ラテンアメリカ・レポート
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論稿
脆弱化するラテンアメリカ民主政治
上谷 直克
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2019 年 35 巻 2 号 p. 1-25

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要約

今年V-Dem(Varieties of Democracy)研究所から発行された年報Democracy Report 2018: Democracy for All?によると、ここ約10年の世界の民主政の様態は、概して「独裁化(autocratization)」傾向を示しているという。もちろん、普通選挙の実施に限れば、常態化している国もみられるため、この場合の「独裁化」は、普通選挙以外の側面、つまり、表現および結社の自由や法の下の平等に関してのものである。現代社会で最も正当とみなしうる政治体制は自由民主主義体制であり、それは慣例的に「自由」を省略して単に「民主主義体制」と呼ばれるが、皮肉にも現在、世界の多様な民主制が概してダメージを被っているのは、まさにこの省略されがちな「自由」の部分なのである。同時期のラテンアメリカ諸国での民主政をみてみると、ここでも選挙民主主義の点では安定した様相をみせているが、自由民主主義指標の変化でみると、ブラジル、ドミニカ共和国、エクアドル、ニカラグア、ベネズエラの国々でその数値の低下がみられた。しかし,世界的な傾向とは若干異なり,これらの国では「自由」の中でも,執政権に対する司法や立法権からの制約の低下が著しかった。本稿では、上記の世界的傾向や近年のラテンアメリカ地域での傾向をV-Demデータを使ってみたところ低下がみられた、ベネズエラを除いた上記4カ国の最近の政治状況について端的に報告する。

はじめに

スウェーデンのヨーテボリ大学に本拠を置くV-Dem(Varieties of Democracy)研究所から今年発行された年報Democracy Report 2018: Democracy for All?によると、ここ約10年の世界の民主政の様態は、概して「独裁化(autocratization)」傾向を示しているという。むろん、民主体制を特徴づける普通選挙の実施については、もはやかなり常態化しつつあり、改善している国さえみられる。よってこの「独裁化」は、概して、既存の民主体制内における選挙以外の側面、つまり、メディア報道などの表現や結社の自由、そして、法の下の平等や立憲主義に関してのものである。ただ、こうした傾向は、そもそもの自由民主主義の原理を根本から侵食し、容易に普通選挙さえ意味なきものに貶める危険があり、おそらくその兆候は、昨今の欧米先進民主主義諸国におけるポピュリズムの興隆などに垣間見られる。

こうして世界的に「独裁化」が進むなかで、過去10年のラテンアメリカ諸国をみてみると、少なくとも選挙民主主義の点では安定した様相をみせており、また皮肉にも、これほどポピュリズムが跋扈するご時世に、一部の可能性を除いて、それほど顕著にポピュリズム化が進んでいるわけでもなく、脱ポピュリズムと呼びうる現象さえ生じている国すらある1。実際この地域に関し、同じくV-Demのレポートによると、たとえば過去10年の自由民主主義指標(Liberal Democracy Index)の変化でみると、ブラジル、ドミニカ共和国、エクアドル、ニカラグア、ベネズエラの国々において、その数値の低下がみられたという。しかも、自由民主主義指標の算定基礎であるメインの指標「選挙民主主義指標(Electoral Democracy Index)」と「自由を構成する指標(Liberal Component Index)以下、自由指標」の変化に着目すると、それらが著しく悪化しているのがニカラグアとベネズエラ、そしてここ数年で大きく落ち込んだのがブラジルとドミニカ共和国となっている[V-Dem2018, 72-73]。

そこで本稿では、まず上記の世界的傾向や近年のラテンアメリカ地域での傾向を、上記の報告書やV-Demデータに基づいて簡単に示す。そして、近年他国とは大きく異なる動きをみせるベネズエラを除く上記4カ国(ニカラグア、エクアドル、ブラジル、ドミニカ共和国)の最近の政治状況について、V-Demデータの変化に関連のありそうな事項を中心に手短かに報告する。

1. 世界の民主主義の現状とラテンアメリカ

2016年に開始された「多様な民主主義(V-Dem)」プロジェクトは、1789年から2017年にかけての、世界201カ国(すでに存在しない国を含む)、1900万のデータを収める、民主主義体制の最大のデータセットを作成する試みである。これには3000名以上の各国の専門家や研究者が携わり、民主主義、人権、ガバナンス、法の支配、汚職などを含む400以上の変数を毎年測定し、非常に大規模なデータベースを構築・公開している。

さて、このプロジェクトのメンバーらによる最新の報告書や論文によると、現時点での世界の大きなトレンドは、民主主義の質の低下ないし後退という意味で「独裁化」であるが、以下のような特徴がみられるという[Lührmann et al. 2018, 2-13]。つまり最近の民主主義の後退は、世界の国のなかでも人口規模が大きな国(トータルで世界の3分の1つまり25億人の人々が住む国々)で、しかもこれまで「より民主的」とされてきた地域(西洋と北米、南米とカリブ海諸国、そして東欧)で生じており、またたとえば、昨年、民主主義が後退した国の数(24カ国)は、それが前進した国々の数とちょうど同数で、こうした事態は1979年以来発生していないという。

V-Demの最重要指標はすでに言及した自由民主主義指標であるが、いわゆる「民主主義の第三の波」が生じた1970年代からの世界レベルでのその数値(世界平均値)の変化をみると、2005年までは漸進的だか着実にそれは上昇してきたが、それ以降しばらくはほとんど変化せず、2011~12年頃から緩やかに下降しはじめた。しかも各国の数値を人口数で重みづけすると、近年の下降線はより急になるという。これは近年ますます、世界人口に占める、独裁化しつつある国に住む人々の割合が顕著に増加していることを示すものである。実際、ここ10年の変化だけみても、北米の大国・米国、そして、ブラジル、ロシア、インド、中国のBRICSの国々、また東欧の地域大国であるポーランドやハンガリーで、自由民主主義の重大な後退がみられるという。

一方、前述のとおり、そもそも自由民主主義指標は、おもに普通選挙にかかわる選挙民主主義指標と、法の下の平等や立憲主義にかかわる自由指標のふたつ指標(ともに合成指標)をベースに算定されるが(図1)、それぞれの指標、もしくは、それぞれの指標を構成する下位指標の数値の出方が、最近のトレンドの特異性を生み出している。つまり、過去10年では多くの国で、選挙民主主義指標を構成する特定の下位指標(選挙の公正さやその実効性)が著しく改善された一方で、同じく選挙民主主義指標を形成するほかの指標、たとえば、「表現の自由」指標や、「結社の自由」指標、さらに、自由指標を構成する「法の下の平等」指標などが多くの国で著しく悪化している。つまり総合的な指標ではとらえにくいものの、これが昨今の「独裁化」を示している。

(出所)V-Dem Data Ver.8に基づき筆者作成。

では、昨今のラテンアメリカ地域の民主主義にはどのような傾向がみいだされるか。まず、VDemの報告書同様に、ここ10年の自由民主主義指標の変遷をみておく(図25)。ここでは便宜的に、南米南部諸国+メキシコ(図2)、アンデス諸国(図3)、中米諸国(図4)、そしてカリブ海諸国(図5)に分けた。なお、この指標だけでなく以下に示すいずれの指標も「0~1」はその程度が「低い~高い」を表している。すでに言及したとおり、V-Demのレポートによると[V-Dem2018, 72-73]、10年前(2007年)と現在(2017年)の自由民主主義指標の水準を比較すると、ブラジル、エクアドル、ニカラグア、ドミニカ共和国、ベネズエラの国々において数値の低下がみられたという。確かに、その著しい低下ということであれば、とりわけブラジル、ニカラグア、ドミニカ共和国の低下ぶりが目につく。では、V-Demレポートで言及されたエクアドルと上記の国々において、自由民主主義指標の構成指標である選挙民主主義指標と自由指標はどのように変化しているであろうか。

