ブラジルでは2022年に行われた大統領選挙において、史上最も僅差となった決選投票の結果、左派の労働者党のルーラ元大統領が、現職のボルソナロ大統領に勝利した。そして2023年、過去に2度政権を担ったルーラの第3次政権がスタートした。政権交代したブラジルについて、本稿では民主化以降の変化と同国が歩んできた方向性を中心に解説する。その際、筆者が2013年に出版した『躍動するブラジル―新しい変容と挑戦』から10年後となる現在のブラジルにとって、2010年代半ばがひとつの転換期だったと考える。新型コロナが直撃したボルソナロ政権を総括したのち、ルーラ労働者党政権が返り咲いたブラジルについて論じる。最後に、ブラジルで進んだとされる分極の問題に関して、第3次ルーラ政権では修復が難しいのではないかとの見解を含め、今後の展望を述べる。
ブラジルでは2022年10月に行われた大統領選挙において、史上最も僅差となった決選投票の結果、左派の労働者党(Partido dos Trabalhadores:PT)のルーラ(Lula da Silva)元大統領が、現職のボルソナロ(Jair Bolsonaro)大統領に勝利した。そして2023年1月、過去に2度(第1次が2003~06年、第2次が2007~10年)政権を担ったルーラの第3次政権がスタートした。今号では「政権交代したブラジル」と題して、民主化以降の変化とブラジルが歩んできた方向性を中心とした本稿に加え、政治と経済に関する3つの論稿の特集を組み、ボルソナロ政権の総括やルーラ政権の今後について論じる。
はじめに本稿では、軍政期から民主化した以降のブラジルの変化をたどる。その際、筆者が編者として2013年に出版した『躍動するブラジル―新しい変容と挑戦』(近田 2013)を取り上げる。『躍動するブラジル』では、21世紀初頭に「新しいブラジル」(Roett 2010; Fishlow 2011)と称された同国にとって、何が転換期(点)だったのかを各分野で見い出し、その後の変化や発展の方向性について論じた。民政移管後の1980年代後半を「新しいブラジル」への転換期として、ブラジルは21世紀初頭までポジティブな発展を続けていた。しかし、『躍動するブラジル』から2023年までの10年間を総観すると、2010年代半ばからブラジルではネガティブな変化が続き、当時が同国の方向性にとって新たな転換期だったと考えられる。
第2節では、新型コロナウィルス(以下、新型コロナ)が直撃したボルソナロ政権に関して、コロナ禍における軍出身の大統領の言動に焦点を当て総括する。第3節では、2023年1月8日に発生したブラジリア三権施設襲撃事件や、選挙中に争点化した「民主主義」に注目し、ルーラ労働者党政権が返り咲いたブラジルについてまとめる。最後に、環境問題や再び活発化した外交を取り上げ、国民間の分極が進んだとされるブラジルと第3次ルーラ政権の今後を展望する。
本節では前出の『躍動するブラジル』もとに、軍政期から現在までのブラジルの変化をたどり、発展の方向性にとっての転換期を提示する1。
ブラジルは1964年から独裁的な軍事政権下にあり、政治的な自由は大きく制限されたが、1970年前半に「ブラジルの奇跡」と呼ばれる高い経済成長を記録したこともあり、軍政がラテンアメリカ諸国中で最長の21年間続いた。しかし、債務問題などで経済が悪化し「失われた10年」と称される1980年代の前半になると、軍政自らが政治の自由化を進めるとともに国民が民主化要求運動(Diretas Já)2を展開した。そして、1985年に軍政から民政に移管し、ブラジルは国家として再建の道を歩み出すこととなった。『躍動するブラジル』では政治・経済・社会などの分野において、新憲法(1988年)を制定した1980年代後半が、「新しいブラジル」と称された21世紀初頭の発展への「転換期」だったと捉えた。

