ラテンアメリカ・レポート
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論稿
コロンビアにおける初の左派政権誕生
柴田 修子
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2023 年 39 巻 2 号 p. 17-29

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要約

2022年に行われたコロンビア大統領選挙で、グスタボ・ペトロ候補が当選した。コロンビア初の左派政権誕生であることや副大統領候補がアフロ系女性であること、従来の伝統的政党の潮流を汲んでいないことなどから、今回の選挙は歴史的転換ととらえられている。そこで本稿では、歴史的転換がなぜ起こったのかを分析する。まず選挙制度改革によって左派勢力が参加する余地が生まれたことを概観し、選挙プロセスをたどりながらペトロの勝因を分析する。勝因として既成勢力への批判、左派勢力の一本化、社会運動の影響があったことを明らかにし、おわりに今後の展望を述べる。

はじめに

2022年6月19日にコロンビアで大統領選挙の決選投票が行われ、「コロンビアのための歴史的協定」(Pacto Histórico por Colombia:以下、「歴史的協定」)のグスタボ・ペトロ(Gustavo Petro)候補が当選した。ペトロの勝利は、コロンビアの大統領選挙において歴史的転換として注目を集めた。

歴史的転換としてまず、コロンビアで初の左派政権が8月に誕生したことが挙げられる。ペトロ候補が左翼ゲリラ組織M-19運動の元活動家であり、ベネズエラに「社会主義」をもたらした故チャベス大統領と交流があったことはよく知られている。彼は天然資源に依存する採掘主義から環境保護型産業への転換、自由貿易協定の見直し、富裕層への増税などを公約に掲げており、これまでの政権から大きな方向転換となることが予想される。第2に、初のアフロ系女性副大統領が誕生したことも注目された。フランシア・マルケス(Francia Márquez)は環境・社会活動家で、政治家としての経験がないものの予備選で3位となり、ペトロから副大統領候補に指名された。女性の副大統領としては初めてではないがアフロ系としては彼女が初めてとなる。第3に、二大政党制の流れが今回の選挙で断ち切れたことが挙げられる。コロンビアでは1991年憲法改正以降、保守党(Partido Conservador Colombiano)と自由党(Partido Liberal Colombiano)の二大政党制から、多党制への移行が徐々に進んできた。地方レベルでは独立系の市長や県知事が誕生していたものの、大統領選においてはこれまで二大政党制時代の系列に連なる候補者が選出されてきた。今回の選挙で初めて、その系列に属さない候補者が選出されたのである。

本稿ではこのような歴史的転換がなぜ実現したのかを、選挙プロセスをたどりながら分析する。左派の勝利は突発的に起きたのではなく、21世紀に入って左派系社会運動組織が大統領候補を擁立してきた流れが結実したものである。第1節でまず予備選挙の仕組みと二大政党制が緩やかに崩壊していく過程を明らかにする。つづいて第2節で主要候補者の特徴と主張をまとめる。第3節で第一回投票、第4節で決選投票の経緯を追いながら、ペトロの勝因を分析する。最後にペトロ新政権の展望を述べる。

1.予備選挙の仕組みと多党制への移行

コロンビアでは、20世紀半ばに起きた「暴力」を意味するラ・ビオレンシアと呼ばれる政治抗争とその結果としての軍事政権への反省から、1957年に保守党と自由党とのあいだに国民協定が結ばれた。これにより大統領は保守党と自由党から4年ごとに交互に選出され、議員は両党で折半することになった。協定の期間は1974年までとされたものの、その後も「談合民主主義」(二村 2011)と呼ばれるような二大政党制が続いてきた。そのことが市民を政治から排除し、ゲリラを生み出す要因となったことから1991年に憲法が改正され、多党制への移行を目指す選挙制度改革が行われた1。これにより政党結成の条件が緩和され、二大政党に属さない大統領候補が立候補することが可能となった。また、一回目の投票で過半数に達する候補者がいない場合、決選投票が行われることになった。選挙制度改革によって、二大政党の再編が進み、独立系候補が立候補する余地が生まれた。