(出所)V-Dem Data Ver.8に基づき筆者作成。

(出所)V-Dem Data Ver.8に基づき筆者作成。

(出所)V-Dem Data Ver.8に基づき筆者作成。

(出所)V-Dem Data Ver.8に基づき筆者作成。

まず図6の選挙民主主義指標について、どの国も緩やかに低下しているようにみえるが、とくにニカラグアは比較的早い段階で下降をはじめたのに対し、ブラジルとドミニカ共和国ではその傾向がここ2、3年ではじまったようである。エクアドルではコレア(Rafael Correa)政権期(2007~2016年)の前半に徐々に低下したが、2013年に少し回復してほぼ横ばいの状態である。

(出所)V-Dem Data Ver.8に基づき筆者作成。

つぎにこの選挙民主主義指標の構成要素であり、世界的傾向の「独裁化」に重要な影響を与えているとされる、「表現の自由」と「結社の自由」について確認する(図7図8)。前者の「表現の自由」指標に関しては、確かにブラジルで2015年から急激に落ち込んだがすぐに回復傾向がみえ、ドミニカ共和国およびニカラグアで漸進的に低下しているようである。一方、後者の指標については、やはりドミニカ共和国で漸進的かつ着実に、ニカラグアでは断続的だが急激に悪化しているようである。ただし、少なくともブラジルとドミニカ共和国、そして部分的にエクアドルについても、両指標ともそもそもの数値が高く、したがってこうした低下傾向が「独裁化」の兆候だといわれればいくぶん疑問の余地のある高い水準での変化である。

(出所)V-Dem Data Ver.8に基づき筆者作成。

(出所)V-Dem Data Ver.8に基づき筆者作成。

では同じく自由民主主義指標を構成する、自由指標の変化はどうであろうか。ここではより詳細な状況を把握するべく、この指標を構成する3つの下位指標、つまり「法の下の平等」、「司法による執政権への抑制」、「立法権による執政権への抑制」のそれぞれについて変化をみてみる。

まず、どの程度まで法が透明かつ厳格に適用され、公行政が不偏不党で公明正大であるか、また、どの程度まで市民が司法にアクセスでき、所有権が保護され、信教や移動の自由を確保されているかなどを測定する「法の下の平等」指標について(図9)。この指標でも、やはりニカラグアが2017年に急落し、ドミニカ共和国では2014年から段階的に悪化した。しかしこの指標についても、概して、比較的高い水準からの漸進的な低下傾向にすぎないとみえなくもない。

(出所)V-Dem Data Ver.8に基づき筆者作成。

一方、国家における中心的な統治主体としての執政権(大統領)に対する司法や立法権からの抑制に関してはどうであろうか(図10図11)。まず、比較的高い水準で推移してきたブラジルではここ数年で大統領へのグリップが2016年を境に急激に低下し、それとは反対に、2007年のコレア政権成立以降、比較的低い水準で推移してきたエクアドルでは急激にそれが改善されていることがわかる。また、ドミニカ共和国では紆余曲折しており、司法からの抑制も決して強く効いているわけでもなさそうだが、とくに立法権からの抑制は、2012年以来、極めて低い水準に低下した。ただ、「極めて低い」といえばニカラグアの方が顕著であり、数値だけみても、そもそも司法が執政権から独立した権力を保持しているようには到底思えず、また、かつては比較的維持されていた立法権からの抑制も2012年を機に急低下し、もはや「三権分立」とは名ばかりのようである。

(出所)V-Dem Data Ver.8に基づき筆者作成。

(出所)V-Dem Data Ver.8に基づき筆者作成。

以上を勘案すると、近年におけるラテンアメリカの「劣等生」の国々での「民主主義の後退」や「独裁化」は、たとえば表現や結社の自由などが損なわれている世界的なトレンドとは少し様子が異なり、とくに上記の自由指標の悪化が重なってそうした傾向が現れているように感じられる。以下ではこれら4カ国における近年の変化の背景や理由を探っていく。

2. ニカラグア

(1) 「競争的権威主義体制」から「普通の権威主義体制」へ

さて、すでに確認したとおり、ニカラグアにおける選挙民主主義や自由指標に関する大きなトレンドは、2007年の第二次オルテガ(Daniel Ortega)政権発足後に、いずれの指標も段階的だが着実に(指標によっては急激に)低下した点であった。

選挙民主主義の構成指標に関しては、実は前政権下で改善されつつあったが、オルテガと与党・サンディニスタ民族解放戦線(Frente Sandinista de Liberación Nacional:FSLN)が2007年から政権運営を担いだして再び低下しはじめ、その後、総選挙(2011年、2016年)を経るごとにおよそ0.1ポイントずつ減少した。これは、そもそも中央選挙管理委員会(Consejo Supremo Electoral)がオルテガ派の手中にあり、近年では、詳細な選挙結果すら公表されないことや、選挙不正の黙認、野党の選挙資格の剥奪、国内外の選挙監視団の拒絶など、常に政府・与党候補に有利に選挙が運営されていることに由来していると思われる。同じく、結社や表現の自由も2007年から段階的に低下したが、これは、ここ数年でますます市民社会組織やメディアに対する政府からの締め付けや、反対派への政治的迫害が強まっているためであろう[Thaler 2017, 161]。

一方、「法の下の平等」は2016年から翌年にかけて急落したが、この指標を構成するサブ指標ごとの数値の変化をみてみると、数値が急落したのは「厳格で不偏不党な公行政」「執行の予見性と透明性のある法体系」「宗教の自由」そして「国外移動の自由」などの指標であった。

また、立法権から執政権(オルテガおよびその妻で副大統領のムリージョ(Rosario Murillo))への抑制も、選挙民主主義と同じく、2007年のオルテガ政権開始直後から総選挙が行われるごとに低下し、現時点ではほぼそれが効いていないということであった。実際、ニカラグア議会における与党FSLNの議席占有率は2006年の38%から、2011年は61%、2016年には66%と選挙を経るごとに拡大し2、その後、2018年初旬には77%にまで上昇して3、もはや諸野党もほぼFSLNの御用政党化しているという。まして、政府やその関連諸機関と同じく、与党FSLNそのものもオルテガ大統領一族の強い影響下にあるとされる以上[Thaler 2017, 167]、それが執政権を抑制できる可能性は極めて低いだろう。

また、もともとこの国では党派的な影響を受けやすいとされてきた司法から執政権への抑制も、第二次オルテガ政権の成立前後でさらに減じ、非常に低レベルで推移した。とくに現政権下では、中央選管と同様、各種のアカウンタビリティ機関(最高裁、最高選挙裁、会計検査院など)もFSLNに忠実な者たちで固められており、実際、大統領の無制限の再選、大統領による国軍と警察の指揮権掌握など、さまざまな大統領権限の拡大をめざした憲法改正や制度変更が次々と容易に行われてきた。

以上を勘案すると、2007年以降のニカラグアは、もはや為政者オルテガ自身が「左翼の革命ポピュリストから右翼の新家産主義的な独裁者[Thaler 2017,157]」になったという意味で、最近の「民主主義の後退」という潮流に乗るわけでもなく、また、だからと言って「不安定な競争的権威主義体制[Carothers 2018]」を維持しているわけでもなく、つまりは個人独裁型の「普通の権威主義体制」へと完全に移行したといえるであろう。

(2) オルテガ政権の危機?

