2008 年 34 巻 p. 373-384
本研究は,1930年代以降,韓国の郊外住宅地がいかにして形成され,どのように変容してきたかをソウルと大邱の土地区画整理事業地について探ったものである。「京城府」による10地区,「大邱府」による2地区について,その具体的な計画内容を把握し,そこでの日本人都市計画技術者の理念を解明した。これまであいまいであった戦時中の施行進捗状況を明確にするとともに,戦後の変容を調査した。その上で,「京城府」西郊の大?地区を詳細に調査し,日本人による「外庭・低建蔽率」イメージに基づく計画が,戦中・戦後の韓国都市の状況と齟齬を来たしていく過程を明確にした。