ラテンアメリカ・レポート
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論稿
移民増加がチリ経済に与える効果
北野 浩一
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キーワード: チリ, 移民, 労働, 経済効果
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2019 年 35 巻 2 号 p. 70-83

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要約

チリでは2000年代以降近隣国からの移民が拡大していたが、2017年からは首都サンティアゴにおいてハイチとベネズエラからの移民の急増が大きな社会現象となっている。移民のプル要因としては、所得面と治安面で出身国とチリとの格差が拡大していることがあげられる。移民に対して極端な排斥の動きが出ている国もあるが、チリでは高齢化する労働力を補い成長の原動力と位置づける意見が政府から出され、違法滞在者の取り締まりを強化する一方、合法的な受け入れ体制が整備され始めている。労働力不足が顕在化している今のうちに、移民の同化政策をすることが肝要である。

はじめに

チリはラテンアメリカ域内国のなかでは比較的均質な人種構成であるといわれてきた。域内の他の国々では、植民地期にアフリカからの奴隷労働の導入を大規模に行ったり、あるいは19世紀以降、中国・日本などアジアからも有色人種の移民を多く受け入れてきた歴史的経緯から、黒人人口やアジア系人口、およびそれらと先住民、ヨーロッパ系人種との混血が一定程度存在する。一方チリは、植民地期に北部の鉱山で黒人労働者を導入したものの気候の問題もあり定着せず、また国策としての移民はヨーロッパから農業開拓移民を南部に導入したのみであった。地理的にも、国土の東側は標高4000メートルを超すアンデス山脈、北側は広大な砂漠、東と南は海に囲まれているために、国境を越えた人の移動が起きにくかった。このため、住民のほとんどはマプチェ族など先住民と、スペインを中心とするヨーロッパ系人種の長い歴史を経た混血で構成されている。

しかし、近年首都サンティアゴの中心部では、人種構成に大きな変化が生じている。まず一見してわかるのが、中心部の市場やその周辺の露店で、黒人系の人たちが多く働いていることである。これまでも、一般的なチリ人より先住民の特徴を強く有するペルー系、ボリビア系移民が多くみられるようになっていたが、近年増えている黒人系移民は顔の色ですぐに識別できることもあり、ペルー・ボリビア移民よりも多い印象すらある。

2000年代以降、周辺諸国との賃金格差の拡大もあり、ペルー・ボリビアと国境を接する北部では、これら両国から移民が大量に入国していた。移民はサンティアゴの中心部にも働き口を求めて流入していたが、この両国からの移民は人種的にも民族的にも近接性が高かったため、同化も比較的容易であったといえる。しかし、ここ数年急増しているコロンビア、ハイチ、そしてベネズエラからの移民は黒人系比率も高く、サンティアゴ都市中心部に集中し、多くは違法就労状態であった。これまでチリの街中では黒人系の人びとをほとんど見かけることがなかったため、新しい社会現象として注目されている。

海外からの移民の流入については、欧米では議論が高まっており、国によっては極端な排斥の動きもみられる。一方チリでは現在のところ、移民流入増加の現象はマスメディアなどで盛んに報じられているが、目立った排斥の動きはみられず、NGOなどを中心に社会的同化を支援する活動も盛んになっている。また、政府側からは違法状態の解消に向けた動きが出ている。不法移民に対しては規制が厳しくなる一方、労働移民については、人口の高齢化というチリ社会の中長期的な課題解決に有効であり歓迎すべきという見方も打ち出され、法制度の整備が進められている。現状は合法的な労働移民にとっては好ましい政策がとられているが、今後景気の後退期で労働力が供給超過状態になった時に、競合するチリ人労働者がどういう反応を示すか予断を許さない。

本稿では、チリで近年起きている移民の急増について分析し、その経済的効果について検討する。まず、近年の移民動向を、とくに労働力という観点からデータを用いて時系列に示す。つづいて、チリに移民が急増している理由について、移民をひきつけるプル要因を経済的側面と制度的側面から検討する。最後に、移民の増加が、中長期の経済成長と賃金に与える影響について検討する。

