抄録
本稿は、水問題研究家・嶋津暉之の歩みを検討するものである。衛生工学を専攻した嶋津の研究は、工業用水に始まる。嶋津は工場における工業用水使用量の平均をベースに水需要予測を行うことを『工業統計表』に基づき批判し、石油危機以前から、工業用水の節水の余地・可能性が大きいことを示していた。そうした分析をもとに、嶋津は1980年代以降、渇水の人為的側面―ダム放流ルールの合理性への懐疑を主張していくようになる。
日本全国のダム開発をめぐる反対運動において、嶋津は数えられないほど多くの関わりを残した。そのなかでも、嶋津が最も深く関わったのは八ッ場ダムであろう。八ッ場ダム建設をめぐっても、嶋津は利水・治水双方で鋭い分析・批判を展開し続けた。
晩年の嶋津が繰り返し主張したのは、科学的で民主的な河川行政への転換の必要性である。合理的な根拠に基づき、透明性を確保し、公正な河川行政が展開されることを嶋津は求め続けた。嶋津は、戦後日本で最高峰の河川行政批判者である。