認知を確認する (1)情報収集看護師から“どうして酸素が必要な状態かは,ご理解いただいていますか?”“酸素を使うことによって,どのような生活になるとお考えですか?”と聴いた.Aさんは「先生から,身体のことは聴いているよ.病気が悪くなったから,うまく酸素を取り込めない.酸素の治療が必要なことはわかっている.本当は,酸素は着けたくない.酸素もどれだけ効果があるのかは自分ではわかりにくい」,「病院に通っていると酸素をつけている人を見かけるけれども,自分のことになると実際はわからない.今は病院だから何とかなっているけれども,家に持って帰るとなると大変だ」と話した.
(2)分析とアプローチAさんは自身の病気の状態に酸素療法が必要なことは理解していた.看護師は,Aさんが酸素を使用した生活を受け入れ難い気持ちにも共感しながら,パルスオキシメーターを用いて酸素使用量や動作要領のモニタリングを行い,経皮的動脈血酸素飽和度や脈拍などの身体的変化を実感してもらう援助が必要であると考え,実践した.
(3)結果Aさんはモニタリングで酸素を使用しての身体の変化がわかるようになった.「呼吸も少し楽になった気がする」と酸素療法の効果を実感していると話した.
2) HOTを行うことへ自己効力感の状態を確認する (1)情報収集看護師から“以前は,酸素を持って帰ることが大変と話されていましたが,自宅で酸素を使って生活することについて,どうお考えですか?”と聴いた.Aさんは「酸素自体(ボンベ)の扱いには慣れてきたけれども,家では病院とは勝手が違うし,実際にやってみないとわからないな.自信があるとも何とも言えないな」と話し,Aさんの妻は「私も,酸素を使った生活については,全然わからないので不安です.やることが色々あるのですね」と話した.
(2)分析とアプローチHOTを実際に体験していないことでの自己効力の不足が,HOTの習得に向けた行動に結びついていないことがわかった.Aさんの自己効力感を高めるために4つの要因へのアプローチを考え,実践した.1つ目の要因である成功体験として,ベッドサイドに自宅に設置する予定の酸素濃縮器を設置して,Aさん自身で操作できるようになること,自宅での生活を想定し酸素濃縮器や酸素ボンベを使用しながらのリハビリテーションを実施することで,AさんがADLの回復を実感し動作要領を習得できるように関わった.2つ目の要因の代理体験として,AさんにHOTを行いながら生活する患者の体験談についてDVDを視聴してもらった.3つ目の要因の言語的説得としては,Aさんに日頃から関わる医師や看護師が励ましや頑張りを称賛する言葉をかけるようにした.4つ目の要因の生理的・感情的状態としては,酸素を使用することによる身体的な快い変化をAさんと医療者が確認し合い実感できるように支援した.
(3)結果Aさんは,「歩くこともできるようになり,酸素についても特に困ったことはなく上手に使えているよ.人にお願いしないで,自分の身の回りのことは自分でできるのがいいよ,ここまで回復するとは思わなかった.家の周りを散歩できるようになりたいから,少しずつ歩く距離を延ばしている」と話した.その言葉から,自己効力感を持つことができていることがわかった.
5. その他のアプローチAさんには,4つの主な要因以外にも,ソーシャルサポートとして地域包括支援センターと連携し介護サービス利用に向けた支援や,呼吸リハビリテーションにおいて多職種と協働すること,妻への心理的支援なども必要と考え,実践した.
慢性呼吸不全患者は,療養する上で生活の変化を余儀なくされることも多い.その中で,患者の希望する生活はどのようなものかを聴き,病気の体験を理解することが療養支援において大切であると考える.患者が必要な行動を起こすことができない場合,なぜその行動を起こすことができないかを知り関わることが重要である.そして,療養支援のひとつの方略として,自己効力理論を活用し,患者が希望する療養生活を継続できるよう支援していくことが必要である.
本論文発表内容に関して特に申告すべきものはない.