蝶と蛾
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平地と高地におけるモンキチョウの飛翔活動性
津吹 卓滝澤 達夫
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1996 年 47 巻 1 号 p. 17-28

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抄録

モンキチョウの飛翔活動性を,1986-90年の8月に5日間,第1調査地である長野県東部町湯の丸高原の草原(海抜約1,750m)で6:00-17:00に調査した.方法は10分おきに,環境条件として気温・照度・幅射熱(温度計のアルコール球の部分を黒く塗ったものを日向におく)・湿度を測定し,一定空間を飛翔するモンキチョウの個体数を数えた.さらに1987-90年の8月に6日間,捕獲した個体の体に触れないようにして10秒以内に腹面から胸部に熱電対(直径0.5mm)を刺し,デジタル温度計で体温を測定した.また,長野県上田市郊外の草原(海抜約650m)を第2調査地とし,1987年8月の3日間に7:00-18:00の間,上記と同様に気温・照度・飛翔個体数を記録した.これらの結果を比較し,両地域におけるモンキチョウの飛翔活動性の相違を体温の観点から考察した.湯の丸高原での飛翔活動には決まった日周活動性は見られないが,照度・輻射熱・気温の降下時には飛翔個体数も減少した(図1-2).この理由は体温が飛翔に適した範囲よりも低くなるからなのであろう.一方,上田では照度・気温は単峰型なのに対し飛翔活動は午前と午後にピークを持つ双峰型になった(図3).このとき飛翔活動が抑えられているのは気温が高いときよりもむしろ高照度のときであり,12:00-14:00で飛翔活動と照度の間に負の相関の傾向がみられた.照度が高いとき飛翔できないのは,輻射熱により体温が飛翔に適した範囲を越えるためなのであろう.湯の丸高原で8月に日向を飛翔する個体の体温は25-30℃であったが(表1),これはモンキチョウ属の自発的活動温度帯の下限(28-30℃;Watt,1968)よりも低く,平地で秋季に飛翔するモンキチョウの体温(田下・市村,1995)と一致する.なお曇のときや日陰での飛翔個体の体温はさらに低く,23-24℃であった(表1).また体温は輻射熱や気温とではなく,照度と正の相関の傾向が見られた(図4-6).この理由は,測定したのが黒色輻射熱であり,夏型では輻射熱がこれほどには吸収されなかったためかもしれない.さらに,飛翔活動の下限では気温と照度が拮抗的に働いているようで(図4),体温は気温が低いときは主に照度(実際には輻射熱であろう)により,また照度が低いときは主に気温により維持されるようである.結局,飛翔活動は輻射熱や気温に維持された体温の高さによりコントロールされていると考えられる.湯の丸高原において,どのような環境条件のときに飛翔活動が盛んになるのかを照度・輻射熱・気温について調べてみると,日によって条件は異なっていた.そこで,1日ごとに「ある範囲において測定された環境条件の回数」に対する「その範囲で飛翔した個体数」を出してみた(表2-4).その結果,飛翔可能な環境条件の範囲においては,その日に起きた環境条件が多いところで飛翔個体も多く見られることが分かった.高原では環境条件は激変するために飛翔に適した環境条件は不安定であり,チョウは飛翔したいときにいつでも飛べるとは限らない.その結果,飛翔活動は飛翔できる限られたときに集中し,そのために快晴時に平地で見られる日周活動性とは異なったパターンとなって現れるのであろう.亜高山帯に生息するチョウ類の飛翔活動性を見てみると,湯の丸高原でのベニヒカゲは,高原でのモンキチョウと同様に照度に強い影響を受けるが,主たるピークは見られない(池尻他,1980).同じ特徴がタカネヒカゲ・ミヤマモンキチョウ(小川,1989),ベニヒカゲ・クモマベニヒカゲ(小川,1990,1991,1992,1994)でも見られる.一方,ミヤマシロチョウ(三石,1978)は,平地でのモンキチョウと同様,双峰型の日周活動性を示す.ミヤマシロチョウの飛翔活動の可能な上限の体温は低いのかも知れない.モンキチョウは環境条件がよければ飛翔し,高地では輻射熱が弱く体温が自発的活動温度帯(Watt,1968)より低いときには,また平地では輻射熱が強すぎて体温が自発的活動温度帯より高いときには飛翔しない.高地と平地の環境の違いがモンキチョウの日周活動性において異なったタイプをもたらしているのである.メラニン色素の変異は,季節型の違いではモンキチョウ(田下・市村,1995)やオオモンキチョウ(Watt,1969)で,また種間ではモンキチョウ属の生息場所の標高差に基づいて(Watt,1968;Kingsolver,1985)知られている.また8月の,湯の丸高原での体温(25-30℃)と長野市の平地での体温(35-40℃,田下・市村,1995)に,差があるという事実がある.モンキチョウは,湯の丸高原では標高700-1,800mに広く分布し(山本,1988a),飛翔力が強いため両地域を自由にたやすく移動できる可能性は高いので,標高差に対する適応なのであろうか.一方,別の可能性としては,夏型のモンキチョウでは湯の丸高原と上田との間でメラニン色素の状態に差異があり,両地域のモンキチョウの個体群が異なる,ということも考えられる.けれども湯の丸高原の黄色型の夏型を見ると,サンプル数は少ないが,メラニン色素がとくに多いようには思えない.しかし,どういう理由にしろ体温に基づいて適した環境条件のときに飛翔を行ない,それが結果的に両地域で異なった飛翔活動性に見えるのであろう.

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© 1996 日本鱗翅学会
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