まず,被災地の後方において私たち(研究者)が何ができるのか,でき
るはずのことの中でどれほどのことをしているのか(していないのか)を
報告する.次に,障害や病を伴って生きるのに必要なものを確保し使い勝
手よく使っていくための準備と知恵があり,知識は共有されるべき範囲に
共有され,取れる策は取られるべきであるという言うまでもないことを述
べ,それに関わる活動をいくらか紹介する.さらに, とくに「個人情報保
護」のもとに所在がつかめない人たちが,知られないままに「移送」され,
そのままにされている可能性と現実があることを述べ,その不当性を強く
訴える必要があり,実際その訴えがなされていることを報告する.そして,
原発の近くから逃亡し新しい生活の場所を作ろうとする動きがあることも
紹介する.そしてこれらの活動が, この約40年の,さらに阪神淡路震災
後の障害者運動の継承・展開によって支えられていることを示し,その意
義を再確認する.