(注)網掛け部分は「転換期」と考えられる時期。
(出所)近田(2011)やインターネットの情報などをもとに筆者作成。
1990年代に入ると、新通貨「レアル計画」や物価・財政目標が導入され、債務問題やハイパー・インフレに苦しんでいた経済の自由化と安定化が進んだ。21世紀の初頭には、中国の高度経済成長の恩恵を受けたコモディティ輸出や中間層の増大に加え、左派の労働者党のルーラ政権が大規模な社会政策「ボルサ・ファミリア」(Bolsa Família)3を実施したこともあり、貧困や格差の改善が顕著化した。この頃のブラジルは、BRICS4の一角を担うとともに新興・途上国のリーダーとして外交面でもプレゼンスを高め、民政移管後に試みてきた国家再建が結実した「新しいブラジル」と評され注目を集めた。

(注)左軸がGDP額(「T」は1兆で、単位はレアル)、右軸がGDP成長率。線グラフの赤いマーカーはGDP成長率がマイナスだった年。
(出所)ブラジル地理統計院(IBGE)のGDP額を2010年換算した応用経済研究所(IPEA)のデータをもとに筆者作成。
このようにブラジルは、1980年代に「政治の10年」、1990年代に「経済の10年」、2000年はじめの10年に「社会の10年」と特徴づけられる段階を経ながら、21世紀の初頭まで基本的にポジティブな発展の道を歩んできた(近田 2011)。しかし、『躍動するブラジル』を出版した2013年、全国規模の抗議デモが発生し、翌年には石油公社ペトロブラスをめぐる労働者党政権の一大汚職事件が発覚した。前ルーラ政権でも国会議員買収汚職があったため、この時期に国民の労働者党への反感が高まり、ルーラの後継者ルセフ(Dilma Rousseff)大統領が弾劾裁判で罷免されるなど、政治は混迷した。長期にわたった労働者党政権において、GDP額は2013年をピークに減少し、GDP成長率が2015年から統計史上初めて2年連続でマイナスを記録するなど、経済も大きく低迷した。
労働者党が政治経済的な「混乱」を招いたとする国民感情が増大した一方、有権者が右傾化したとされる2018年の選挙(浜口・河合 2019)において、軍出身で保守・右派のイデオロギー色が強いボルソナロ(Junge et al. 2021; Schwarcz 2022)が当選し、コロナ禍で感染防止に反する言動を繰り返した(堀坂 2020; 近田 2021)。そのため、反労働者党と反ボルソナロという国民の間に「否定的党派性」とともに「感情的分極化」(後述)が強まり(菊池 2022)、双方の支持者による対立やデモが繰り返されるなど、ブラジルは社会的にも「混乱」していった。

(注)左軸が貧困率(2017年の国際価格にもとづくUSドル3.65以下で1日生活している人口の割合)、右軸がジニ係数(数値が「1」に近いほど所得格差が大きい)。
(出所)世界銀行(World Development Indicators)のデータをもとに筆者作成。
ブラジルは民主化直後の1980年代後半をひとつの転換期として、「政治」「経済」「社会」という連続した段階を踏まえ、ポジティブな方向に発展してきた。しかし、『躍動するブラジル』の時期が同国の方向性にとって新たな「転換期」となり、「混乱」に象徴される時代に突入していったと捉えられる。この第2の転換期は、GDPという経済指標(図1)および貧困率とジニ係数(図2)に関しても見て取ることができる。そして、2022年の大統領選決選投票で史上最小の僅差で辛勝したルーラが「2つのブラジルは存在しない」5と強調したように、近年のブラジルは「混乱」から「分極」を特徴とする状況へ変化しているともいえよう(表)。
