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【目的】
近年、情報技術の普及により、携帯電話を使用しながら歩行する、いわゆる「ながら歩行」による事故が増加傾向にあり、大きな社会問題となっている。しかし、視覚的注意の影響が歩行へどのような影響を及ぼすのか、十分に解明されていない。本研究の目的は、携帯電話操作による視覚的注意の定位が歩行における衝突回避戦略に及ぼす影響についてバイオメカニクス的手法を用いて検討することである。
【方法】
対象は疾患の既往のない健常成人男性15名(21.4±2.4歳)とした。被験者および干渉者の歩行路をそれぞれ6mとし、90度で交差する実験環境を設定した。なお、干渉者は全ての実験において同一人物とした。実験課題は、回避歩行課題と携帯電話での文字入力課題を付加した回避歩行課題(以下、「ながら歩行」課題)を行わせた。各課題において、6つの測定条件で歩行動作を赤外線カメラ6台(Motion Analysis社製、サンプリング周波数120Hz)を用いて計測した。測定条件は、条件①:干渉者なし、条件②:干渉者静止、条件③:干渉者動的、条件④:干渉者動的+急停止、条件⑤、⑥:条件③と同様とした。開始位置から直線距離で5.6m位置までの時間を100%規格化し、歩行速度、逸脱面積、側方への最大逸脱距離、平均変位を算出した。また、文字入力の正答率を算出し、課題間および条件間を比較した。
統計処理は、課題間の比較は対応のあるt検定、条件間および文字入力の正答率の比較には、一元配置分散分析を用いた。いずれも有意水準は5%未満とした。
【結果】
回避歩行課題では、歩行速度1.41±0.26m/s、逸脱面積3.02±1.25m2、側方への最大逸脱距離0.53±0.23m、平均変位1.57±0.05m、「ながら歩行」課題では、それぞれ1.17±0.26m/s、3.33±1.39m2、0.58±0.25m、1.60±0.07mであった。歩行速度は、「ながら歩行」課題の方が全ての条件において有意に小さかった(p<0.01)。また、逸脱面積および側方への最大逸脱距離は、干渉者が動的に介入した条件において「ながら歩行」課題の方が有意に大きな値を示した(p<0.01、p<0.05)。さらに平均変位は、干渉者が静止および動的に介入した条件において「ながら歩行」課題の方が大きな値であった(p<0.05)。条件間の比較では、全ての項目に有意な差はみられなかった。
【考察】
「ながら歩行」課題では、携帯電話への視覚的注意の定位と文字入力課題の付加により、注意の分配の割合に変化を及ぼし歩行速度が減速したと考えられる。また、携帯電話への視覚的注意の定位は干渉者の歩行速度の検出を妨げ、衝突時間の予測に影響を及ぼしたと考えられる。特に、干渉者が動的な介入を行う条件において安全域での回避が必要となり、逸脱距離が大きくなったと考えられる。
各条件の比較において、速度および変位には有意な差はみられなかった。これは干渉者の存在や動きに関わらず、被験者は同様の回避戦略を選択していたことを示す。したがって、回避歩行では視覚的情報に基づく制御機構が必要であり、特に「ながら歩行」課題下では、意識的に有効視野からの視覚情報を手掛かりとしながら、速度や変位の誤差を最小にしつつ干渉者を回避していたと示唆された。
【まとめ】
視覚的注意の定位は、歩行動作における安全域での衝突回避の検出能力を低下させると考えられる。臨床において本研究で用いた課題は、有効視野を手掛かりとした視覚情報処理機能を評価するためのスクリーニングとして応用できる可能性が示唆された。
【倫理的配慮,説明と同意】
本研究は、ヘルシンキ宣言に基づき、被験者には研究目的、実験内容などを説明し、協力の同意と署名を得た。