抄録
江戸時代の日本において,商家は各家独自の方法で帳簿記録を行っていた。個別の商家を対象とする研究の蓄積により,決算報告書の様式や構造,日々の取引の記帳等の諸点において,商家ごとに相違が存在していることが明らかとなっている。これらの相違は,商売上の必要に応じて施された工夫と捉えることができる。各商家は,事業を行う上で何に関心を持ち,それをどのように記録したのだろうか。
本研究では,近江商人の特徴的な商いの1つとして挙げられる松前交易に焦点を当て,寛永期(1624–1644年)から蝦夷地(現北海道)において松前交易を営んだ柴谷家の江差店を取り上げ,同家がどのような業務上の要求に従って経済活動の記録管理の方法を構築したのかについて考察を行った。
江差店では,仕込み取引に関する貸付およびその返済状況等の記録を行う「書出帳」を中心とした帳簿組織を構築し,その記載内容を「勘定帳」の形にまとめ上げることで,取引先ごとの債権・債務の綿密な記録管理を行っていた。当該店では,仕込み取引を通じた上せ荷の安定的調達を目的として漁民を確保するため,彼らに対する債権・債務を個別に管理する必要があり,この情報要求に応じた会計記録・報告機構が構築されたと考えられる。