抄録
今回,東日本大震災で活動するボランテイアの数は,阪神淡路大震災よ
りも少なかったことが指摘され,その理由を,政府による市民セクターの
抑圧に求める議論が多い.この議論形式は阪神淡路大震災時に作られたも
のだが,今回,単純にそれを反復するわけにはいかない阪神淡路大震災
時が行政の過剰統治によって特徴付けられる開発主義の果てに生じたのに
対し,東日本大震災は規制緩和と再分配の放棄によって特徴づけられるネ
オリベラリズムの果てに生じたものだからだ.ベクトルは逆を向いている.
以上を踏まえてボランティアの停滞の背景を考える.阪神淡路大震災の
パラダイムでは, ①行政の抑制,及び,② NPOの低い経営力が原因とさ
れるが,実際には, ①行政の損壊と地域の疲弊,及び,②市民セクターの
二重構造化と国内NPOの活動基盤の不全という1995年以降に形成された
要素が,有力な原因として浮かび上がる.ボランティア・NPOの活性化
やそれによる当事者中心の活動は,公的領域の単純な削減ではなく,その
適切な補完・支援のもとで実現するものである.
ボランティアNPOのポテンシャルは小さな政府を志向する方向で
はなく,人々の社会権を普遍主義的な形で公的に保障していく方向に接続
していくべきであるそのために,震災の支援活動で社会の亀裂を目の当
たりにしてきた市民セクターが果たす役割は小さくないと思われる.