こうしてこの国では2007年以降オルテガ一族が政治を牛耳ってきたわけだが、現在彼らは、政権成立以来最大の危機といわれる全国規模の反政府的抗議運動に直面している。

そもそもこの抗議運動の発端は、今年4月18日に発効した社会保険法改革4に対し怒りの声を上げた年金受給者や大学生らによるデモを、政府が警察や与党の下部組織を使って暴力的に抑え込んだことにある。これをみて、当初は首都マナグア市やレオン市に限定されていた抗議デモは、複数の都市へと拡散し、なかには暴動・放火・略奪行為へと発展した地区もあった。デモの急進化と、実弾使用も厭わない国家警察による弾圧で、いよいよ死者も出るなかで、オルテガ政権も社会保険法改革の撤回を余儀なくされた。

これにより状況はいったん収束するかにみえたが、大規模だが平和的なデモが各地で実施され、そこでの訴えも、政府による暴力的弾圧や独立系メディアへの妨害を非難するものから、やがて「表現の自由の保障」や「民主主義の回復」、そして「オルテガおよびムリージョ正副大統領の退陣」へと変化していった。こうした状況を憂慮したカトリック司教会議(Conferencia Episcopal de Nicaragua)は、5月半ばから、オルテガ政権と、学生団体や市民社会組織により結成された「正義と民主主義に向けた市民同盟(Alianza Cívica por la Justicia y la Democracia)」との対話の場を設けた。そこでは、人権調査を行った米州人権委員会(Inter-American Commission on Human Rights:IACHR)の提言に沿って、オルテガ政権によるデモの弾圧や数々の人権侵害(警察や政府系準軍事組織による過剰な暴力、違法で恣意的な逮捕拘禁、非人道的な拷問、報道機関への検閲や妨害、さまざまな脅迫行為、超法規的な処刑)の中止について合意がなされた。しかしこうした「合意」にもかかわらず、依然、抗議運動に対する暴力的な弾圧は続き、さらに死傷者が出続けたため、対話は中断された。

この間にも、かつてはオルテガ政権の良きパートナーであった国内企業家諸団体(Cosep、AmCham、Asobanpなど)や米国務省、そして、ヨーロッパ連合(EU)などからも、2021年に予定される総選挙の前倒し実施を求める公開書簡や声明が出されたが、政権はいかなる譲歩の姿勢もみせなかった。6月末には、国家警察や与党シンパの準軍事組織によるニカラグア自治大学(UNAN)への大規模攻撃によって近隣の乳児を含む数十人が新たに犠牲になるなど、暴力がさらに激化するなかで、ようやくオルテガ政権と市民連合との対話が、米州人権委員会代表者らも臨席の下で再開された。しかし、反対派が提示した主要な要求(デモへの暴力的攻撃の停止、政治犯の釈放、総選挙の前倒し)を政府側が頑として聞き入れず、それどころかオルテガが、国民対話の仲介者であったカトリック教会をも敵とみなしはじめたため、これ以降、交渉は滞ったままとなっている[LNWR, 26 July 2018]。

また7月末には、国内外の「安全保障」の区別を廃し、政府が脅威とみなす人物や組織に対しては、自由裁量で取り締まれる権限が盛り込まれた通称・反テロ法(Ley contra el Lavado de Activos、el financiamiento al terrorismo y el financiamiento a la proliferación de armas de destrucción masiva)が施行されたが、「公的秩序」や「テロ」といった重要概念の曖昧さから、専門家や人権団体から、政府の恣意的な逮捕が増加するのではとの懸念が表明された[El Nuevo Diario,17 Julio 2018]。実際これを機に政府は、国家警察や与党系の武装組織を活用して抗議デモを直接潰し、道路封鎖嚢やバリケードを破壊するのに加えて、この法律を盾に、反政府デモを「犯罪化(criminalize)」し、その主要メンバーや参加者を逮捕・迫害するという手段にも訴えるようになったという[LNWR, 27 September 2018]。

9月初旬に地元の人権NGO(ANPDH)が公表した報告では、反政府運動に対するオルテガ政権からの弾圧で、それまでに少なくとも481人が死亡したと報じられた。この報告書を受けて、翌日、国連安全保障理事会が、ニカラグア問題に関する初めての会合を開き、対応を協議した。しかしオルテガ政権は、こうした国際的な圧力に屈する気配をみせず、むしろ、報告書の真相究明のため派遣されていた国連人権高等弁務官事務所(United Nations Office of the High Commissioner for Human Rights:OHCHR)の調査団を国外追放したり、アメリカ政府から制裁を受けている政府高官(たとえば国家警察長官ら)を昇進させるなどして反抗姿勢を示した。

9月から10月にかけても引き続き、政府側も反政府側もそれぞれの大義や正統性を掲げて集会やデモ行進が頻繁に行われ、9月初旬には、企業家団体の呼びかけで、6月と7月に続き3度目の全国ストライキも実施された。反政府側のデモや集会は、相変わらず国家警察などによって暴力的に妨害(発砲を含む)され、それが確実に、抗議運動への参加者やそれを取材するメディア関係者らの死傷者数を増やしていった。10月初旬には、学生、民間企業、被害者遺族などを代表する43の市民社会組織が連帯して、新たに「青と白の国民連合(Unidad Nacional Azul y Blanco)」が結成され、政府への攻勢を強めた一方、国家警察は反テロ法に基づき、デモ参加への呼びかけや招集を「公的秩序」を乱す非合法なテロ行為として犯罪認定し、ますます積極的かつ大規模に参加者らの逮捕に乗り出した。こうして平和的なデモの参加者が弾圧され続々と逮捕される事態に対し、国内の教会関係者だけでなく、国際的にも、事実上の「例外状態(“state of exception”)」だとして米州人権委員会や米州機構、国連人権高等弁務官事務所、さらにはコスタリカやパナマの政府関係者からも多大な懸念が表明されたが、政府はそうした声にまったく耳を貸さなかった。それどころか、オルテガ政府は、そうして「暗躍」する教会関係者ら(Monsignor Silvio Báezなど)を「陰謀論者、テロリスト、クーデターの首謀者」として誹謗中傷を浴びせた[LNDR, 15 October 2018; LNWR, 1 November 2018]。

11月に入ると政府は、遅々として事態が好転しないことに焦燥感を募らせる反政府運動や人権組織の人々を尻目に、国策として「和解と平和」をめざした法整備を進めると発表した。現時点ではその内容の詳細は定かではないが、ある法律専門家によれば、与党FSLNによる政治統制や「教化」を強めるといった、おおよそ、全国規模の抗議運動から「民主化」要求を突き付けられているとは思えない内容だという[LNWR, 15 November 2018]。また、すでにふれた反テロ法など、最近整備されたさまざまな治安関連法での用語の曖昧さが大いに懸念を引き起こしていることもあり、新たな法の整備が、国家警察の恣意的な取り締まりや逮捕、越権行為や弾圧をさらに助長するだけではと不安の声も上がっている[LNDR, 9 November 2018]。

なお、本稿執筆時点(11月中旬)では、国内外の人権団体の報告では最大で500数十人、政府発表でも約200人に上る死亡がすでに確認されており、また反政府組織によれば政治犯として600人近くの人々が不当に拘留されているという。また、ニカラグア国内の騒乱が長引くにつれ、とくに隣国コスタリカへの避難民問題も大きくなりつつあり、アムネスティの報告書(Instilling Terror, From Lethal Force to Persecution in Nicaragua)によれば、2018年9月までに約5万2000人のニカラグア人が保護を求めてコスタリカに逃れて滞留し、今後ますますの増加と地元住民やより広くコスタリカ国民との軋轢が懸念されている。

