本稿の課題は,日本における「社会的なもの」の系譜学的な検討作業を,人
口の量的問題をめぐる議論との関連のなかであらためて行うことである.とく
に,日本における「社会的なもの」の編成過程において重要な役割を果たした
とされる,1920 年前後における社会政策の生存権論を中心に,それが人口論
とどのような関係にあったのかを検討する.
検証の結果,日本における「社会的なもの」の出発点であった生存権は,マ
ルサスが示した人口法則によって限界づけられると同時に,その人口法則によ
って限界を拡張していくものとされていた.人口法則の帰結としての生存競争
が,普遍的な生存権を否定するものであると同時に,進歩の機制をも構成して
いると考えられたのである.そして,社会政策の「進歩」の理念と結び付くこ
とで,社会政策においてとりわけ後者の側面が重要視されることになった.
他方で,人口増加によって生存競争が激しくなり過ぎれば,社会秩序は破綻
してしまうとも考えられた.社会政策のもう1 つの理念である「調和」との関
係において,生存権の問題は生活保障の問題として新たに位置づけられること
になった.
こうして,「進歩」と「調和」の双方を同時に可能にする範囲での競争を実
現するために,社会政策は競争の根本条件である人口の統制へと向かうことに
なった.そしてその議論の先に,社会的人口政策論が完成することになったの
である.