二大政党制が崩れる兆しは、1998年の選挙に始まった。アンドレス・パストラナ(Andrés Pastrana)候補は保守党からの立候補にもかかわらず、自由党の一部と連合を組むことで大統領選に勝利したのである。2002年には「コロンビア第一」(Primero Colombia)のアルバロ・ウリベ(Alvaro Uribe)候補が当選したことで、初めて二大政党以外の大統領が誕生した。ただしウリベはもともと自由党で、候補者選出過程で離党して独自の政治組織を結成しており、二大政党の流れを汲んでいることは否めない。対ゲリラ強硬政策を打ち出して国民の人気を博したウリベは、大統領の連続再選を禁じていた憲法を改正して2期大統領を務めた。その後、ウリベ政権で閣僚だったマヌエル・サントス(Manuel Santos)が引き継ぎ、同様に2期務めた。2018年の選挙では民主中道党(Centro Democrático)2のイバン・ドゥケ(Iván Duque)候補が保守党と組んで統一候補となり、当選した。

このようにみてくると、二大政党制の枠組みは徐々になくなりつつあったものの、事実上その流れを汲む政権が続いてきたのがわかる。しかし一方で、21世紀に入ると左派勢力も大統領選挙で徐々に影響力をもつようになっていく。2002年には左派勢力が初めて大統領選に参加し、労働者中央連合(Central Unitaria de Trabajadores: CUT)の議長を候補者に擁立した。2006年の選挙ではウリベ候補が第一回投票で過半数を獲得したが、2002年選挙時の左派勢力が母体となった代替民主極党(Polo Democrático Alternativo)の候補が2位につけた。2010年の選挙ではペトロが代替民主極党から立候補し、得票率9%で4位となった。こうした新興政党はしかし、資金、人的規模で伝統的政党に及ばないという難点があった。その流れが変わったのが、2018年の選挙である。この選挙から規模の小さい政党が連合を組み、統一候補を出すようになったのである。イデオロギーが近い政党が集まることで、大規模政党に対抗できる余地が生まれた。決選投票で敗れたものの、この選挙でペトロ候補は得票率2位となった。

統一候補の選出は予備選挙と呼ばれる。予備選挙とは、ひとつの政党内、あるいは政治傾向が似ている複数政党連合内で候補者を一本化するための選挙であり、複数の政党が統一候補を立てる政党連合の予備選挙は、2018年から行われるようになった。大統領選と同じように有権者が連合に関わらず好きな候補者に一票ずつ投票を行うため、この時点で各候補者がどの程度国民の支持を得ているかを確認できる指標となる。それぞれの連合内で1位を獲得した候補者が、統一の大統領候補となる。2022年の予備選挙も2018年同様、上下院国会議員選挙の投票日に合わせて3月13日に行われた。

今回の選挙では、左派政党グループからなる「歴史的協定」、中道右派が集まった「コロンビアチーム連合」(Coalición Equipo por Colombia)、中道左派政党グループである「希望中道連合」(Coalición Centro Esperanza)の3連合が予備選挙を行った。「歴史的協定」からは450万票を獲得したグスタボ・ペトロ、「コロンビアチーム連合」からは216万票でフェデリコ・グティエレス(Federico Gutiérrez)、「希望中道連合」からは72万票でセルヒオ・ファハルド(Sergio Fajardo)が候補者として選出された3。各候補とも連合内では2位以下に大差をつけての圧勝であった。予備選挙で注目を集めたのは、「歴史的協定」の候補者だったマルケスである。政治経験がなくほぼ無名とされていた彼女がファハルドよりも多く78万票集め、得票率で第3位となったのである。「歴史的協定」からはペトロが選出されたため大統領候補には至らなかったが、ペトロから副大統領候補に指名され、ともに選挙戦を戦うことになった。

ドゥケ大統領が所属する民主中道党の候補者は、予備選挙の結果を受け出馬を取り止めて、グティエレス支持に回ることを表明した。また、国民統一党(Partido de la Unión por la Gente)4の候補は「コロンビアチーム連合」の予備選挙に参加したものの23万票しか集めることができなかった。これにより、伝統政党である保守党と自由党の流れをくむ有力な候補者はひとりもいなくなり、ウリベ元大統領支持を意味するウリベ主義が影響力をもたない大統領選挙となった。連合に参加しなかった独立系政党と合わせて、最終的に6人の候補者が大統領選に出馬した。「緑の酸素党」(Partido Verde Oxígeno)のイングリッド・ベタンクール(Ingrid Betancourt)は、選挙直前にロドルフォ・エルナンデス(Rodolfo Hernández)支持を表明して立候補を取り下げた。