以上のように、カトリック教会、民間企業団体、アメリカ合衆国など、2007年の第2次オルテガ政権成立以降、新たに体制の「友人たち」となった勢力が次々と離反しているにもかかわらず[Thaler 2017, 162-164]、現在のところ、独裁者オルテガ夫妻主導の権威主義体制は揺らぐ気配をみせていない。こうした強気の姿勢がどこから来ているのか定かではないが、たとえば、最近の論文でレヴィツキー(Steven Levitsky)は、ここ数十年で最も親民主主義的でないトランプ政権の、民主主義に対する無関心な態度が、中南米諸国の現存する/潜在的な独裁者たちに対し「たとえ独裁的に権力を行使しても、きっとアメリカからの強い反応はないだろう」という強力なシグナルを送ることになっていると警告している[Levitsky 2018, 1095。いずれにせよ、社会騒乱によって製造業や観光業などが大打撃を受け、マクロ経済も失速傾向にあり、雇用も大きく損なわれているなかで[La Jornada, 9 noviembre de 2018]、オルテガ夫妻ら権力者が、市民からの要求を拒絶する一方で警察の「軍隊化」や若者たちの教化を進め、自らの権力保持にますます頑なになっている姿をみると[La Prensa, 9 noviembre 2018; La Prensa, 11 noviembre 2018]、ニカラグア社会の安寧や発展への道はまだまだ険しそうである。

3. エクアドル

(1) コレア前政権関係者への捜査

エクアドルでは、ちょうどコレア前大統領が初就任した10年前(2007年)から退任直前の2016年までの、自由民主主義指標指標の単純な差でみれば、確かに低下がみられた。しかし、ここ数年でみれば、当の自由民主主義指標も緩やかに改善しており、選挙民主主義も表現や結社の自由も大きな変化はみられない。むしろ目を引くのが、2017年の、立法権や司法から執政権に対する制約指標の急激な改善であり、その背景には、コレア前大統領とモレノ(Lenín Moreno)現大統領との熾烈な権力闘争があった。

この国では2017年2月に総選挙が行われ、同4月の決選投票で与党・祖国同盟(Alianza PAIS)候補のモレノ前副大統領が勝利し、同5月に大統領に就任した6。就任前からモレノは、前任のコレア大統領による好戦的で強圧的な政治の仕方を暗に批判し、自らは野党や社会勢力と友好的かつ協調的な政治を行うと公言した。そして、政権発足後間もなくして、選挙中から取り沙汰されていた前政権下でのいわゆるオデブレヒト(Odebrecht)汚職疑惑や、前政権下で着手された大型石油プロジェクトの経営状況の徹底調査にふみ切ると、両大統領の関係が急速に悪化した。

2017年総選挙のキャンペーン期間中から、当時のコレア政権下で現役の副大統領であり、かつ、モレノの副大統領候補でもあったグラス(Jorge Glas)が、オデブレヒト汚職に関与していることは各種メディアでまことしやかに報じられていた。この疑惑は、総選挙からモレノの就任に至る期間中はいわば塩漬けにされていたが、汚職撲滅を掲げるモレノ政権が調査に本腰を入れだすや否や再び噴出した。8月初旬には、グラス副大統領のすべての権能の停止を命じる大統領令が出され、その後、エクアドル最高裁判所(Corete Nacional de Justicia: CNJ)からグラスに対して出国禁止命令が下された。10月初旬には、同じく汚職嫌疑がかけられていた彼の叔父リカルド・リベラとともに、予防拘留命令(orden de prision preventiva)が下され、キト拘置所への移送・勾留がなされた。グラスの拘置所への勾留により、一時的に副大統領が不在となったが、憲法規定に則ってモレノはビクーニャ(María Alejandra Vicuña)都市開発・住宅大臣を副大統領代行に任命した。翌月には検事総長が、グラスを、オデブレヒト社からの共謀収賄罪の主犯格として起訴し、最終的に禁固6年の実刑判決が下された。なお、オデブレヒト社をめぐる汚職以外にも、現在、前コレア政権に従事した31名の高官が関与したとされるさまざまな汚職や横領の捜査が進んでいる。また、当のコレア(ベルギー在住)に対しても、2012年にコロンビアのボゴタで生じたエクアドル野党議員バルダ(Fernando Balda)拉致監禁事件の影の首謀者だとする容疑をかけられており、政府がインターポールに対し彼へのレッド・ノーティス(国際逮捕手配書)を申請する一方、最高裁も正式に彼に対し出廷命令を下している。モレノ政権による、コレア前政権関係者に対する執拗な捜査や訴追・逮捕に対しては、当事者からのみならず、「司法の政治化」による「政治的迫害」や「政治的報復」であるとの非難もあがっている。なお、必ずしも犯罪行為ではないが、モレノ政権は、コレアが残した巨額の対外債務や、非効率で汚職の誘因を秘めるインフラプロジェクトといった「負の遺産」の清算に奔走しており、少なくともコレア期の国家主導型マクロ経済政策や公的資金配分のやり方とは決別し、新たに任命された企業家出身の経済財務相を先頭に、それに代わる有効な成長・配分モデルが模索されている。そしてモレノ政権が、「エクアドル国民に近代的で豊かな生活をもたらす効率的でクリーンな統治」というコレア政権下で作られた「神話」を打破し、より堅実な路線に舵を切るためにも、コレアをはじめ前政権責任者らが利己的に犯した罪(職権濫用や汚職や公金流用)の追及は、重要な意味をもつといえるだろう。

(2) 国民投票の実施と与党PAISの分裂

2017年10月はじめにモレノ大統領は、公営テレビ局の放送を通じて、さまざまな問題解決に向けて国民の意思を直接問うべく国民投票(consulta popular)を実施すると表明した。そこでは、憲法改正事項として、①汚職政治家の政治活動の禁止、②公職者の再選への制限(再選は一度まで)、③市民参加・社会統制審議会(Consejo de Participación Ciudadana y Control Social:CPCCS)の現メンバーの解任と、新たな暫定CPCCSの設置7、④鉱物資源採掘への制限の設定、⑤児童や青少年への性的犯罪の時効廃止という5つの質問についてその是非が問われ、同時に、⑥現行のキャピタルゲイン税法(「土地投機防止および税率設定に関する法律」)の廃止、⑦ヤスニITT保護地区の拡大の2点について国民に審判が委ねられることとなった。この国民投票の実施については、大統領からその旨が最初に表明された5月当初より、与党PAIS執行部などから、前コレア政権下での成果を覆すものとして非難の声が上がり、それを反映してか、大統領表明後の、憲法裁判所による、国民投票の合憲性の審査および承認手続きもかなり滞った。しかし結局モレノは、憲法裁の承認を待たずして、大統領令で、中央選挙管理評議会(Consejo Nacional Electoral:以下、「中央選管」)に対し2018年2月初旬の国民投票の実施を指示したが、この措置については、コレアや与党内のコレア派の人々から「違憲」「クーデター」だとして非難がなされた。

そしてまさにこの国民投票の是非をめぐって与党PAIS内の不協和音が広がっていく。まず10月23日、モレノ大統領は、与党PAIS幹部の人事異動を断行し、コレア派の中心人物であるパティーニョ(Ricardo Patiño)第二副党首らの任を解き、自派の大臣や政治家に替えた。その4日後、国民投票に関するPAISの幹部会のなかで、モレノは、コレア前大統領の二期目の施政を痛烈に批判し、PAISを去りたい者は去ればよいと述べ、ちょうどこの時期に行われた前述のグラスの勾留や、国民投票実施の是非をめぐってPAISの内部分裂があらわとなった。それから間もなくして(31日夜)、PAIS執行部内のコレア派の一団が、モレノのPAIS代表としての資格を剥奪し、新代表としてパティーニョ元第二副党首を据えるとの声明を出した。これを受けてモレノは、この声明の効力について(政党の各種認証を行う)中央選管に訴え、同審議会はそれが効力をもたないものと裁定した。なおこの時、前政権で内務大臣を務めたPAIS党の実力者・J.セラーノ(José Serrano)国会議長や、ビクーニャ副大統領代理などはモレノへの支持を表明し、PAISの内部分裂がいよいよ決定的となった。この党内「クーデター」を試みたコレア派の人々は、その後PAISを離れ、新たに政治運動「市民革命(Revolución Ciudadana)」を結成した。