1. チリへの移民の動向と特徴

チリの移民に関するデータは、おもに3つの情報源がある[Stefoni 2011, 17]。最も包括的なのはチリの統計局が実施する「人口・住宅センサス(Censo Nacional de Población y Vivienda)」であり、流出入数ではなく、その時点でチリに滞在している住民の総数を把握できる1。移民については、出身国や渡来した年の情報も含まれるためる基礎的な資料といえるが、実施されるのが10年に一度と、データの間隔が大きいのが問題となる。

この他には、社会開発省が実施する全国社会経済状況調査(Encuesta de Caracterización Socioeconómica Nacional:以下 CASEN)と呼ばれる大規模なアンケート調査がある。この調査は、本来貧困対策など社会保障分野の政策立案の基礎データであるため、所得に結び付く就業状況などの情報が詳しいという利点がある。また、移民の出身国などの情報も含まれるため、移民労働の状況把握に有効である2。調査の間隔が2年に一度であるため、年ごとの動向をつかみやすいが、あくまでサンプル調査であり、データ範囲を移民にしぼった場合サンプル数が少なくなるという欠点がある。

3つ目は、外国移民局が発表するビザの種別ごとの発行数がある。種別は、一時ビザ、労働契約ビザ、学生ビザ、定住ビザ、チリ国籍取得者、難民認定数に分かれている。このデータは、出身国、ビザの発給年、性別がわかり、かつ報告が早いために最新の動向がつかめるメリットがある。一方で、特定の個人が同一年に複数のビザを取得するケースもあり3、扱いには注意が必要である。

ここでは、比較的直近に実施された2017年のセンサスのデータをもとに全体像を提示し、これに移民局のデータを加えて今年になってからの直近の動向を示す。2017年現在のチリ居住者のうち、国外で生まれた者の数は74万6465名であった。これはチリの人口の4.35%に相当する。この15年前の2002年には18万7008人(1.27%)であったから、割合は急速に伸びたことがわかる。チリに入国した時期では、2010年~2017年が全体の66.7%であり、約3分の2がこの10年間に流入していることが明らかとなった(図1)。チリ移民局の推計によると、2015年の年初から2017年末時点の2年間で、チリ在住の外国生まれの人口の割合は、2.3%から5.3%に増加した。移民比率の全世界平均が4.4%であるから、チリはこの2年間で移民が少ない国から、多い国に様変わりしたことになる。

(出所)チリ2017年人口住宅センサス(http://www.censo2017.cl/)。

出身国でみるとペルーが最大で18万7756人で、移民全体の25.2%を占めている4。次いでコロンビア人が10万5445人、ベネズエラ人が8万3045人5、ボリビア人が7万3796人、アルゼンチン人が6万6491人となっている。近年急増しているハイチ人は6万2683人で全体の8.4%を占める(図2)。

(出所)チリ2017年人口住宅センサス(http://www.censo2017.cl/)。

チリ国内の居住地では、大きくばらつきがある。最も集中しているのはサンティアゴ首都圏州で、移民の65%がここに住居を有する。また、ペルー、ボリビアといった移民出身地の国境から近く、鉱山労働者が多く集まるチリ北部に位置するアントファガスタ州、タラパカ州は、それぞれ移民の8.4%、5.9%が居住する。注目すべきは、州の住民数に占める移民の比率であり、住民数自体が多いサンティアゴは移民の比率は7.0%にとどまるが、人口も少ない北部2州ではそれぞれ11.0%、13.7%と非常に高い割合を示している。

チリに来た移民はどういう業種に就いているのであろうか。2018年3月~4月に統計局が実施した労働アンケートを集計したBravo y Urzúa[2018]によると、市場や露天商などの売り手である商業が最も多く18%であった(図3)。次いで、チリの高所得家庭で一般的に利用される家事サービスに従事するものが14%であった。家事サービスは、これまでチリの南部出身の女性が多く就いていたが、雇用が不安定で賃金も安いことから、しだいになり手が減少していた。2010年代はじめから、ペルー出身の移民女性の多くがチリで家事サービスに従事している状況が指摘されてきたが、移民の多くが家事サービスに就く傾向が継続していることを示す6。また、レストラン・宿泊業が12%など、いわゆる単純労働が中心のサービス業で働く移民が44.5%も占める。製造業や、農林水産業・建設業といった生産面に直結する業種で働くものは併せて22.1%と少ない。

