1930年代までの日本建築史では曖昧にしか語れなかった日本美について明確に提唱した二人の建築家がいた。岸田日出刀(1899-1966)とブルーノ・タウト(1880-1938)である。岸田は1929年に文と写真による日本美を「過去の構成」の出版で示した。タウトは1933年に来日し、日本美について書いたものを「ニッポン」の題名で1934年に出版した。両氏が取り上げた日本美は、伊勢神宮、桂離宮、京都御所、弧逢庵など殆どがお互いに共通しており、共に日本美の聖地として永遠性を認めていた。このことは岸田の動機によることが大きく、タウトよりいち早く日本美を発見した岸田日出刀を高く評価すべきと考える。