マーケティングジャーナル
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特集論文 / 招待査読論文
医療におけるユーザーイノベーションの実現可能性
大原 悟務
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2019 年 39 巻 2 号 p. 36-48

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Abstract

本稿の目的は医療分野におけるユーザーイノベーションの意義や実現可能性を考察することにある。医療の概念とユーザーイノベーションの概念を広く捉え,同イノベーションの分類や多様性を確認した。今後,検証が必要となるが,患者の生活の質の向上を目的としたものや患者の所有物を対象にしたユーザーイノベーションについては実現可能性が高いものと考えられる。一方,医薬品や医療機器については患者だけで開発を進めるのが難しく,患者側が臨床試験や治験の被験者を紹介したり,患者の視点から臨床試験や治験のあり方を提案するといった形で製薬企業などとの共創や連携を進めるのが現実的であるとの見解を示した。開発プロセスへの患者団体の参画について,日本ではまだ件数が少ないが,日本せきずい基金と日本網膜色素変性症協会の取り組みを紹介した。ただし,この2件は大学などの研究機関と患者団体とが連携,交流したものである。製薬企業と患者団体との連携が待たれるところである。

Translated Abstract

The purpose of this paper was to examine the significance and feasibility of user innovation in healthcare. First, we identified the classification and diversity of user innovators and user innovation. Next, based on this classification, we considered the feasibility of user innovation in healthcare. User innovation aimed at improving the quality of life of patients and those affecting the property of patients are considered to be highly feasible. On the other hand, it is extremely difficult for individual patients to develop drugs that act directly on the patient’s body. This is because for patients, barriers are very high in terms of expertise, equipment, costs, lead times, and regulations. It is practical for patient groups, not individual patients, to introduce subjects for a clinical trial to pharmaceutical companies, and to propose the design of clinical trials from the patient’s perspective. In Japan, there have been some cases in which patient groups and research institutes, such as universities, have cooperated to design clinical trials. However, there have been few cases in which patient groups and pharmaceutical companies cooperated. It is expected that collaboration among patient groups, research institutes and pharmaceutical companies will progress in the future.

I. はじめに

消費者がより主体的に技術や製品などの開発に関わるユーザーイノベーションが多くの分野で見られる。身近なところでは,工業用のマスキングテープを装飾目的の雑貨品に発展させた例がよく知られている。この例では複数の女性ユーザーが新用途について広く情報発信したほか,自ら製造企業に製品仕様の提案をした(Horiguchi, 2015)。女性らはユーザーでありながら,製品の設計や広報に関わったといえる。

ただ,消費者によるイノベーションは製品分野によって多寡がある。日本を対象にした調査によれば,消費者によるイノベーションの件数で最も多かったのは住居,次が乗り物関連の分野だった(Ogawa, 2013)。一方,本稿で論じる医療分野のユーザーイノベーションはありふれた現象とは言い難い。同調査において,消費者イノベーション全体に占める医療分野の割合は2%に過ぎなかった。この割合の低さについて複数の要因が推測できる。ユーザー自身が疾患を抱えており行動が制約される,イノベーションを主導するのに専門知識が求められる,他分野に比べて成果が出るまでに時間と費用を要する,といった要因が考えつく。

とはいえ,医療におけるユーザーイノベーションの必要性や可能性が低いわけではない。わが国のように医療の高度化が進んだ社会においても問題解決が難しい領域があり,患者にとってはユーザーイノベーションが希望になりうる。確かに医療の中核的な手段である医薬品や医療機器を患者が独力で開発するのは難しい。しかし,患者らが,製薬企業や行政機関に新薬の開発を要望する,臨床試験や治験などの開発プロセスの改善を提案する,といった形であれば実現可能性は高くなるのではないか。

ここまで,消費者イノベーションの概念を医療分野に当てはめ,患者によるイノベーションの一端を述べた。ただ,医薬品や医療機器を治療の手段として用いる場面を想定すれば,医師らも医療分野のユーザーに含められる。

この研究では,医療分野におけるユーザーイノベーションの意義や実現可能性を論じることを目的としている。第2章では医師らも医療のユーザーに含め,この分野のユーザーイノベーションの分類を示すとともに,同イノベーションが多様であることを確認する。第3章以降は患者によるイノベーションを中心に論じる。第3章では患者個人で自らイノベーションを行うことが難しいことを指摘したうえで,組織的なユーザーイノベーションの必要性を論じる。第4章では医療の中核的な手段である医薬品の開発に患者団体がどのように関われるかを論じる。日本において患者団体が臨床試験や治験の設計に参画した例を取り上げるとともに,課題を論じる。