さて、2018年2月4日に実施された国民投票は、米州機構(OAS)や南米諸国連合(UNASUR)による選挙監視のもと、とくに混乱も不正もなく無事に行われた。結果は、どの質問項目に対しても、およそ6割5分から7割の賛成票が投じられ、モレノ政権が勝利したといえる。なかでも注目されるのは、上記②③④への賛成が多数を占めたという事実であり、これは、コレア政権の「業績」に国民が否定的な態度を示しただけでなく、とくに②への賛成多数は、将来的にコレアが大統領としてエクアドル政治に返り咲く可能性が閉ざされたことを意味した。

(3) モレノ政権下での脱・ポピュリズム/脱・委任型民主主義

最近のポピュリズム論の多くが依拠するポピュリズムの定義によると、それは、社会が究極的に「穢れなき人民(=善=我々=味方)」と「腐敗したエリートや既得権者(=悪=奴ら=敵)」という敵対的かつ同質的なふたつの陣営に分かれており、そこでの政治はそうした「人民の一般意志」の現れであるべきだと考える善悪二元論的で「中心の薄弱なイデオロギー[ミュデ 2018, 14]」である。ただこうしたポピュリズム政治の問題点のひとつは、「救世主」としてのポピュリスト政治家や運動だけが、誰が「穢れなき人民」で「汚れた既得権者」なのか、そして、何が人民の「真の意志」なのかを規定しうる点である。つまり、ポピュリストが存在してはじめて、味方としての「人民」の属性も、敵としての「既得権者」のそれも確定されうるし、その範囲も状況に応じてさまざまに変化しうるのである8。よって、定義どおりでいけば、ポピュリスト政治家以外に、正しく人民の意思を代表しうる政治主体は必要なく、たとえば、国民の代表機構(立法権)や「社会の声」を代弁する組織(メディア、野党、各種社会団体など)は、本来なら無視されるべき存在へと堕する。またこうした「人民の意志」の至高性を強調するポピュリストのスタンスは、一方で、通常選挙のような間接的な意思表示よりも、国民投票のような直接的なそれが最優先されるべきことを意味し(plebiscitarian)、他方で、人民の一般意思が反映されて構成されるわけでない司法機関(最高裁、憲法裁判所など)が重視されないどころか、むしろ「人民の意志」を阻害しうるものとみなされる理由にもなる。

こうしたポピュリズムのロジックに沿ったコレア期の民主政治の形態こそ、オドンネル(Guillermo O'Donnell)が描いた「委任型民主主義」のそれであり9、それゆえまさに、モレノ政権が現在進めるのが、コレアが排除した市民社会組織との関係(再)構築や、暫定的な市民参加・社会統制審議会(CPCCS)による「水平的アカウンタビリティ装置」の再建という、脱ポピュリズム/脱・委任型民主主義という企てである。

就任早々モレノは、コレア流の「我われvs奴ら」の政治スタイルを打破すべく、コレアからは利己的で近視眼的と揶揄されてきた先住民運動や労働運動、また同じく「国民の敵」とみなされていたメディアや民間の企業家らとの対話の機会をもち、コレア政権下で悪評の高かった抑圧的措置(2013年半ばに公布されたコミュニケーション法やNGOの活動を統制・制限する大統領令など)の見直しを約束した。実際エクアドルのメディア環境もかつてよりは自由になり、また、このコミュニケーション法の改正に際して、モレノは多くのジャーナリストや、新聞やテレビ局の所有者、市民社会組織の人々らに協議を呼びかけた。なお、国会における改正議論では、コレア政権下でメディア規制の急先鋒であった担当部局(SUPERCOM)や、ジャーナリストやメディア所有者を委縮させた経済的罰則規定などの廃止が盛り込まれる予定である[El Telegrafo, 14 de mayo de 2018]。同様に、モレノ政権は、前政権下で設定された市民社会団体への監視・監督やNGO活動の登録・管理のルールを変更する一方、たとえば、コレア政権が進めた資源開発への抗議活動を「テロ」や「破壊活動」だとして政府から訴えられた農民や先住民活動家らに対して恩赦を与えた。とくに、コレアが強圧的に対応・排除していた先住民組織CONAIEに対しては、政府が接収したキト市内の本部建物を返還し、同じくコレアが閉鎖した先住民族大学や(先住民言語の)二言語教育の再開を約束した。こうして、前政権下における「10年間の取り込み(co-optation)と抑圧」の後、ようやく市民団体や社会運動にかつての勢力を取り戻す機会が訪れており、これまでのところモレノ主導の対話と協調の取り組みはなんとかうまく機能しているようである[De la Torre 2018]。

さて、コレア期のポピュリズム政治からの離脱を象徴しうるもうひとつの動きが、暫定CPCCSの成立である。上記のとおり、国民投票の主要な成果のひとつとして、有権者が、この国のアカウンタビリティ諸機関のメンバーの任命や評価を担う機関CPCCSの刷新に賛意を示したことが挙げられる。2008年の憲法では、統治の透明性を確保し、そこに市民からの声を反映させるべくCPCCSが新たに創設された。しかし実際は、この機関を構成する7人の理事はすべてコレアや与党PAISの関係者が任命されていたのであり、その意向に沿って、会計検査院長、司法長官、人権監視オンブズマン、中央選管のメンバーなどが任命されていた。そこでモレノは、国民投票の結果に則って、市民社会団体から提出された候補者リストから暫定CPCCSのメンバーを選定し、さっそくそれは、新たなオンブズマンや司法長官の任命や、コレア期に任命された最高裁(CNJ)、中央選管、憲法裁判所のメンバーを解任し、後任の選出プロセスに入ったが、こうした性急な動きは、暫定CPCCSの権限逸脱や政治的パージ・迫害だとの批判が(とくにコレア支持者のあいだから)なされた。なお、2019年3月23日に実施される統一地方選挙と同時に行われる新生CPCCSの評議員の選出によって、暫定CPCCSの仕事は終了することとなっている。

以上のような経緯で現在エクアドル民主政治は、コレア期の委任型民主主義の桎梏から解放され、その善し悪しはさておき、少なくとも「普通の民主主義体制」に戻ろうとしている。しかし、目下のところ何とか上手く乗り切れているように思えるが、その一歩先には深刻なジレンマがいくつも待ち構えているようにもみえる。たとえばそのひとつは、社会との関係である。同じくコレア政治からの脱却の一環としてモレノは脱・国家主導型経済を掲げ、いわゆるオーソドックスな財政政策を徐々に導入しているが(経済政策のソフトな右傾化)、これが、本来ならこうした政策に反対の労働組合や各種社会組織との、ようやく修復されだした関係を再び悪化させる可能性を大いに秘めるものだということである。これに、コレアからの「負の遺産」である膨大な財政赤字の解消と財政収入の安定化に向けたさらなる大規模鉱物資源採掘や水資源開発など、先住民運動にとってもセンシティブな問題が加わり、調整に失敗するどころか、もし万が一コレア同様、強権的・高圧的な対応でもとれば、モレノ政権と社会との緊張は一気に高まり、エクアドルに再び政治危機や混乱をもたらしかねない。実際、高騰する燃料価格をめぐって、政府に圧力をかけるべく、エクアドル最大の中央労組(Frente Unitario de Trabajadores:FUT)が大規模な動員を仕掛けるなど、早くもこうしたジレンマの兆候がみえ始めたモレノ政権にとっては、今後、国政の舵取りはますます難しくなるだろう[El Universo, 20 de septiembre de 2018]。

4. ブラジル

(1) テメル政権下の「民主主義の後退」?

