2021 年 18 巻 p. 105-128
従来,1987 年の精神衛生法改正は,宇都宮病院事件を契機に日本の精神医
療が国際的な非難の的となり,人権に配慮した法改正がおこなわれたものと説
明されてきた.こうした歴史に批判的な先行研究では,1987 年の精神衛生法
改正が宇都宮病院の被害者らにとって意図しない帰結であったことと,もっぱ
ら家族,医師,法律家を代表する利益集団の影響を受けた改正であったものと
指摘されている.しかし,当事者である精神障害者がいかなる主張をしたのか
までは明らかにされていない.そのため,当事者不在の歴史が繰り返し引用さ
れている現状がある.本稿は,1987 年の精神衛生法改正に対して精神障害者
がいかなる主張をしたのかを明らかにすることを目的とする.方法は,精神障
害者による社会運動の史料を用いた主張の記述と,それらの分析である.その
結果,精神障害者の社会運動は,精神衛生法自体が治安的性格を有した強制入
院の根拠法であり,対案はあり得ないため改正ではなく撤廃すべきという立場
をとっていたことが明らかになった.こうした主張は,強制入院による排除を
通じて精神障害者を危険とみなす人々の差別意識の助長こそを問題にしたもの
であり,精神衛生法撤廃の主張と保安処分反対の主張に共通した精神障害者の
社会運動に特有の主張であった.これらの記述を通じて精神衛生法改正をめぐ
る当事者不在の歴史が不可視にしてきた精神障害者の主張を明らかにすること
ができた.