2019年1月に発足したボルソナロ政権にとって、2020年はじめから世界的に大流行した新型コロナの影響は甚大だった。ボルソナロ政権は「小さな政府」を目指した制度改革を掲げたが、支給開始年齢の引き上げなどの年金改革は政権1年目の2019年末に実現できたものの、税制や行政の改革、公的企業の民営化は新型コロナの影響で未達に終わった。人口が2億人以上と多いブラジルは、新型コロナの感染者と死者数が一時世界2位になり注目されたが、それと同等またはそれ以上に関心を集めたのが、コロナ禍でのボルソナロの反感染対策の姿勢や特異な言動であった。
ボルソナロ大統領はコロナ禍でも経済を優先させ、2020年に新型コロナの感染が急拡大するなか、「ブラジルは止まってはいけない」(O Brazil não pode parar)キャンペーンを開始し、外出自粛などを行わないよう訴えた。新型コロナは未知のウィルスとの闘いだったことから、経済活動を優先させる姿勢も理解できるが、大統領は感染対策に関して異常なまでに消極的だったといえる。ボルソナロ大統領は感染防止を訴える保健大臣と対立し、保健大臣が短期間に解任や辞任、不在となる事態となり、軍出身で保健医療の素人が保健大臣に就任した後にはアマゾン地域で医療崩壊が発生した。また、外出規制措置やワクチン接種を推進した知事や市長に対して、大統領は批判だけでなく罵倒を繰り返した。
コロナ禍のブラジルで感染者や死者数が増え続けるなか、ボルソナロ大統領の特異な言動は人々の目を引いた。大統領はマスクをせずに支持者たちと積極的に触れ合ったり、商店街を訪問したりすることも多く、新型コロナを「ちょっとした風邪」と呼んだことは広く知られたが、「皆いつかは死ぬんだ」「俺にどうしろというのだ」と開き直る言動もみられた。ワクチン接種にも反対だった大統領に対しては批判も多く、新型コロナの死者数が60万人を超えたこともあり、その責任を問う声が高まるとともに感染対策をめぐる不正疑惑が浮上した。そして2021年、連邦議会内に「新型コロナ議会調査委員会」(通称CPI da COVID-19)が設置され、予防的衛生措置違反、公的資金の不正使用、フェイクニュースの拡散など9件の罪で大統領を起訴すべきとの調査結果が出た(堀坂 2020; 近田 2021)。
ボルソナロ大統領は2022年の大統領選挙戦では、ルーラ政権による2003年の開始から継続されていた貧困対策「ボルサ・ファミリア」を、コロナ禍で自らの政権が実施し評判だった困窮者支援策をもとに名称の変更や支給の増額を行った6。その他にも現職の強みを活かして、選挙期間中に複数の現金給付策などを実施した影響もあり、ボルソナロ大統領は選挙戦の終盤に追い上げをみせた。しかし、新型コロナ議会調査委員会により政権の不正が知られ、コロナ対策への国民の批判が強かったこともあり、ボルソナロは初めて再選されなかった現職大統領となった。副大統領(当時)は選挙後、「コロナ禍での大統領の言動が敗戦をもたらした」7と語っており、新型コロナへの対応が最終的な勝敗を分けたといえる。
(2) 再選が難しくなったボルソナロまた、ボルソナロ大統領に関して親族の汚職疑惑や捜査当局への政治的介入が表面化し、これらを非難する司法や議会に対して大統領陣営は敵対的な姿勢を鮮明にした。そのため、大統領の支持派と反対派がそれぞれ街頭デモを繰り返す事態となり、コロナ禍での感染予防を二の次とした両派による街頭デモは新型コロナ蔓延の誘因になったといえる。司法や議会からの反発や国民間の対立を煽るような大統領の言動の背景には、自身や親族に関する汚職疑惑の追及に加え、新型コロナ対策をめぐる消極的な姿勢や失政による支持率の低下が挙げられる。ボルソナロ大統領は、支持率が低下し大統領選での再選が危ぶまれるようになると、支持基盤である軍の政治介入にも度々言及した。軍出身のボルソナロ大統領の政権下で政府のポストに就く軍関係者が急増したこともあり(Schmidt 2022)8、このような大統領の言動は民主主義への脅威とみなされるようになった9。2021年のブラジル独立記念日の9月7日には、大統領選での再選が難しくなっていたボルソナロ大統領が、1988年憲法を都合よく解釈して自主クーデターを起こし、権力の座を維持するのではとの憶測も取り沙汰された(子安 2022)。