本稿では,ユーザーイノベーションの概念を広く捉えている。ユーザーイノベーションに関連しては,さまざまな概念や表現がある。従来役割が明確に分かれていた企業と消費者が価値創造において作用し合うことを指し,「価値の共創」(Prahalad & Rawaswamy, 2004)と表現することもある。また,ユーザーがイノベーションをより自分自身のために実行することを捉えて「イノベーションの民主化」(von Hippel, 2005)と表現することもある。さらに,ユーザーがイノベーションの成果を広く無償で公開し,ユーザー同士,あるいはユーザーと社会が交流を深める「フリーイノベーション」(von Hippel, 2017)と呼ばれる現象も学術界で注目を集めている。それぞれの概念が示すところや意味合いは異なるところもあるが,本稿ではこうした概念もユーザーイノベーションに含めて,医療分野におけるユーザーイノベーションの意義や実現可能性について考察する。

II. 医療におけるユーザーイノベーションの多様性

1. 医療におけるユーザーイノベーター

医療におけるユーザーイノベーションの分類を試みるため,まずはユーザーイノベーターの像を確認したい。医師も含めた医療ユーザーが医薬品や医療機器の開発に関わる状況を想像してみよう。この状況でユーザーイノベーターとしてあげられるのが,医師や薬剤師など,医薬品や医療機器を手段に医療サービスを提供する専門職の人々である。例えば,医師が治療経験を通して医薬品の新しい用途(off-label use)を発見し,その効果や安全性を検証するため,自ら臨床試験を実施することがある。この場合,医師は医薬品のユーザーとして開発に従事していると認識できる。こうした専門職についている人は医療機関や学会などの研究コミュニティに属しており,治療法のガイドラインを定めることもある。医薬品や医療機器そのものを開発していなくても,使用法を規定する形でイノベーションに関与しうる。

一方,医療におけるユーザーイノベーターと聞いて多くの人が連想するのが患者やその家族であろう。患者らが医薬品や医療機器を考案したり,開発したりした場合,その当人はユーザーイノベーターに位置づけられる。

さらに,医師や患者がもつ知識や経験の観点からユーザーイノベーターを分類してみよう。Shah and Tripsas(2007)は,ユーザー自身が製品やサービスの問題を認識して解決策を探り,いつしか企業家を目指す経路や条件を論じた。同氏らはこのような人々を「ユーザー企業家」と呼び,大きく2つに分けている。1つは組織に属し,専門職として活動するなかで製品などの問題を認識し,自ら解決に取り組むプロフェッショナルなユーザー(professional-users)である。もう1つは日常生活のなかで問題を認識し,自ら解決をはかろうとするエンドユーザー(end-users)である。

この分け方にもとづくと,医薬品の開発に関わった医師はプロフェッショナルなユーザーイノベーターといえよう。他方,患者らが関わった場合は,エンドユーザー的なユーザーイノベーターとなる。ただ,注意が必要なのは,エンドユーザーとしての患者が時としてプロフェッショナルなユーザーになりうる点である。「のう胞性繊維症」の患者で自身がもつ電子工学の知識や技能を活かして,医療機器を開発,起業した人がいる(Habicht, Oliveira, & Shcherbatiuk, 2012)。この患者はもともとは医療のエンドユーザーであったが,専門職としての知識や経験を活かすプロフェッショナルなユーザーに転化していったといえよう。

2. 拡張した医療概念とユーザーイノベーションの目的

医療は人の生命や身体のみならず,生活とも関連しており,対象範囲が広い。そのため,この分野のユーザーイノベーションも多様となる。そこで,医療の概念を拡張させながら,それに対応するユーザーイノベーションの目的を確認してみたい。

医療の概念を狭く捉えたとしても,その行為は,「診療・診断,検査,投薬,注射,麻酔,手術,リハビリテーションや療養指導,処方箋の作成・交付」(Himejima, 2019)と多岐にわたる。これらは国家資格にもとづく行為で医業に分類されるものである。医業を広げていくと,鍼,灸,指圧など,法で定められた免許にもとづく「免許医業類似行為」がある。さらに対象を広げていくと気功,エステ,整体などの「自由医業類似行為」があり,これらは民間療法とも呼ばれる(Himejima, 2019)。