予備選挙が終了した時点での支持率は、ペトロが32%、グティエレスが23%、ファハルドが10%、政党連合に参加しない独立系候補のエルナンデスも10%であった5

2.主要候補者の特徴と主張

(1)グティエレス、エルナンデス、ファハルド各候補

つぎに主要候補の政治経験とおもな公約についてみていきたい。ペトロについては次項に譲り、まずは3候補を確認する。

まず、グティエレスは1974年にメデジン市で生まれた。メデジン大学でエンジニアリングを学び、メデジン市の都市計画プロジェクトに参加した後2004~11年まで市会議員を2期務めた。2011年に国民統一党からメデジン市長選挙に立候補したが落選し、2015年の選挙では無所属候補として立候補して当選、2016~19年までメデジン市長を務めた。市議会議員の再選の際に国民統一党の支持を受け、2011年には同党から市長選に立候補するなど、もともとウリベ派とのつながりがあったが、現在は距離を置いている。

彼の公約は反汚職、経済成長、治安の強化、不平等の解消という4つの柱からなる。汚職に対する厳罰化、財政支出の削減、軍による対マフィア対策などを訴えているが、不平等の解消については、現行の社会保障制度や教育制度の拡充によって実現するとしている。ドゥケ政権下で行われた税制度改革を支持し、2019年から続いているベネズエラとの国交断絶については継続するとしており、政策としてはドゥケ政権に最も近い。

つぎにエルナンデスは、1945年にブカラマンガ市近郊で生まれた。建設業の実業家であり、政治経験は乏しい。2015年に無所属候補としてブカラマンガ市長選に立候補して当選し、2016~19年まで市長を務めたものの、選挙への不適切な介入で停職処分となった後、任期3か月を残して辞任している6。伝統的な政党から独立したアウトサイダーとして自らを位置づけ、クリーンな政治を訴えているが、彼自身も汚職の嫌疑をかけられている。選挙キャンペーンでは討論会を軽視し、発言はおもにSNSを通じて行った。こうした選挙手法や口語的な表現の多用、政治的バックボーンをもたない実業家であることなどから、「コロンビアのトランプ」という報道が多くなされた。

彼が最も重視する政策は、「反汚職統治者同盟」(Liga de Gobernantes Anticorrupción)という政党名に表されているように汚職対策である。報酬を提供することで市民による監視を奨励するシステムの構築や、汚職によって失われた資金を取り戻すための反汚職仮想機関の設立を提案している。また付加価値税の引き下げ、すべての高齢者への年金支給、ベーシックインカムの創設も行うとしている。

ファハルドは1956年にメデジンで生まれた。ロス・アンデス大学を卒業後に米国へ渡り、ウィスコンシン大学で数学の博士号を取得した後、コロンビアの大学で教鞭を取った数学者である。2003年に無所属でメデジン市長選に出馬し当選、2004~07年まで市長を務めた後、2012~15年にはアンティオキア県知事を務めた。メデジン市長時代には伝統的な政党との関係を断ち切り参加型予算を実施するなど、市民参加を促したことで評価されている。国政への参加は、2010年に「緑の党」(Partido Verde)の副大統領候補となったことに始まる。決選投票まで進んだが、国民統一党のサントスに敗北した。2018年の大統領選挙では自らの政治団体「市民の約束」(Compromiso Ciudadano)から出馬し、中道左派(緑の党、代替民主極党)が連合した「コロンビア連合」(Coalición Colombia)の統一候補となったものの、第一回投票で3位に終わった。

彼は若者中心の社会の実現を掲げ、教育政策に力を入れるとしていた。ネット環境の充実や高等教育における地域間格差の解消、科学技術革新による雇用の創出などを掲げた。

(2)ペトロ候補

ペトロは1960年にコルドバ県シエナガ・デ・オロ市で生まれた。若いときからマルクス主義に関心をもち、学生時代にM-19運動のメンバーだったことはよく知られている。エステルナド・デ・コロンビア大学を卒業後、ハベリアナ大学で経済学の修士号を取得した。1990年にM-19運動が合法政党となり、ペトロは1991~94年と1998~2006年まで下院議員、2006~10年と2018~22年まで上院議員、2012~15年までボゴタ市長を務めた7。大統領選には2010年と2018年に出馬しており、今回が3度目である。2018年には決選投票に残ったものの、ドゥケに敗北した。