国家機関に関して国民からの支持が低く基盤が脆弱な場合、異なる別の機関が国家運営の機能を果たそうと存在感を高めるとの見解がある10。この点に注目してブラジルの軍、政府、議会に対する国民の信頼に関する世論調査をまとめたのが図3である。軍への信頼は民主化後の1995年を除き40%前後で推移し、ボルソナロ政権下の2020年に高くなっている。一方、政府と議会への信頼は時々の政治情勢に左右されると考えられ、労働者党政権下で2つの一大汚職事件が発覚したり、経済が低迷したりした「混乱の時代」の影響で低下している。
軍の介入をほのめかしたボルソナロ大統領の反民主的ともいえる言動や、同政権下における政府内の軍関係者の増加の背景には、近年において国民の信頼が政府と議会に対して低下する一方、軍に関しては安定して高かったことが考えられる。前述のように、政府や議会という国家機関の支持が低く基盤が脆弱な場合、軍という別の機関が国家運営の機能を果たそうとする見解がある。このような世論や見解をもとに、再選の難しくなったボルソナロ大統領が、国民からの信頼の高い軍の支持を得て、民主主義の基礎である選挙以外の方法により、国家運営の機能を果たそうとしたとも捉えられよう。ただし、今回のブラジルの政権交代に際して、ブラジリア三権施設襲撃事件(後述)が発生したものの、軍は組織的な政治介入を行っていないとされる。ボルソナロ大統領や一部の支持者は軍の政治介入を期待したが、軍の上層部は国民の高い信頼を失うべきではないと判断したと推察できる。

(注)他の回答は「全くない」と「ほとんどない」。
(出所)Latinobarómetroのデータをもとに筆者作成。
2023年1月1日、ルーラが3度目の大統領に就任し、労働者党が2016年から約7年ぶりに政権与党に返り咲いた。ブラジルの大統領就任式では、大統領の懸章(たすき)を前任者が新任者へ掛け継ぐ慣習があるが、今回は行われなかった。ボルソナロ前大統領が2022年末から米国へ渡ったままで、2023年3月30日にようやく帰国したものの、就任式当日ブラジルにいなかったためである。ルーラは2022年の大統領選挙で勝利を収めたが、第1回投票で上位2名だったルーラとボルソナロの得票率の合計が史上最大、つまり、有権者の投票先が異なる上位2名に最も集中したことに加え、決選投票の差も史上最僅差だった11。民政移管後のブラジルで初めて前任者不在となった大統領就任式や、最も僅差となった大統領選挙は、国民の分極化を強く印象付けるものとなった。
第1節において、2013年の『躍動するブラジル』の出版時期が転換期となり、ブラジルは「混乱」時代に入り、近年は「分極」を特徴とする状況だと論じた。この点について、菊池(2022)の「否定的党派性」と「感情的分極化」をもとに説明する。菊池によると「否定的党派性」とは、「支持政党がない場合でも、自身の投票行動などに影響する特定の政党への強い拒否感は有している状態」とされる。本稿が「転換期」と考える2010年代半ばに、深刻化した汚職や不景気をもたらした「労働者党」への「強い拒否感」をもつ人々が増加したと考えられる。その後、新型コロナ軽視や反民主的なボルソナロが登場したことで、「ボルソナロ」への「強い拒否感」も高まった。そして、双方を拒否する人々の間で対立が激化し、ブラジルは混乱していったといえる。