(出所)Bravo y Urzúa [2018, 7

職種別にみた図4では、移民の職種が特別な技能を要しないものが多いことがわかる。職種で最も多いのは非熟練労働(Trabajo no calificado)で33.6%、次いで販売員(Trabajadores de los sevicios vendedores)の19.8%となっており、このふたつで過半を占める。一方、科学者・高度人材(Profesionales científicos e intelectuales)と行政職・議員、経営者(Miembro del poder ejecutivo y legislativos y personal directivo)はそれぞれ11.3%、2.1%に過ぎず、移民の多くが低技能水準の職種についていることがわかる。

(出所)Bravo y Urzúa [2018, 13

近年の新たな移民の傾向としては、ベネズエラ、ボリビアからの移民が急速に拡大してきたことがあげられる。移民数の拡大は、既出の図1で示したが、より直近の国別の状況を示すために、毎年初に実施される統計局のアンケートをもとにしたデータ(表1)を用いる。これによると、2017年まで上位5位以内に入っていなかったベネズエラ出身者が3位で9%、ハイチ出身者が7.1%となっている。国籍の違いは、人種やその学歴の違いにも反映されている。

(出所)Bravo y Urzúa [2018, 3].

(注)データは、各年年初に実施されたチリ統計局のアンケートにもとづく。

2. チリへの移民のプル要因

(1) 経済的要因

チリへの移民が増えている要因のひとつには、域内諸国との所得格差の拡大がある。チリは1990年代から主力輸出財である銅など資源価格の堅調な伸びもあり、長期にわたり安定した経済成長を続けてきた[北野 2018]。一方、他のラテンアメリカ諸国は、好況期もあるものの変動が大きく、長期でみるとチリの1人当たりGDPは14905.6ドルに達し、域内の最高水準である。2010年代までは、1人当たりGDPはアルゼンチンが最も高かったが、2010年以降はチリが上回るようになり、その後は格差が開く一方である。域内平均と比較すると、2017年にはチリはラテンアメリカの全体平均を約68%も上回っている(図5)。移民の受け入れ国としてチリが急浮上しているのは、このようにチリの所得水準が相対的に高まっていることがあげられる。

(出所)CEPALSTATE/Database より抽出して筆者作成。

(注)縦軸は、1人当たりGDP(2010年米ドルを基準)。

一方、移民の送り出し国は、総じてラテンアメリカの1人当たりGDP水準の平均値を下回る国々である。1990年代には、1人当たりGDPでみるとチリより高い水準であったベネズエラは政治経済の混乱で経済発展は停滞し、最後にデータが公表されている2014年でも8513.2ドルである7。ペルー、コロンビアは近年成長軌道にあるが、チリとの格差は縮小していない。一方でボリビア、ハイチは1990年代の低い水準から離陸する傾向はみられない。ラテンアメリカ各国から多くの移民がチリに流入するようになっているのは、このように移民送り出し国とチリとの間で所得格差が拡大し、またチリが域内で最も高い所得が見込める国になったためと考えられる。

さらに、移民先の選好で重要になるのが治安面での優位性である。ラテンアメリカでは、戦争など大きな紛争は発生していないものの、殺人・誘拐の増加など市民の安全という意味ではむしろ悪化しているといわれる。Chioda[2017]によると、ラテンアメリカは世界で最も危険な10カ国のうち8カ国を占め、また世界の危険な都市上位50位のうち42都市がラテンアメリカである。チリに移民を多く送り出しているベネズエラ、ボリビア、コロンビアはいずれも、紛争状態にあるアフリカよりも危険度が高い国としてあげられている。図6には地図上に主要国の国名の下に10万人当たり殺人事件被害者数を示しているが、ベネズエラは最も多い62人で、次いでコロンビアの27.9人と続く。これに対し、チリは3.4人とラテンアメリカ域内で最も低い値を示している。このような治安面での優位性を評価して、多くの移民がチリを選好しているものと考えられる。

(出所)世界銀行 World Development Indicators Data Bank(http://datawrapper.dwedn.net/TmzH8/3/).

