抄録
本稿は、1888年に文部省が刊行した倫理教科書『倫理書』の編纂経緯をたどりつつ、そのテキストの再検討を通じて、森文政下に志向された道徳教育の特質を明確化することを目的としている。『倫理書』は、「情」に関する心理学的説明に親子・君臣等の社会関係の記述を盛り込むことで、忠孝心などの「情」を重視しているかのごとく見せかける一方で、実際には「思想」(知性)の見地から、それらを相対化している。そうした意図的な論理的仕組みを通して想定されたのは、倫理をめぐる判断の主体としての個人である。そこにこそ、情緒的内容としての国体を説き、倫理の主体を天皇に置く教育勅語との決定的な違いを見出すことができると論じた。