本稿では校内居場所カフェという実践をめぐり,関与する諸アクターが支援という言葉に何を含意しているのか,およびそれが校内居場所カフェといかに接続されているのかについて分析をした.その結果,スタッフは学校という競争主義的空間において,他者との評価に晒されることのない〈無為〉の論理の場を生成・維持することそのものが支援であると捉えていた.また,教師らは生徒に直接的に介入する支援観と同時に,受容と共感に徹した傾聴も支援内容として語られ,ともに校内居場所カフェが担うものであるとみなされていた.さらにそれは,教師役割として担い得ない部分を正当化する論理として用いられていた.一方,支援ではないという逆説的な表現によって校内居場所カフェを説明した責任者と校長は,〈無為〉の論理の場であろうとするからこそ〈教育〉の論理と類似してしまう変容や介入を迫る支援という言葉から距離を取ろうとしていた.以上より,本稿では学校内での〈無為〉の論理の場の生成に納得するために「支援」を活用する教師の姿と,〈無為〉の論理の場を成立・維持させるために直接的な「支援」を排する責任者・管理職の姿が明らかになった.さらに,両者は共存可能であり,〈教育〉の論理に支配的である学校に変化を要請しなくとも,「居場所」が〈無為〉の論理の場であり続けることができれば,学校に「『ケア』と呼ばれる実践的領域を確保すること」は可能であるといえる.