ブラジルの選挙民主主義および自由指標に関しては、1985年から1990年にかけてのいわゆる民主体制の定着期に大きく改善されて以降、ほぼ変化なく推移していた。しかし、前者の指標に関しては、まずその公正さが2013年から緩やかに低下し、結社の自由は2015年にほんのわずか悪化、そして表現の自由は2015年から2016年にかけて急激に低下した。一方、自由指標については、「法の下の平等」が2015年から段階的に下降する一方、司法や立法権から執政権への抑制が2017年に急激に低下し、その変化は立法権からのそれにおいて著しかった。

このように自由指標が大きく低下するブラジルでの最近の大きな出来事は、2016年8月のルセフ(Dilma Vana Rousseff)大統領への弾劾の成立と、テメル(Michel Temer)副大統領による後継政権の樹立であろう。2017年に入って、確かに経済の分野では景気は徐々に回復傾向をみせていたものの、政治の分野では、同年5月以降、テメル大統領の政治生命にかかわる難局が再三彼を襲い、政治的に不安定な状況が続いていた。

まず2017年5月半ば、全国紙O Globoがテメル大統領に関するある録音テープを暴露した。その内容は、彼が、同年3月にブラジル最大の食肉加工会社JBSの会長と面会した際、当時収監中で、司法取引で自らの汚職を暴露しようとしていたクーニャ(Eduardo Cunha)元下院議長(与党PMDBの重鎮だがルセフ前大統領の弾劾を主導した人物)に対し口止め料を支払うよう促したというものであった。[LNDR, 18 May 2017]。それから数日後、この疑惑報道に憤慨した市民らにより、テメルの即時辞任と大統領選挙の前倒しなどを要求してブラジリアで数万人規模のデモが行われた。当初は平和的であったデモもやがて暴徒化し、農業省などいくつかの省庁に火を放ったが、警察部隊に鎮圧された10。こうした騒ぎにもかかわらず、テメルは辞任を拒否し、ますます支持率が低下した(当時の支持率は約9%)。翌月には、すでに告訴されていた2014年大統領選での不正献金の件でテメルは無罪放免となったものの、それはこの訴訟を担当した最高選挙裁判所判事らの多数がテメルに任用されていたからで、この判決は単にテメル政権への裁判所の服従姿勢を示したものにすぎないと揶揄された[LNWR, 15 June 2017]。

その後まもなくテメル大統領は、上記のJBS社関連の収賄容疑などの罪で検察庁から起訴された[LNWR, 29 June 2017]。しかし8月初旬の、連邦下院における「現職大統領への審理の是非を問う採決」でその訴えは退けられ[LNDR, 3 August 2017]、これにより最高裁判事も大統領在任中の司法手続きの停止を決定したため11、テメルは少なくとも大統領在任中にはこの容疑で審理されることはなく、政権を維持することとなった。この下院での採決に先立ち、テメルは、自他党議員らの票を固めるべく、ポークバレル資金の配分から豪奢な酒宴の開催まで12、あらゆる「努力」をしたという[LNDR, 2 August 2017]。

しかし、9月半ばに最高裁は、検察庁から公訴された新たな汚職(着服、収賄、司法妨害)容疑で、テメル大統領の捜査に着手するか否か、再び判断を迫られた[LNWR, 14 September 2017]。これは、テメル大統領の疑惑を執拗に追求し、彼にとって目の上のコブであったジャノ(Rodrigo Janot)検察庁長官による退任直前の「置き土産」であった。前回(8月初旬)同様、今回も連邦下院での採決に判断が委ねられ、テメルへの支持率の低さ(3.4%)から今回はさすがに難しいとの憶測も流れたが、10月末の採決で再びその訴えは否決された。つまりこれにより2018年末の任期終了まで、テメルへの起訴はないことが決定した[LNWR, 26 October 2017]。

このように支持率が大きく低迷するなかで放たれた数々の汚職スキャンダルを、辛くもテメルが凌ぐことができたのは、彼が、与党・ブラジル民主運動(PMDB)が主導する連立各党の議員を、大統領がもつさまざまな権限や資源を駆使して懐柔しえたからであり、それが一方では、立法権から執政権への権力抑制のメカニズムを弱体化させ、「自由」指標の数値の低下に表れたと思われる。こうして、少なくとも2017年に関し、ブラジルの民主政治は、1980年代の体制転換以降かつてない不安定さや堕落ぶりを露呈し、これを機に、それはいわば新たなステージに突入したといえるのかもしれない。

(2) そして、ボルソナロ新政権へ

このような政治状況を背景に、2018年10月初旬、テメル大統領の任期満了に伴う総選挙が実施され、同月末の決選投票で、自由社会党のボルソナロ(Jair Bolsonaro)下院議員が労働者党のアダジ(Fernando Haddad)元教育相を破り、初当選を果たした。これらの選挙結果に関しては、すでにいくつか詳細な報告がなされており、また紙幅の都合上、ボルソナロ新大統領の経歴や思想傾向や政策的方向性に関してもここではふれない[菊池 2018]。ただ一点、彼が「ポピュリスト」か否かについて付言すると、たとえば、軍事政権時代の称賛や、とくに左派への敵対的な姿勢、そしてさまざまな差別発言(同性愛者、女性、マイノリティなどに対する)などの過激な言動で、各種メディアではボルソナロを、たとえばアメリカのトランプ大統領、フィリピンのドゥテルテ大統領、ハンガリーのオルバーン首相など、いわゆる世界の右派ポピュリストたちと同列に論じがちである。しかし、すでにみたとおり、あくまでもポピュリズムのイデオロギーの核心は「世界が『穢れなき人民』と『腐敗した既得権者』という敵対的かつ同質的なふたつの陣営に分かれているととらえる善悪二元論」であり、彼がそうした類の言説を用いて、ブラジル国民を(いわば「真のブラジル人民」の像を掲げて)政治的に動員しようとしていない限り、彼をポピュリストとして扱うのは少し筋違いであろう。なお、ミュラー(Jan-Werner Müller)が指摘するとおり、既得権者への攻撃は、ある政治家を「ポピュリスト」と呼ぶための必要条件ではあるが十分条件ではない[ミュラー 2017, 4]。いずれにせよ、ボルソナロをどうしてもポピュリストと呼びたいのであれば、少なくともそこで依拠される明確な定義とその根拠が示されるべきだろう13

とはいえ、各種報道の論調を眺めていると、かつては泡沫候補でさえあったボルソナロを大統領の座に押し上げたのは、おもには、従来の政党政治のあり方や既存の政治家への不信や怨嗟や諦念という、党派的でない声であり、決して、彼の掲げる政策の独自性を、他候補の政策と慎重に比較したうえで、有権者が積極的に選びとったというわけでなさそうな印象を受ける。実際みたところ、彼や与党・自由社会党が、社会における確固たる支持基盤をもち、また政党として制度化されているとは思えず14、また、労働者党(PT)や民主社会党(PSDB)、ブラジル民主運動(PMDB)など既存政党の不調も勘案すると、ハゴピアンが近年のブラジル民主政治の特徴とした「垂直的なアカウンタビリティの断絶15」状態は今後もしばらく続くだろう[Hagopian 2016]。

