1980年代までの在日朝鮮人のエスニシティに関する議論が、当事者の実感に基づいたイデオロギッシュな論評が中心であったのに対し、初期の社会学における在日朝鮮人研究は、同化と異化のあいだのグラデーション(外的複数性)や、地域における民族間の複雑な共同関係を描き出した。その後、同化/異化を両極とする設定そのものの見直し、方法論的ナショナリズムを乗り越えるためのトランスナショナリティへの着目、「外」の世界の複雑性を研究内の視点に取り戻そうとする動き、現実的な経験としての「民族」の再記述などが試みられるようになった。
また、国境を越えた移動や意識のあり方についても、近年数多くの研究成果が生み出されている。しかしその多くが、「トランスナショナル」という単一の要素のみに着目することで、もしくは「グローバルとローカルの接続」を過度に強調することで、「在日朝鮮人にとっての祖国/民族の現在をいかに捉えるのか」という問いを後景化させてしまっている。
それに対して本稿では、方法論的ナショナリズムに先祖帰りすることなく上記の問いと向き合うためのひとつの方法として、旅行や研修、親族訪問なども含む在日朝鮮人の「本国」への移動を「帰還的移動」として捉え直すことを提案したい。