(注)2014年データ。だたし、ハイチ、ボリビアは2012年。

(2) 制度的要因

2018年3月11日に発足したピニェラ政権では、既に国民の大きな関心事になっていた新しいタイプの移民急増の問題について、新たな政策を打ち出した。その柱のひとつが、チリの経済成長戦略のなかに移民を有効に組み込むという考え方である。高度技能を有する移民に対しては、門戸を広げた。一方で、既に国民の懸念となっていたハイチなどからの違法移民に対しては、厳しい政策を打ち出している。

ラテンアメリカ諸国に国籍を有する人々にとって、チリへの入国はこれまでは難しくなかった。メルコスールに加盟する国々およびベネズエラは、自国の身分証明書があれば、チリに入国する場合ビザが免除されていた。そのため、いったんビザ無しで入国し、その後仕事がみつかれば就労ビザへ切り替えて長期間滞在することも可能であった8

ハイチも従来、ビザ免除国のひとつであったが、2018年4月16日に施行された新たな移民登録制度では、急増するハイチ人に対して厳しい措置が導入された。通常、ビザ免除国の国民が観光を目的として空路チリに入国する場合は、パスポートがあれば、入国時に空港の国境警察(PDI)により90日間の観光ビザが発給される。しかし新制度では、ハイチ人は、入国前にハイチにあるチリ領事館で領事館発行の観光ビザ(Visado Consular de Turismo Simple)か、「人道的理由に基づく家族用ビザ(Visado Humanitario de Reunificación Familiar)」を取得しておくことが必要になった。チリに居住者がいる者の配偶者か特別配偶者9、あるいは24歳以下の学生、子供で、かつ犯罪歴が無ければ後者のビザを取得可能であり、12カ月有効、かつその後永住ビザも申請可能である。しかし、これに該当しない場合は観光ビザ取得が必要となり、その場合はチリへの入国前にハイチのチリ領事館に、有効なパスポート、発行後90日以内の無犯罪証明書、ホテルの予約証明か招待状、無債務証明書、往復の航空券コピーを持参する必要がある。しかも、ビザの有効期間は30日で更新もできない。

これまでの制度では、ハイチからの移民はまず観光ビザで入国し、その後一時居住ビザか、就労ビザ、学生ビザに変更することをめざすというのが一般的であった。ただし、どの種類であってもビザの取得のために必要とされる書類は領事館や公証人事務所に何度も足を運ばないと準備できず、移民局窓口での手続きも煩雑で時間もお金もかかるものであることから、ビザの期限が切れても在留資格を変更したり更新したりせず、いわば違法状態での滞在者も多かった。今回の措置は、短期的観光であることを証明することがチリ入国前に求められることから、違法滞在を増やさないための措置といえる。

一方、ベネズエラからの移民に対しては、ベネズエラ人のための民主主義的責任(Responsabilidad Democrática para Venezuela)という区分が新規に導入され、1年間の有効期間とその後1年の延長、その後永住ビザ申請可という制度が適用された。ピノチェト将軍による1973年の軍事クーデター後、約20万人ともいわれるチリ人が海外に亡命したが、なかでもベネズエラは多くを受け入れ、ベネズエラ在住のチリ人は1971年の3000人から1980年には2万4千人にまで膨らんだ。今回の特別措置は、その歴史的経緯を反映してのこととされる[BBC Mundo, 11 de abril de 2018]。

2018年4月8日より以前にチリに入国し居住している外国人については、違法入国者は4月23日から30日以内に、また観光、居住ビザが失効しているものは90日以内に移民登録をすることが定められた。

3. 移民の経済効果

(1) 経済成長への影響

移民に関する研究は、さまざまアプローチの仕方がある。ここでは、移民がチリ経済にどのような影響を与えるかという観点から、近年の移民の増加を考えてみたい。とくに、チリのマクロの経済成長と賃金に対してはどのような効果を与えるのだろうか。

移民についての多くの見方と異なり、チリへの移民の多くは学歴も高く、就業率も高いという結果が出ている。チリ中央銀行の報告[Aldunate et al. 2018]によると、移民の約60%が労働人口(25歳から50歳)であるのに対し、チリ人のこの年齢層の比率は35%にすぎない。一方、65歳以上人口の比率は、移民が4%であるのに対し、チリ人は12%と高い比率を示す(図7)。

(出所)Aldunate et al.[2018, 5].