ただこうして社会との繋がりが希薄化し、不振傾向にあるといえども、依然、既存政党が連邦議会で一定の有意な議席数を維持しているのも事実であり、ボルソナロ政権が安定した統治を行ううえで他政党の協力が必要である以上、たとえ、テメル政権からの流れで、司法機関が徐々に政治化されつつあるとしても、さまざまな経済・社会政策が極端に振れることはないように思われる(が、楽観的過ぎるであろうか)。もちろん一方で、たとえば、選挙期間中に生じたボルソナロへの襲撃事件や、決選投票前日に全国で展開された彼への抗議運動、反対に、選挙が近づくにつれエスカレートしたボルソナロ支持者たちによる暴力・誹謗中傷行為など、現在のアメリカのように、ボルソナロ政権の成立がブラジル社会の二極分断化を助長する可能性も否めず、彼が打ち出す諸政策の「効果」とも相まって、今後のブラジル社会に不寛容と暴力がはびこる可能性も否定できない。いずれにせよ、2019年1月1日に就任するボルソナロ大統領の今後の政治運営とブラジル社会の展開に注目である。

5. ドミニカ共和国

(1) またもコンティヌイスモ(continuismo)か16

すでにV-Demデータで確認したとおり、ドミニカ共和国の政治指標の変遷は、まず自由民主主義指標が2012年から右肩下がりに下降し始めた一方で、選挙民主主義の低下はここ2、3年の緩やかな傾向を示していた。また、表現および結社の自由も同じく微減であったが、「法の下の平等」は2014年から段階的に低下した。後者の指標の変化について、たとえば、2010年の憲法改正でそれまでの出生地主義が廃止され、この決定が遡って適用されることで、すでにドミニカ共和国の国籍を有するハイチ系住民への人権侵害(国籍剥奪)が生じうるという懸念が反映されているかもしれない。実際、2013年に憲法裁判所は、2010年以前にドミニカ共和国で生まれた不法移民の子供(大多数がハイチ人)には国籍を取得する権利がないとの判決を下し、それが甚だしい人権侵害であると国際的な非難を浴びた[LNDR, 27 September 2013]。しかし、メディナ(Danilo Medina)大統領はこの判決を合憲だとして支持を与え、また、ますます国際的な非難が高まるなか、野党各党も連帯してこの判決に支持を表明し、大統領に対し、国際的な圧力(脅迫)に屈せぬようにとクギを刺すほどであった[LNDR, 5 December 2013]。つまり、こうしたハイチ移民への人権侵害を、ドミニカ共和国の政治社会は一致団結して容認したということである。

一方、執政権に対する司法や立法からの抑制に関し、まず前者では、時期によって増減するものの、概して低調といってよい水準であり、尾尻も、近年のドミニカ共和国の政治問題のひとつとして「司法への信頼の低下」を挙げている。実際、民主化以降のどの政権下でも、司法は執政権に有利でかなり恣意的な判決を下しがちだったようであり、そこには「ドミニカ司法が政府に口出しできない現実」が存在するという[尾尻 2018, 69]。そして後述のとおり、こうした司法が与党から多大な影響を被るという傾向は、2012年からのメディナ現政権下でさらに顕著となる。

さてもう一方の、立法権からの抑制に関しては、2010年からいったんは微増したが、2012年から翌年にかけて急降下し、それ以降現在も極めて低い水準にとどまっている。たとえば、この指標が急激に悪化した2013年については、メディナ大統領および与党・ドミニカ解放党(Partido de la Liberación Dominicana:以下、解放党)による議会運営は、メディナ大統領への高い支持率(4月時点では70%)、経済状況の好転、そして、主要野党・ドミニカ革命党(Partido Revolucionario Dominicano:以下、革命党)の深刻かつ長引く内紛や断片化したその他の野党などが相まって、歳出の削減や増税など国民に不人気な法案の審議さえ、政府の思惑どおりに極めてスムーズに進んだ[LNRRC&CA, June 2013]。

こうした政治状況を、たとえばアメリカの民間シンクタンクCSISは、2013年末の段階で、ドミニカ共和国の与党・解放党の支配は、まるで「一党支配体制」下のそれであり、あらゆる国家機関もリソースを手中に収め、政治汚職も放免され、また野党の不甲斐なさも功を奏し、権力の抑制と均衡も効かず、同国の民主主義に少なからぬ損傷を与えていると報告している[LNWR, 21 November 2013]。この傾向は、有効政党数の変化でも確認でき17、筆者が計算したところ、たとえば2010年総選挙直後の議席数に基づいたそれが1.9党だったのに対し、つぎの2016年総選挙時点での有効政党数は1.4党にまで減少した。これに関し、2014年半ばに、かつては政権も担当した伝統政党の革命党が分裂し、その主要部が新たに現代革命党(Partido Revolucionario Moderno)を結成したが、長期の内部分裂からの脱却と党刷新によってしてもかつての勢いは挽回できず、この動きは単に与党・解放党に利しただけであった。

さて、2012年の就任以来二期にわたってドミニカ共和国を統治するメディナ政権は、今年8月に、二期目の任期4年の折り返し地点を過ぎた。現時点における重要な政治争点は、「一度のみ再選可」と規定する現行憲法の改正か、司法判断によってそれを迂回することで、彼が2020年の大統領選に「三選め」をめざして立候補しうるか否かという問題である[LNWR, 23 August 2018]。

現行憲法を改正し、大統領の再選禁止条項を解除する動きは、かつては独裁的な大統領に典型的なコンティヌイスモと揶揄されたが、とくに2000年代以降、ラテンアメリカの大統領政治では、再びひとつの流行りにさえなっている。

実は近年のドミニカ共和国の政治ではこうした大統領の延命の企ては決して珍しくなく、現職のメディナを含め、前任者もそのまた前任者も、再選規定をめぐって憲法改正を断行している[尾尻 2018, 69-70]。まず2002年に当時のメヒア(Hipólito Mejía)大統領(革命党)が、来る2004年の大統領選での自身の連続再選を可能にすべく、憲法規定中の連続再選禁止箇所を削除し、「一度のみ連続再選可」と変更した。ただしこの時、同時に「大統領経験者は退任後再び立候補できない」との文言を付け加た。その2004年大統領選では、結局、民主化以前の1996年から2000年に大統領を務めた解放党のフェルナンデス(Leonel Fernández)がメヒアに勝利し(民主化前も含めれば事実上の二選め)、その後、「一度のみ連続再選可」の規定を活用して2008年に連続再選(同三選め)を果たし、2012年まで政権に就いた。このフェルナンデス政権下でも2010年に憲法が改正されたが、そこでは「大統領経験者の退任後の立候補禁止」箇所のみが削除され、「連続再選は不可(=連続でなければ何度でも再選可)」とだけ規定し直された。それは、当時の野党・革命党党首とフェルナンデスとのあいだで、彼が次回2012年選挙に出馬しない代わりに、次々回2016年以降の大統領選ではその可能性を妨げないとの取引がなされたからだったという[LNDR, 27 January 2010]。そこで2012年の大統領選では同党のメディナが立候補し、彼が勝利するが、今度は、自らの支持率の高さを背景にメディナが2016年の大統領選への立候補を表明し、それに先立つ2015年に憲法修正に着手して「連続再選不可」部分を削除し、かつてメヒアが修正した状態(一度のみ連続再選可+大統領経験者の再立候補禁止)に戻して、やはり勝利した。すなわち現在、すでに規定にある「一度のみの連続再選」を果たしたメディナが、「三選め」をめざして、自身二度めの憲法改正にふみ切れるかどうかという局面なのである。