その際に顕著化したのが「感情的分極化」で、それは「人々が他党支持者を偽善的、利己的、閉鎖的であると感じ、他党支持者との交流を拒むほどの敵意をもつ状態」だと、菊池は指摘する。一方に対する単独の「強い拒否感」が増えるだけでは感情的分極化は進まないが、「労働者党」と「ボルソナロ」への「敵意」が双方で増幅したことで、ブラジルでは分極化が進んだとされる。つまり、労働者党の失政により新たな転換期を迎えたブラジルでは、特定の政党や政治家への「強い拒否感」をもつ人々が労働者党に関して増え、その後に過激な言動のボルソナロに関しても増大するという、2つの「否定的党派性」により混乱していった。そして、他方への「強い拒否感」だけでなく、お互いへの「敵意」を強める状態となり、混乱するブラジルは「感情的分極化」を深めていったと考えられる。
(2) 揺らぐ「民主主義」このように分極化が進むブラジルで発生したのが、首都ブラジリア三権施設襲撃事件である。ルーラ大統領就任式から1週間後となる1月8日の日曜日、極右のボルソナロ支持者とされる4000人以上もの人々が、ブラジリアにある行政、立法、司法府の建物に侵入し破壊行為を行った。同事件は、国家体制の変更や政府転覆を狙ったものだったことに加え、軍や警察の一部が事件に関与した事実が明らかとなり、国内外に大きな衝撃を与えた。また、これだけの人数の動員を可能にした資金提供者に、環境保全より経済開発を優先したボルソナロ前大統領を支持するアグリビジネス業界が含まれていたとされる12。
暴力行為による国家体制の変更や政府転覆の企てや実践は、反民主主義なものであり、多くの現地メディアは「クーデター」(golpe)と報じ、国民の大半は反対した13。ただし今回の三権施設襲撃事件は、ブラジルにおける民主主義の揺らぎの一噴出だったといえる。2022年の大統領選挙戦でも、民主主義への脅威となるようなボルソナロ陣営の言動のため、「民主主義」が大きな争点となった。ルーラ陣営は民主主義の擁護を掲げ、このことが勝利の一因になったと考えられるが、史上最僅差での辛勝はブラジルにおいて「民主主義」が置かれた状況を示していよう。
そこで「民主主義への支持」に関する世論調査をみると(図4)、ボルソナロ政権下の2020年に「民主主義は他のいかなる統治形態よりも望ましい」とする回答が低下した一方、「体制は民主的も非民主的も同じ」とする回答が初めて40%を超え、「状況によっては独裁的な統治が望ましい場合もある」は最も少なくなった。ボルソナロは過去の軍事政権を「独裁」(ditadura)ではなく「体制」(regime)と呼ぶことがあるため14、独裁は是としないが非民主的でもよいとする意見には、保守で右派のボルソナロ支持者が多いと推測できよう。近年のブラジルでは、国民の分極化が進んだことに加え、民主主義に対する考え方にも今までにない変化がみられている。
ブラジリア三権施設襲撃事件のあと、第3次ルーラ政権が100日を過ぎたブラジルで大きな事件や混乱は起きていない。ボルソナロ政権では軍人だった国防大臣を文民に戻したり、政府内の軍関係者の数を減らしたり、ルーラ政権は軍の脱政治化を試みているが、軍からの反発は今のところ報じられていない。しかし、「民主主義への支持」の世論調査結果に表れているように、ルーラ労働者党政権が返り咲いたブラジルでは、民主主義の揺らぎがひとつの課題であるといえよう。

(出所)Latinobarómetroのデータをもとに筆者作成。
3回目の登板となったルーラ大統領が直面したのは、過去の政権担当時のような「新しいブラジル」ではなかった。それは、本稿で論じたように国民の分極や民主主義の揺らぎがみられるとともに、コロナ禍の影響もあり、飢餓状況が1990年代と同じレベルに悪化したブラジルであった(PENSSAN 2022)。そのため、ルーラ政権が強調した政策に飢餓・貧困対策があり、以前の「ボルサ・ファミリア」を拡張して復活させ、アマゾン地域の先住民(ヤノマミ族)の窮状が露見されると積極的な支援を行った15。先住民に関してルーラ政権は、「先住民省」(Ministério dos Povos Indígenas)を初めて創設するとともに、先住民の国会議員を大臣に任命し16、問題への対応や権利保障に当たっている。
