2007 年 33 巻 p. 241-252
本研究では,寛政度内裏が復古様式で設計されていく過程を,「造内裏御指図御用記」「木子文庫」「土佐派絵画資料」などを用いて考察した。その結果,復古様式による紫宸殿・清涼殿・承明門は他の施設に優先して設計されたことが判明した。立面などは中井役所の棟梁岡嶋上野掾が担当したが,由緒にこだわる公家としばしば対立した。禁裏大工の木子播磨は,公家の立場で資料を集めたり図面の確認を行い,禁裏絵師の土佐は,絵巻物から古代建築の資料を探し,分かり易く描き直して提供した。細部の検討や復古様式以外の施設の設計にも多くの問題が生じたが,担当者や大工達はそれらを解決しながらこの大事業を成し遂げた。