2023 年 40 巻 1 号 p. 80
人権はどの国に生まれたかにかかわらず(つまり国家に与えられるものではなく)、すべての人が生まれつきもつ普遍的権利である。国家が国民に対する深刻な人権侵害を犯している場合、被害者救済の責任が国際社会にはあるとの認識が第二次世界大戦以降広がった。そしてそれを背景に国連および、欧州評議会や米州機構(以下OAS)といった地域国際機構が軸となり、国際社会の人権擁護の取組みが始まった。本書はOASの人権制度である米州人権委員会と米州人権裁判所に関して、それらの権限、取組み、課題などについて多くの事例をもとに考察している。
ラテンアメリカでは1960~80年代にかけて大半の国が軍事独裁政権の波に飲まれ、その多くで政府による市民への厳しい弾圧行為が行われた。被害者個人は多くの場合人権NGOなどの支援を受け人権回復のために戦うが、加害者である国家に対して人権侵害をやめさせること、人権侵害の事実を認めさせ責任者を処罰させること、被害に対する補償を勝ち取ることはほぼ不可能である。それに対して米州人権委員会は、域内諸国における人権状況をモニタリングし、被害者個人からの請願を受け、調査を行い、当該国政府と交渉を重ね、被害者と国家の間での友好的解決を模索してきた。それで解決できない場合、同委員会は米州人権裁判所に司法的解決を委ねる。
内政不干渉の前提や恩赦法をはじめとする国内法との関係など、米州人権制度の活動には多くの困難がある。米州人権委員会や人権裁判所の決定に対して、それを受け入れ人権状況の改善に取り組むか否かは、当該国政府の意思に委ねざるを得ないという根本的問題もある。しかし一方で、国際社会での評判や圧力を背景に、米州人権制度の取組みが域内諸国の人権状況の改善や法的整備に少なくない貢献をしてきたことも事実である。本書はそれらの困難と貢献についても多くの事例を紹介している。
OAS加盟国のなかには、米州人権条約を締結していない国もある。しかし彼らは同様に、人権保護を謳うOAS憲章に縛られる。それらの国に対して米州人権制度の決定は法的拘束力をもつのか。また、どのような条件下で米州人権制度の決定は加害者である国に受け入れられる可能性が高いのか。このような法学的、政治経済的議論も興味深い。
現在でもベネズエラやニカラグアなど域内諸国で国家による人権侵害が続いている。内政不干渉という言葉を盾に人権侵害を行う政府に対して国際社会はどのような責任を持ち、どのような取組みが効果的なのか。これらを考えるうえで多くを学べる一冊である。