極左から環境運動や先住民、アフロ系運動まで取り込んだペトロが掲げる政策のテーマは多岐にわたっている。そのなかで最も特徴的なのは、経済モデルの転換である。彼は持続可能な社会の実現を掲げ、採掘主義8から脱却し、生産重視の経済へ移行すると宣言した。コロンビアは石油輸出国であり、石炭、鉄鉱石、ニッケル、エメラルド、金などの鉱物も豊富である。これらが輸出に占める割合は50%以上であり、国にとって重要な外貨獲得源となっている9。その一方で、森林破壊や水質汚染などの環境の破壊および安全管理がつねに問題となってきた。ペトロは新規石油事業を停止し、大規模鉱山開発に対する採掘許可も与えないとしている。生産主義とは、具体的には農業のことである。農業部門の生産向上のため、放置されている豊かな土地を利用するための方策を講じるとした。農業部門からの不満が大きかった自由貿易協定の見直しや、国内での肥料生産の推進に加え、土地分配の実施も掲げた。これに対し、土地の収用を行うのではないかとの批判が上がったため、ペトロは副大統領候補のマルケスとともに4月、「誰のいかなる土地も収用しない」とする公正証書を作成した。

女性の権利保障も重要な公約のひとつである。民主主義の実現には女性の参加が不可欠であるとして、公職の50%以上を女性にすることを掲げた。シングルマザーに対しては、貧困ライン以上の収入を保障するとした。またジェンダー平等や性的マイノリティ、さまざまな民族の多様性を保障する政策を行うために平等省を創設するとしている。

その他のおもな公約としては、対暴動機動隊(Escuadrones Móviles Antidisturbios: ESMAD)の解体や軍隊の漸進的改革、兵役の非義務化などを挙げている。また2019年から国交が断絶しているベネズエラに関しては、国交を回復すると宣言した。

3.第一回投票―既成勢力への対抗

(1)投票結果

第一回投票は5月29日に行われた。直前の世論調査では、ペトロが40.6%で支持率第1位、第2位はグティエレスで27.1%となっており、この2名が決選投票に進むと予想されていた(図1)。しかし投票結果は、ペトロが43.33%、エルナンデスが28.15%、グティエレスが23.92%、ファハルドが4.20%で、ペトロとエルナンデスが決選投票に進むことになった10。ペトロはボゴタ市のほかカリブ、太平洋岸、アマゾン地域の18県で1位となった。エルナンデスは生まれ故郷であるサンタンデル県をはじめ中央部の13県を制した。ウリベ主義が根強いとされるアンティオキア県ではグティエレス候補が1位となったが、2018年選挙では得票率9.25%だったペトロが24%を獲得し、既成勢力に対する不満の強さが示された。

結果を受けてペトロは、現在争点となっているのは変革であり、自身が支持されたことはドゥケ政権やその政党の政治プロジェクトの敗北を意味している、との演説を行った11。エルナンデスは、政府システムとしての腐敗を終わらせたいという市民の強い意志に全力で答えると勝利宣言を行った12。グティエレスは敗北を認め、エルナンデスを支持すると宣言した。演説のなかで、ペトロが権威主義的なポピュリストであり、民主主義や自由を脅かす危険人物であることを改めて強調した13。ファハルドはどちらを支持するか表明しなかった。

(出所)INVAMER(2022: 17)をもとに筆者作成。

(2)なぜグティエレスは敗れたのか

選挙結果は、大方の予想を裏切るものであった。なぜエルナンデスは躍進したのか。エルナンデスは主要候補者が顔をそろえることになっていた第一回投票前の最終討論会を直前にキャンセルし、それ以後一切討論会に出席しなかった。また、全高齢者への年金支給やベーシックインカムなどの公約には財源が示されておらず、政策が支持を得たとは考えにくい。SNSを駆使して広い層に訴えかけ、敵/味方の二分法でシンプルな主張を展開するエルナンデスの手法が、一定の支持を集めたととらえるべきだろう。