こうしたメディナの今回の企みは、前回同様に成功するのであろうか。たとえば、最近のラテンアメリカ諸国での、再選規定緩和をめざす憲法改正の事例をデータ化し、それを解析したコラレスの研究によると、現職大統領がそうした改正を成就させるには「権力の非対称性(power asymmetry)」が極めて重要だという。この非対称性を具体的に数値化する際には「議会における与党勢力の議席数」と「大統領の支持率」とが使用されるが、分析の結果、とくに後者の支持率(42%以上)こそがそうした試みの成否により大きな効果をもつとしている。さらに、司法の独立性がない場合に、人気のある大統領による改正の企てが阻止されうるとすれば、そこでカギを握るのが、大統領自身の与党の属性(制度的強靭さ、大統領への依存の低さ)だという[Corrales 2016]。これらの知見をふまえつつドミニカ共和国の現況をみておくと、まず、メディナ大統領の今年10月時点での支持率/不支持率は47.8%/45.3%であり、かつて90%近くまであった人気も急激に低下している18。ただし、大統領に対する支持一般ではなく、この再選問題に特化した質問では、約67%の回答者がメディナの三選を目的とした憲法修正を支持しないとしている点には注意を要する19。一方、与党・解放党については、確かに議会運営では圧倒的優位を占めるも、ことこの問題に関しては、上記のとおり、同党のフェルナンデス元大統領の思惑(四選)も絡んでおり、党内のメディナ派とフェルナンデス派間の重大な対立の火種となっている[LNWR, 23 August 2018]。実際、こうしたメディアの目論見に対しては、このところ勢いを盛り返しつつある野党はもちろん、すでに与党内部からも批判が出ており20、また、もしメディナが再再選をめざして憲法改正にふみ切ろうとすれば、解放党は分裂するだろうという声さえある21。以上をふまえると、もはや「政治慣習」ともいえるこれまでの現職大統領による利己的な改憲とは異なり、今後こうした慣習がいよいよ終わりを迎える可能性もある。

おわりに

ある政治学の教科書によれば、政治学者が政治体制に関心をもつのは、各国の「政治体制の違いが人々の享受できる自由を規定しうるから」[砂原ほか 2015, 43]であり、それからすると、目下、現代社会で最も正当とみなしうる政治体制は自由民主主義体制である。むろん慣例的に、「自由」を省略して単に「民主主義体制」と呼ばれるが、現在、世界の多様な民主制が概してダメージを被っているのは、皮肉にも、まさにこの省略されがちな「自由」(自由主義と立憲主義)の部分である。ご多分に漏れず、ラテンアメリカの民主制もとくにこの「自由」の部分に問題があり、本稿では、過去十年でその変化が顕著とされたニカラグア、ブラジル、ドミニカ共和国、そしてエクアドルでの、その政治的理由を探った。少なくとも現時点では、ボルソナロ新政権成立直前のブラジル、また、そもそも現職のメディナが「三選め」をめざすのか依然不明なドミニカ共和国の両国で、今後「自由」がいかなる方向で変化していくのかあまりにも不透明である。もちろん「不透明」なのは、ニカラグアやエクアドルの場合も同じだが、少なくとも「自由(とくに立憲主義の遵守)」の程度がほぼ最低ラインにまで落ち切った前者では、もはやそれが改善される方向の変化しかありえず、類似した状況のベネズエラの例をかんがみると、当面その可能性は低そうである。一方、後者のエクアドルについては、モレノ政権下での脱・委任型民主主義が功奏し、コレア政権下で蔑ろにされた「自由」の原則は着実に回復されつつある。むろん、この動きは、あくまでも自由民主主義体制の「正常化」ないし「通常化」のプロセスであり、モレノ政権が、今後、深刻な政治的対立や政治的不安定から逃れていることを意味しないのはいうまでもない。実際、モレノ政権の政策運営に対する社会からの圧力や異議申し立ては強まってきているわけだが、それは、エクアドルの民主制が「健全化」している証左であろう。いずれにせよ、現在、ラテンアメリカの政治体制は、かつてないほど多様な方向に動いているようであり、その意味で、どの国の政治からもますます目が離せない状況なのは間違いない。

本文の注
1  筆者は、過去はいざ知らず、少なくとも現時点でのメキシコのA.ロペス=オブラドール(Andrés Manuel López Obrador:AMLO)大統領やブラジルのJ.ボルソナロ(Jair Bolsonaro)大統領が、実際どこまで学術的に厳密な意味で「ポピュリスト」と呼びうるのかかなり疑問をもっている。むろん筆者の印象論にすぎないが、かなり穏健化し協調性を見せるAMLOの政治スタイルをかつてのような急進左派ポピュリストのそれとして描くのは実態に合っていないようだし、ボルソナロについての筆者の見解は本稿にて後述する。

4  この改革には、たとえば保険料の引上げや年金支給額を5 %削減することなどが盛り込まれていた。

5  これは、アメリカの財務省や国務省が、人権の蹂躙や汚職の罪で、オルテガ政権の政府高官に個別的な制裁を課し、また在ニカラグアのアメリカ大使らも、こうしたオルテガ政権への制裁を支持しているにもかかわらず、である。

6  2017年選挙の詳細については上谷[2017]。

7  この機関は、統治の透明性と社会統制を目的として2008年憲法によって新たに設置されたエクアドル政治おける「第4の権力」であるが、その構成員(審議員や審議員長)は一般市民のなかから選抜試験と面接で選ばれることになっている。その仕事は、たとえば、護民局(Defensoría del Pueblo)、会計検査院(Contraloría General del Estado)など国家の監督部局の局長を任命し、さらには中央選管の評議員や裁判所の判事らの任命などいわゆるアカウンタビリティ諸機関のメンバー構成に多大な影響を及ぼす。

8  この意味で、ポピュリズムの訳として「大衆迎合主義」を充てるのは誤解を招くものである。それは少なくとも筆者の印象では、ポピュリストが大衆に迎合しているのではなく、むしろ大衆が、ポピュリストの喧伝する「フレーム」に迎合させられているようにみえるからである。

9  委任型民主主義とは,執政長官(概して大統領)が,通常選挙や国民投票で表明された自身への支持を権力行使への「全面的な委任」と解し,議会や司法から権力の抑制を受けない状態を維持するのに全力を傾けるような民主政治のあり方のことである。

10  https://www.bbc.com/news/world-us-canada-40038650(2018年11月5日アクセス)

11  最高裁判所が現職大統領への起訴を受諾するか否か判断するには、連邦下院の承認が必要とされる[『サンパウロ新聞』、2017年8月14日]。

12  ポークバレルとは,概して立法府議員が,自選挙区のみで配分するために獲得する補助金や公共事業予算のことである。

13  また同様に、彼をアウトサイダーと呼ぶ論者もいるが、もしアウトサイダーの定義が「過去に一度も、選挙で選ばれた公職(elective office)に就いたことがないもの[Levitsk & Ziblatt 2018, 53]」ということであれば、1991年から連邦下院議員を7期も務めるボルソナロは断じてアウトサイダーではないだろう。

14  菊池の報告によれば、今回の総選挙でボルソナロの与党・社会自由党は、サンパウロ州やリオデジャネイロ州といった大選挙区を中心に52名の当選者を出したが、そのうちの47名は下院議員としては新人であったという。いわゆる「ボルソナロ・チルドレン」である[菊池 2018]。

15  垂直的なアカウンタビリティとは,選挙を通じて有権者から政党やその候補者に対して課される説明責任(を軸とした繋がり)のことである。

16  概してラテンアメリカの現職大統領などが、改正や新憲法の制定を通じて、憲法に規定された再選禁止規定を破棄ないし有名無実化しようとする政治的慣習のことである。

17  有効政党数とは,単に議会における政党の頭数を数えたものではなく,各政党の規模を政党数に反映させた指標である。

参考文献
 
© 2019 日本貿易振興機構アジア経済研究所
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