また先住民問題は、違法な森林伐採や鉱物採掘によるアマゾン開発と関連しており、ルーラ政権はボルソナロ政権と異なり、アマゾンをはじめとする環境保全に積極的な姿勢をみせている。ルーラは大統領就任前の2022年11月、エジプトでの「気候変動枠組条約締約国会議」(COP)に参加し、気候変動対策に取り組むことや次回COPをブラジルで開催する提案について演説を行った。新政権の環境大臣には、前回のルーラ政権でも任命され、環境問題に関して世界的な知名度の高いシルヴァ(Marina Silva)を就任させた。
経済開発主義によりアマゾン地域の森林破壊が進んだボルソナロ政権から17、ルーラ政権は環境保全と経済のバランスの重視や模索へ方針転換したといえる。ただし、政権発足後に問題化しているのが、アグリビジネスと「土地なし農民運動」(Movimento dos Trabalhadores Sem Terra:MST)の対立である。ブラジル経済にとって重要なアグリビジネスは、経済開発を優先させたボルソナロ前大統領の支持基盤のひとつである。一方、MSTは大規模農業などにより土地を所有できない農民の社会運動で、左派の労働者党を支持する団体である。MSTはボルソナロ政権下では活動を抑制されていたが、ルーラ政権になり大規模農場での土地占拠を活発化させている18。このことが要因となり、アグリビジネス部門と政府の関係は悪化するとともに、MSTだけでなく同運動を支援するようなルーラ労働者党政権19への反感が強まっている。同政権は、ボルソナロ政権が廃止した市民代表が参加する審議会を復活させMSTのリーダーをメンバーに招聘したり、ルーラ大統領が4月に中国を訪問した際にMSTのリーダーを帯同し、習近平国家主席との会談の場にも同席させたりしたため、アグリビジネス部門を中心に批判の声が上がった。
外交に関してボルソナロ政権下で停滞したが、ルーラ政権は再び活発に行っている。前回の政権担当時も途上国重視の独自外交を展開したルーラ大統領は今回、まず近隣諸国や米国を訪問し首脳会談を行った。ただし、その後に訪れた中国には政財界の大使節団を伴ったり、上海にあるBRICS運営の新開発銀行(New Development Bank:NDB)総裁に労働者党のルセフ元大統領を就任させたり、中国との関係やグローバルサウスを重視する姿勢をみせている。また大統領は、ウクライナ情勢に関してロシアや中国寄りとみられる発言を行ったり、急進で独裁的な左派ベネズエラやニカラグアとの外交関係を再開したりし、欧米などの民主主義陣営から批判を受けている。これらは、ブラジル伝統の中立外交とともに、選挙戦でルーラ自身が擁護した「民主主義」を基軸とした外交からの転換を予兆させる。

写真 ルーラ大統領(左端)と習近平国家主席(中央)の会談に同席したMSTリーダー(右端)(2023年4月14日 Ricardo Stuckert/PR (CC BY 2.0) 大統領府)。
ルーラ大統領は2022年の選挙で勝利した際、「2つのブラジルは存在しない」と強調した。しかし、アグリビジネスとMSTの問題や外交姿勢に表れているように、政権発足後100日が過ぎても状況には、ブラジルの伝統的や制度的な問題に起因する不安定性(浜口 2020)が表出している。2010年代半ばを新たな転換期としてブラジルの方向性が変わり、『躍動するブラジル』の10年後に進んだ分極の修復は、第3次ルーラ政権では難しいといえるかもしれない。