ではなぜ、グティエレスは支持を伸ばすことができなかったのか。グティエレスはもともと国民統一党とつながりがあり、ウリベ主義の継続者とみなされてきた。現政権である民主中道党の候補者は予備選挙後に出馬を断念し、グティエレス支持を表明している。グティエレス自身は既成政党とのつながりを否定し、出馬にあたって既成政党ではなく独立的に市民の票を集めたことを強調してきた14。副大統領候補には医師でありクリーンなイメージの人物を指名している。しかし公約をみるかぎり、現政権の枠組みのなかで外国投資を増大することで経済成長を目指し、汚職対策や治安強化、貧困層の生活改善に取り組むという立場であり、現政権に最も近い政策であることは否めない。実際に3月に行われた世論調査では、66%の人々がグティエレスをウリベ主義の候補者だとみなしていた15

表1は、2022年5月に調査会社INVAMERが行ったアンケートで、各回答者の政治傾向と予定投票先を示したものである。それぞれの政治傾向は自己申告で、左派が21.0%、中道が23.8%、右派が34.4%、無党派が20.8%となっている。ペトロが左派の83.0%の支持を得ている一方で、グティエレスは右派から44.5%の支持しか受けていない。右派のなかにペトロ支持者が20.7%おり、変革への期待をもつ人が一定数いることがわかる。また無党派層のなかでグティエレスを支持する人はペトロ、エルナンデスに比べて低く、批判票を取り込めていないことを示している。

(注)( )内はそれぞれの政治傾向の割合。

(出所)INVAMER(2022: 18)をもとに筆者作成。

ファハルドもまた、票を伸ばせないまま第一回投票で敗退した。知名度が十分にあったにもかかわらず票が伸び悩んだ理由は、立ち位置の曖昧さにあった。既成政党に対する批判の急先鋒はペトロであり、ファハルドは革新的な候補としてアピールすることができなかった。伝統的政治の流れを組むグティエレスと左派的な公約を掲げるペトロのどちらでもない「第三の道」の立場は、左右どちらでもなくかつ政治的に未知数のエルナンデスに奪われる形となった。

2018年選挙では和平合意が重要な争点だったが、合意の見直しはもはや争点になり得ず、すべての主要候補者が履行の推進を公約に掲げた。国民の関心は汚職、治安対策、経済格差に移っており、それらを解決するには既定路線ではなく構造変革の明確なビジョンを示すことが求められた。それを示すことができた唯一の候補がペトロであり、グティエレスは既定路線候補として中道や右派からも批判にさらされる結果となった。

4.決選投票―左派対反左派

(1)選挙結果

決選投票は、6月19日に行われた。両候補が討論会を一度も開催しないという異例の事態であり、争点は政策論争ではなく左派か反左派かをめぐるものとなった。ペトロに対しては、「コロンビアのベネズエラ化」や「悪い社会主義がもたらされる」などの反対キャンペーンが行われた。コロンビアでは大統領選挙の投票率が概して低く50%を切ることが多かったが、今回の選挙では投票率は約58%であり、国民の関心の高さが示された。結果はペトロが50.44%、エルナンデスが47.31%でペトロが勝利し、コロンビア史上初の左派政権の誕生となった16。第一回投票でグティエレスが優勢だったアンティオキア県でエルナンデスが63.94%を獲得したほかは、両候補が得票率で首位となった県は第一回投票とほぼ同じである。第一回投票が終了した時点で、ファハルドを除く全候補がエルナンデス支持を表明していた。それらの票がすべてエルナンデスに入った場合1133万票以上となり、エルナンデスが勝利する可能性もあったが、実際に獲得したのは1058万票であった。

ペトロは開票日にボゴタ市内のスタジアムで、コロンビアに真の変革がもたらされたとして勝利宣言を行った。そのなかで平和、社会正義、環境正義を新政府の3本柱に掲げて、コロンビアが世界的課題である気候変動に立ち向かう姿勢を示し、多様性を認めながら憎しみではなく愛によってひとつになることを呼びかけた。一方で資本主義を発展させることも約束した。これは第二のチャベスという批判に応えるもので、資本主義が問題なのではなく、前近代性が残されていることが課題であると明言した17。エルナンデスもビデオメッセージを発信して敗北を認め、ペトロが演説のとおりに汚職に立ち向かい、彼を信じた人々を裏切ることがないよう望むと語った18

