本稿では,被差別部落(以下,部落)の人びとの包摂策とはいかなるもので
あったのか.どのような政策をつうじて人びとが不可視化してきたのかを考究
した.結果,第一に,戦前からの一連の部落に対する自治体施策はデニズンシ
ップの保障を目指すものであった,第二に,一連の国の政策は部落の人びとを
不可視化していくものであった,第三に,同和政策は,結果的に,社会的権利
のような「結果の平等」までを保障するものとはならなかった.社会的権利は
ローカルなコミュニティに委ねられたままである.福祉国家のなかで展開され
た同和政策は,人びとのあいだに境界線をひき,部落の人びとをデニズン化す
るにとどまった.加えて,新自由主義的(と新保守主義的)政策が台頭し自治
体行政が後退するなかでは,部落の人びとのソーシャル・キャピタルの喪失に
とどまらず,デニズンシップさえ危うい事態に直面することとなる.市民共和
主義的市民権(civil republic citizenship)も自由主義的市民権(liberal citizenship)
も,部落というコミュニティにおける義務(相互扶助)を過度に強
調すること(communitarianism)をつうじて,シティズンシップすなわち「人
権としての福祉」を削減することに加担してしまった.こうしたなかで部落に
包摂された人びとは,労働者になることも,福祉受給者になることも,ますま
す困難な事態(複数の排除)に直面している.