学歴については、移民の方がむしろ高いという結果がでている。25歳から50歳を構成するグループでみると、大学・高等専門学校を卒業したものの比率は、移民は36%でチリ人は31%と移民の方が高い。ただし、この値は移民の出身国によって大きく異なり、米国、スペイン、ベネズエラからの移民は、60%が大学卒であるのに対し、ボリビア、ペルー、ハイチ10からの移民は10%以下の水準となっている(図8)。

(出所)Aldunate et al.[2018, 5].

(注)国名の下のパーセンテージは、移民構成比率。

第2節で現在の移民の就業構造が低技能のものが多いことを示した。しかし、移民の教育水準でみると、けっして低学歴労働者ではないことがわかる。図9には、15歳~50歳人口の、学歴ごとの移民比率を示している。移民は非就学者では7%近くと比較的高い比率となっているが、一方、高等専門学校、大学と学歴が上がるほど比率が高くなる傾向を示している。図8の情報とあわせると、国籍による学歴分布を反映したものと考えられるが、このことから、チリについては一般的に移民は低学歴労働者が多いという構図はあてはまらない。

(出所)Aldunate et al.[2018, 5

チリ中央銀行では、移民流入の増加傾向を前提として経済成長予測を出しているが、移民の増加は、チリ経済に大いにプラスになると予想している。2018年9月の月例報告では、移民の増加をチリ経済の「成長の重要な原動力(un motor importante)」と表現している[Banco Central de chile 2018, 33]。その背景にあるのは、急速に進む高齢化である。国家統計局(INE)によると、2015年には人口の14.7%が60歳以上であり、2050年にはその比率が28%を超える予測となっている。人口1000人当たり13.6人というラテンアメリカで最も低い出生率もまた高齢化に拍車をかけている。このような人口動態にあるなかで、労働人口の多い移民の流入は、経済成長のけん引力となることが期待されている。

(2) 賃金への影響

移民の流入による受け入れ国側労働者の賃金への影響については、理論的説明と、実証による分析から研究がなされてきた。理論的には、単純に考えると労働市場の供給側の増加要因である移民増加は賃金水準を引き下げる方向に動くことが予想される。しかし、労働市場は、労働が本来均質なものでないため単純な一市場のモデルでは説明することができない。また、一般均衡の枠組みで考えると、労働賃金の低下は、企業の利潤を高め投資を拡大し新たな雇用を生み出す可能性もあり、移民の賃金への影響を一概に説明するのは難しい。 

実証研究では、米国社会における移民を事例に、移民数と労働者賃金の時系列的変化から影響力を測定する試みがなされている。Borja and Katz[2007]の研究では、1980~2000年について、メキシコ移民の流入により、労働市場で移民と競合関係にあると考えられる米国人高校中退者の賃金を短期的には8.2%、長期的には4.3%低下させた。また平均的な米国人労働者の賃金を短期的には3.4%低下させたものの、長期的には変化はなかったという結果を得ている。ほかにも、キューバ系移民の増加の影響を測定したCard[1990]などの研究があるが、いずれも移民増加による賃金低下の影響はあるものの影響はごくわずかという評価がなされている[リーソン・ゴチェノアー2016, 22-24]。

チリを事例とした研究でも同様の結果を得ている。2006年と2007年のCASENを用いた実証研究[Contrelas et al. 2012]では、移民がチリ人の賃金に与える影響はごくわずかとしている。興味深いのは、ほかの変数をコントロールした場合、移民のほうがチリ人労働者よりも賃金が15%~27%高いという結果である。これは、移民のほうが一般的なチリ人よりも教育水準が高く、所得の高い首都圏に集中しているという要因が強く影響している。近年は教育水準が低い移民も流入していることから、新たな移民の状況を反映していないが、中長期の移民政策を考えるうえで貴重な示唆を与えるものである。