(2)ペトロの勝因

ペトロは2010年と2018年に続き、3度目の出馬で当選した。ペトロが勝利した背景として、左派勢力がひとつになったこと、および社会運動の影響が考えられる。

表2は「歴史的協定」に参加した政党を示したものである。2018年の選挙では、左派政党グループがペトロを擁立する「ペトロを大統領に」(Coalición Petro presidente)とファハルドを擁立する「コロンビア連合」(Coalición Colombia)に分かれており、代替民主極党と「緑の同盟」(Alianza Verde)はファハルド候補の連合に参加していた19。代替民主極党はM-19民主同盟(2003年に解散)や1985年のコロンビア革命軍(Fuerza Armada Revolucionaria de Colombia: FARC)と政府の合意で創設された愛国連合、労働運動、市民運動などさまざまな左翼政治運動の連合体であり、ウリベ候補が圧勝した2006年の選挙では、自由党を破って第2位につけた。どちらの党も国政および地方に一定の勢力を有している。今回はペトロ候補の「歴史的協定」におもな左翼政党が集約されており、左派勢力が初めてひとつになったといえるだろう。

3月13日に行われた国会議員選挙でも、左派勢力は躍進した。「歴史的協定」は上院で前回の8から16議席に、下院では4から25議席に増加した。また緑の同盟(連立)も上院で9から14議席へ、下院で9から11議席となった。一方民主中道党は上院で19から14議席、下院で32から16議席と大幅に減らした。2018年の選挙で和平合意の見直しを公約に掲げて選出されたドゥケ大統領は、国内の治安の悪化を招き、汚職問題や当局による暴力に対する批判にさらされることになった。彼の支持率は総じて低く、2022年5月時点で27.5%となっていた。特に若者からの支持が低く、55歳以上の人の41.6%が支持しているのに対し、18~24歳の人の支持率は15.6%であった20。ドゥケ政権に対する批判が、大統領選挙にも国会議員選挙にも表れている。

(出所) “Pacto Histórico: conozca a los candidatos que conforman la coalición.” El Tiempo, 7 de marzo 2022. および古賀(2019)をもとに筆者作成。

コロンビアでは2019年に42年ぶりとなる全国ストが行われて以来、学生や労働組合、環境活動家、先住民運動などさまざまなアクターによる大規模な抗議行動が行われてきた。2021年には税制改革をめぐる不満から全国各地で抗議行動が展開した。政府が改革案を撤回した後も勢いはとどまらず、カリなど一部の都市では抗議行動が激化して多数の死傷者が出る事態となった。これらの社会運動は、今回の選挙にどのような影響を与えたのだろうか。

一連の抗議行動はドゥケ政権への不信感の表れであるとともに、コロンビア国民のなかに短期的な処方箋ではなく構造的な変革を望む声が高まっていることが示された。今回の候補者のなかで、変革に対する明確なビジョンを提示したのはペトロであり、その姿勢は抗議行動が起きた当初から一貫している。ペトロは当時上院議員であり、抗議行動に関与する立場にはなかったが、ボゴタのデモ行進に直接参加することで運動への理解をアピールした。その際、テレビ局のインタビューに答えて、政府が全国スト委員会の代表と対話する代わりに警察や軍を投入して暴力的に鎮圧しようとする姿勢を強く非難した。ペトロによれば、これまでの政権は人々の暴力に対する恐怖をあおることで票を得ており、今回の混乱も彼らに政治的利益をもたらすという。彼は税制改革に反対したことや石油依存から生産主義への転換を主張していることなどを挙げ、ドゥケ政権の経済政策に批判的な立場を強調したした21

一連の抗議行動では、若者が中心的な役割を果たした。今回の選挙で彼らの支持を最も集めたのはペトロである。INVAMER社の調査によると18~24歳の53.0%、25~34歳の45.4%が第一回投票でペトロに投票すると答えている22。彼らの期待に応えるかのように、当選直後の演説では、検事総長に対して抗議行動で逮捕された若者たちの釈放を呼びかけた。

