抄録
【目的】近年,Bingelらを始めとして痛みの慣れ(以下,habituation)に関する脳機能イメージング研究が多く報告されてきている(Bingel 2007).このhabituationは,痛みに関連領域の活動を前頭前野がtop downに制御することによって生じると考えられている.一方で,慢性疼痛患者は前頭前野の機能が変質していることが明らかにされており(Apkarian 2011),連続的に痛み刺激を加えられると前頭前野の活動が低下していき,痛みに関連する島皮質・海馬の活動が増大し,habituationが生じないことがRina Levら(2010)によって報告されている.しかし、こういったhabituationの研究は直接身体に与えられるような痛み刺激に対してのものが多い.慢性疼痛患者では実際には痛み刺激とならないような刺激に対しても痛みを内的に体験してしまう(Ushida 2005)ことから,痛みの内的体験に対してのhabituationの脳活動を調査することが,慢性疼痛を予防するために必要と考える。そこで本研究の目的を,連続的な痛みの内的体験における主観的な痛みの変化と,脳活動の変化を脳波計(以下EEG)にて調査することとした.
【方法】対象は,本研究に同意を得た疼痛疾患を有していない者12名(男性8名,女性4名,平均年齢22.5±1.5歳)とした.被験者は,デジタル脳波計Active two system(Biosemi社)装着し,背もたれ椅子に座り,1.5m離れた画面に表示される静止画を「もし自分がその状況だとどんな感じがするか」イメージしながら観察するように指示された.表示される静止画は,手に痛み刺激が与えられている場面の写真(はさみで指を切るなど,以下pain写真)であり,左手と右手で各15種類とした.1trialは,1秒間の合図・3秒間のpain写真の観察・3秒間の休憩とした.1setにつき30 trial実施され,本実験ではこれを3set繰り返した.各setの終了時に、イメージの中で感じた痛みの強度と不快感をVisual analog scale(以下VAS)で測定した。解析については,主観的な痛み強度と不快感のhabituationを算出するために,第1setのVASの値と第3setのVASの値をWilcoxon符号付順位検定にて比較した.脳波の記録は,チャンネル数は128chとし,sampling周波数は2048Hz,band passフィルターは0.1~50Hzにて行った.脳波の解析は,EMSE Suiteを使用し、実験で得られた全データに対してCommon average referenceを適応した.また,左眼瞼の側方にて筋電図を記録し,瞬目による電位の変化はアーチファクトとして除去した.pain写真が提示される前の200msをbaselineとし,pain写真を観察する3s間の波形を加算平均し,加算平均から得られた波形を3s間の範囲で高速フーリエ変換(以下FFT)し,θ波(4~7Hz)の値を算出した.FFTにより得られた1setのθ波の値と3setのθ波の値を,各チャンネルについてWilcoxon符号付順位検定にて比較した.さらに加算平均から得られた波形の3sの区間でsLORETA(Standardized low resolution brain electromagnetic tomography)を実施し,1setから3setまでの脳活動の変化を観察した.
【説明と同意】全ての被験者に対して,研究内容を紙面および口頭にて説明し,同意を得た.なお本研究は本学研究倫理委員会にて承認されている.
【結果】VASの結果は,痛みの強度・不快感ともに有意な変化はみられなかったが,どちらも減少傾向を示した.1setと比較して,3setでは左側頭葉領域に相当するチャンネルにて,θ周波数帯域での有意な減衰が認められた(p<0.05).sLORETAの結果は,1set目では左眼窩前頭前野を発生源とする活動が認められ,2set目にかけてその活動は増大していくが,3set目では減少していた.
【考察】3set目においてVASの値に減少傾向がみられたことから,痛みの内的体験においてもhabituationが生じる可能性が考えられる.θ波は海馬・前部帯状回から発生していると考えられており(Buzsaki 2002,Pizzagalli 2003),恐怖が喚起された時や,情動体験を記憶する際などに増大すると考えられている(Knyazev 2007).本研究では,3set目において左側頭葉領域におけるθ波の減衰がみられたことから,setを重ねるごとに痛みという不快な情動体験が減少したということが考えられる.またsLORETA解析による結果より,眼窩前頭前野の活動の増大が1,2setで認められた.この眼窩前頭前野は帯状回や海馬と連結があり(Cavada 2000),痛みの情動的側面を認知的に制御する機能がある(Tracey 2010).このことから今回の実験において,1,2setでの眼窩前頭前野の活動の増大が帯状回や海馬の活動を抑制した結果,3set目においての痛みの内的体験における主観的な痛みの強度・不快感の減少,左側頭葉領域でのθ波の有意な減衰が観察されたのではないかと考えた.
【理学療法学研究としての意義】対象者に痛みの内的体験をさせないために前頭前野を活性化し,不快な情動を制御することが慢性疼痛の予防に必要であると示唆される.