結語

これまでのチリ国内の移民に関する議論では、外国人排斥というよりも、若くて優秀な労働力供給という視点からチリ経済へのプラスの貢献がおもに強調されてきた。新興国に対する資源関連輸出が好調な状況が過去10年以上続き、チリは未曽有の安定成長期にあるため、労働力不足が懸念される状況では移民は救世主ともいえる。1人当たりGDP水準でみても、また治安の面でもチリはラテンアメリカ域内で最も住みやすい国であるといえ、それが移民を引き付ける要因にもなっている。一方で、少子化にともなう人口の高齢化、それによる労働人口比率の低下は、中長期でみたチリ経済の最大の懸念となっている。若くて学歴も高い移民は、チリの中長期的成長の原動力としての役割が期待されている。

ただし、このような議論がなされているのは、現在チリが未曽有の安定的成長期にあるという点が前提となっているという留意が必要である。人手不足のためにつねに求人が埋まらず、新たに流入してきた移民も比較的容易に仕事をみつけることができる状況では問題は少ない。しかし、今後経済の下降局面はかならず訪れるのであり、過去のアジア危機の例などをみても、チリからの輸出の6割を占める銅の国際価格が下向くだけで、経済全体が深刻な不況に陥り、失業率も跳ね上がる。失業したり賃金が大幅に下がったりした時、チリ人は現在受け入れている移民に対して、中長期的経済発展の観点から今と同じような寛大な判断ができるのであろうか。さらに、良い仕事に就けない移民が、チリ人を標的にした犯罪に及ぶケースが出てきたとき、はたして移民反対の動きを抑えることができるのだろうか。

日本における外国人労働者、あるいは米国におけるヒスパニック系移民と違う点は、チリへの周辺国からの移民は、ハイチなどを除いて言葉や文化の壁が相対的に低いということである。同じカトリックという共通の宗教的価値基盤を有することも両者の理解を深めるために貢献すると考えられる。比較的受け入れ環境が良い今のうちに、移民の同化政策をすすめることが望ましい。

本文の注
1  チリ政府関係機関は近年情報公開を進めており、統計局が実施するセンサスに関しても個人情報を落としたうえで、インターネット上で街区(manzana)単位のデータ公開を開始している。本稿のデータもそれに依拠している。(http://www.censo2017.cl/microdatos/)。

2  社会開発庁が実施するCASENについては、個人情報を落としたうえで個票が公開されている。本稿ではこれに依拠したデータを用いている。(http://observatorio.ministeriodesarrollosocial.gob.cl/casen-multidimensional/casen/basedatos.php

3  たとえば、同一年に一時滞在ビザと就労ビザを得て、さらに国籍取得をするケースなどが一般的である。

4  ペルーからの移民については、2000年代初めの状況になるが、Stefoni[2002]に詳しい。ペルーからの移民に対しては、チリ人は「違法滞在者」として認識し、犯罪者と結びつけてみる偏見があるとする。

5  ベネズエラからの移民全体では、2015年以降だけでも150万人に達すると考えられている[宮本 2017, 12]。その多くは隣国に移住し約半数は隣国コロンビアに流失している。チリへは、コロンビアやエクアドルなどを経由して入るケースが多いとされる。

6  Stefoni[2011, 91-99]によると、家事サービス業従事者の権利拡大により、チリ人家庭の雇用者は、チリ人よりも労働者としての権利を主張しないペルーからの移民女性をより選好する傾向がみられる、と指摘する。

7  ベネズエラは政府公表を行っておらず、CEPALのデータベースにも2015年以降のデータはない。一方、民間調査会社(EIU)のデータを元にした坂口[2018]によると、ベネズエラの経済成長は2014年以降マイナスに転じ、2016年以降は、十数パーセントのマイナスを記録している。このことから、チリとの所得格差は、2014年以降、さらに拡大していると考えられる。

8  しかし、ビザ申請に必要である正式な就労契約を得るためには、居住許可証が必要であることが多く、そのためには正式なビザが必要という矛盾があった。そのためこの手続きも容易ではなかった。

9  チリでは2015年に「特別配偶者法(Acuerdo de Unión Civil)」が成立し、事実婚、同性結婚が法的に認められるようになった。

10  ただし、ハイチ人側にとっては、移民は国内の比較的高学歴層であり「頭脳流出」が懸念されている[久松2017, 86]。

参考文献
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