独立系メディアのLa Silla Vacíaは、国会議員選挙の投票傾向を分析し、ボゴタやカリ市内で最も抗議行動が激しかった地区において「歴史的協定」の得票率が非常に高かったことを明らかにしている。デモのあいだ衝突が激しかった地区では、若者を守る住民組織が生まれ、活動家同士が知り合うことでペトロ支持が広がっていったという。また、抗議行動の際に各地区でストを率いた指導者やスポークスマンが「歴史的協定」の候補者リストに名を連ねた。社会動員プロセスの研究者であるビクトリア・ゴンサレス(Victoria González)は「かつて社会運動に参加する人々は、選挙に不信感を持っていた。しかし今では逆に、抗議行動を投票に結びつけなければならないと考えている。苛立ちや怒りをどこかに向けなくてはならない」として、一連の抗議行動が投票に影響を与えたことを指摘している23

また、副大統領候補のマルケスが果たした役割も大きい。1981年カウカ県スアレスのアフロ系コミュニティで生まれた彼女は、16歳でシングルマザーとなり、金採掘や家事労働をしながら生活を支えてきた。2009年に故郷の土地で多国籍企業が開発を始めたことに対する抗議運動を行ったことで、パラミリタリーの脅迫を受けるようになる。しかし、それにひるむことなくコミュニティの権利、人権、環境保護などの観点から活動を続け、2014年には「ターバンの行進」と呼ばれるアフロ系女性によるカウカ県からボゴタ市までのデモ行進を主導した。これらの功績により2015年にコロンビアの人権擁護賞、2018年にゴールドマン環境賞を受賞するなど、国際的に知られる社会運動の活動家となった。マルケスの人生には、地域間格差や採掘主義によるコミュニティの排除、パラミリタリーの暴力など、コロンビアが抱えるさまざまな矛盾が凝縮されている。そうした環境を変えるための活動を継続してきた彼女は、変革を目指す象徴的な存在となったのである。

写真 式典に出席するマルケス副大統領とペトロ大統領(2022年6月23日、AP/アフロ)。

おわりに

本稿では、コロンビアの2022年大統領選挙を取り上げた。コロンビア初の左派政権誕生であり従来の伝統的政党の潮流を汲んでいないことや、副大統領がアフロ系女性であることから、今回の選挙が歴史的転換であると指摘し、それがなぜ起きたのかを考察した。歴史的転換には、選挙制度改革によって左派勢力が参加する余地が生まれたことが背景にあり、今回の選挙では左派勢力が一本化した点を指摘した。さらに、既成勢力への不満が2019年からの一連の抗議行動につながり、構造的な変革を求める声が高まってペトロ支持層を形成したと分析した。最後にペトロ政権はどこへ向かうのか、今後の展望を記しておきたい。

決選投票直後の演説のなかでペトロは、コロンビアが分裂を乗り越えて融合する必要性を強調し、党派を超えた国民大合意を結ぶことを呼びかけた。「歴史的協定」は議会で議席数を伸ばしたものの過半数には遠く、ペトロは就任前から積極的に多数派工作を行った。その結果、保守党と自由党を含む多くの政党がペトロ支持に回り、反対派は民主中道党、緑の酸素党、エルナンデスの反汚職統治連合のみとなった24。新政権の大臣の顔ぶれも、国民大合意にふさわしいものとなった。保守党、自由党、共産党、愛国連合など、イデオロギーの異なる政党からそれぞれ大臣が指名されている。

一方で採掘主義からの脱却や対暴動機動隊の解体と軍隊の民主化など、構造改革を見据えた人事もみられる。鉱山エネルギー大臣には、副大統領となったマルケスの選挙を支え、鉱山開発に反対の立場をとる環境活動家のイレネ・ベレス(Irene Vérez)を任命した。また、国防大臣に任命されたイバン・ベラスケス(Iván Velásquez)は人権擁護派の法律家で、2013~19年までグアテマラ無処罰対策国際委員会(Comisión Internacional contra la Impunidad en Guatemala: CICIG)25委員長を務めていた人物である。採掘主義から生産主義への転換や軍および警察の組織改革は、ペトロが掲げるコロンビアの変革の中枢をなす政策であり、政治家としての経験はないがペトロと同様な方向性の人物が指名された。

大統領就任翌日に税制改革法案を提出するなど、ペトロ新政権は着々と公約実現に向けて動いているにみえる。まず果たした公約は、ベネズエラとの国交回復である。マドゥロ大統領再選の承認をめぐって対立したことから、2019年2月から両国は国交が断絶していた。8月28日に両国の大使がそれぞれの国に着任し、国交正常化に向けた歩み寄りを始めている。さらに9月には農地改革を発表した。これは19県の農民、先住民、アフロ系住民に対し、計68万ヘクタールの土地権利書を付与するものである26。農地改革はFARCとの和平合意の柱の一つである「包括的農村改革」に含まれており、合意履行という観点からも重要である。政府はさらに推進する姿勢をみせており、10月には、農地改革に充てるために300万ヘクタールの土地を購入することで、コロンビア畜産連盟(Federación Colombiana de Ganaderos: Fedegán)と合意した27。一方で産業構造の転換は長期的ビジョンであり、拙速に達成できるものではないだろう。コロンビアが資本主義の国であることは勝利演説で明言しており、一部に喧伝されたようなチャベス型社会主義への移行は起こらないと筆者は考える。

ペトロを勝利に導いた「歴史的協定」は、環境問題、労働問題、マイノリティの権利保障などさまざまな主張をもつ運動の集合体である。ペトロ新政権は、そこにさらに異なるイデオロギーを取り込んで成立している。政治とは限られたパイをどのように分配するかであり、全員が満足する政策は存在しない。反対勢力を敵視し排除するポピュリズムに陥れば、変革を期待した有権者を裏切ることになる。コンセンサスを得ながら緩やかな変革をめざすバランス感覚に期待したい。

本文の注
1  2003年に再び選挙制度改革が行われ、選挙で一定の得票率を満たさない場合は、政党として認められないことになった。

2  和平合意をめぐってサントスと対立したウリベが2013年に結成した政党。

4  ウリベ再選のために2005年にサントスが結成した政党。ウリベがサントスと袂を分かつまでは、ウリベ主義の政党だった。U党とも呼ばれている。

7  2014年3月にゴミ収集事業の公営化をめぐる混乱により罷免され、4月に復帰した。

8  採掘主義は環境破壊や地元コミュニティの強制排除を伴う場合があることから、世界的に反対運動がみられ、コロンビアも例外ではない。

9  “Boletín Técnico.” DANE, 3 de octubre, 2022.

10  “Elecciones presidenciales 2022 resultados primera vuelta.La República (2022年5月30日閲覧).

14  Inés Santaeulalia, “Fico Gutiérrez: ‘Yo represento todo lo contrario a Petro’.El País, 11 de diciembre, 2021.

16  “Elecciones presidenciales 2022 resultados segunda vuelta.La República (2022年6月20日閲覧).

17  “Discurso de Petro como presidente electo de Colombia.CNN en Español, 20 de junio, 2020.

19  「変革のための緑同盟」から立候補したカミロ・ロメロ(Camilo Romero)は元ナリニョ県知事で、「緑の同盟」所属である。連合への参加について緑の同盟党内の合意を得ることができなかったため、別の政治組織として参加した。

20  “Colombia Opina 12 Mayo 2022.” INVAMER (2022: 49).

22  “Colombia Opina 12 Mayo 2022.” INVAMER (2022: 18).

23  Paula Doria, Nicole Bravo y Manuela Galvis, “El paro le votó a Petro.” La Silla Vacía, 23 de marzo, 2022.

24  Andrés Felipe Lara Molano, “Partidos políticos, ¿cuáles apoyan al gobierno de Petro?Wradio, 7 de septiembre, 2022.

25  グアテマラ無処罰対策国際委員会(CICIG)とは、同国の不処罰問題に対処するために設置された国連機関である。汚職と不処罰防止の制度化に取り組んでいたが、2019年にグアテマラ政府の一方的な協定破棄によって活動停止させられた。

26  “Reforma agraria se inicia con titulación masiva en 19 departamentos.” 農業・農村開発省 (Ministerio de Agricultura y Desarrollo Rural) ,21 de septiembre, 2022.

引用文献
 
© 2023日本貿易振興機構アジア経済研究所
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