医業は類似のものを含めると当然多様になるが,共通しているのは患者の疾患や不調を治したり,和らげたりすること,つまり治療を目的としているところである。しかし,治療に直接つながらない,医業から離れた行為も医療概念に入れることができるのではないか。病気で脱毛した子どもがかゆみを気にせず着用できるウィッグを開発した女性がいる。この女性の子は自己免疫性脱毛症のため乳児期から髪が抜けた。従来のウィッグはチクチクしたり,蒸れたりしたため,この子は着用を嫌がった。子の脱毛症に向き合う親たちと交流するなか,同じ悩みを抱える子どもを救いたいと,この女性は自ら商品開発を進める決断をした(Nikkei, 2018)。子どもたちに人目をはばからず思い切り遊んでほしいとの思いがウィッグに込められている。この例においては,疾患自体の治療でなく,生活の質の向上がイノベーションの目的となっている。

このように医療の概念を拡張させていくと,患者を見守る家族の生活向上もユーザーイノベーションの目的となる。von Hippel(2017)がフリーイノベーションとして紹介した糖尿病患者の血糖値モニター改良の例も生活の質に関わるものである。I型糖尿病患者の子をもつ親が職場などの自宅外で血糖値モニターの数値が見られず不安を抱いていた。数値の急な上昇や降下をつかめないため,子の外出範囲も制限せざるをえなかった。こうしたなか,この親は数値モニターの情報を別の端末に送るソフトウェアや関連情報を無償提供している組織を知る。この組織の助けを得て,親は遠隔地でも数値を確認できるようになった。この例は,患者の生命や身体を守るとともに,家族の安心も高めることを目的としたイノベーションといえる。

3. 医療におけるユーザーイノベーションの4P

前節では医療の概念を拡張させながらユーザーイノベーションの目的の多様性を論じた。本節では,イノベーションの4P概念と医療におけるユーザーイノベーションの例を重ね合わせ,イノベーションの対象を確認したい。

Tidd and Bessant(2014)はイノベーションの4P概念を提唱している。Pから始まるプロダクト,プロセス,ポジション,パラダイムの4つでイノベーションの分布を把握するものだ。4つの項目は相互排他的なものでなく,同時に複数の項目に該当するイノベーションもある。

この4Pと医療におけるユーザーイノベーションの例を突き合わせてみよう。プロダクトに関しては,医薬品や医療機器といった治療手段のほか,前節で述べたウィッグや血糖値の遠隔受信のように生活の質の向上を目的としたものがある。ただ,後で述べるように,直接的な治療手段となる医薬品や医療機器の開発は個人の患者にとっては難易度が高い。

2つ目のプロセスのイノベーションといえば,ドミナントデザインやイノベーションの動態の議論(Utterback, 1994)から,製造プロセスの革新を連想する人が多いだろう。製造プロセスは製品の機能や性能,納期に影響を与えるものでユーザーイノベーションの対象となる。特に化学品に属する医薬品は製品設計と製造プロセス設計が分離しがたいプロセス・インテンシブな製品(Ulrich & Eppinger, 2016)ともいえる。医療のイノベーションの対象として,製造プロセスの重要度は高い。この製造プロセスの改良についても高度な専門知識のほか,特定の資産を要するのでプロフェッショナルなユーザーでないと発案が難しいことが見込まれる。

また,製造前後のプロセスに目を移してもユーザーイノベーションを見出すことができる。名医と呼ばれる外科医が自身の技能にあった機器や手術法を開発したとしよう。この場合はプロフェッショナルなユーザーがプロダクトと手術プロセスのイノベーションを実行したことになる。

このほか,第4章で論じるように,患者が被験者として参加する臨床試験や治験のプロセスもユーザーイノベーションの対象に含められるだろう。医薬品や医療機器の開発において,有効性と安全性を評価するため,臨床試験や治験が行われる。これらの試験には患者が被験者として参加することになる。被験者は新しい治療を享受できるが,試験の対象となる医薬品や医療機器の全容はわかっていない。そのため,健康被害について不安を抱き,試験への参加を取り止めた人もいる(Ohara, 2019)。被験者となることへの不安を取り除くため,患者の声を取り入れて試験の説明方法や文書の検討がなされることもある。こうした場合は開発プロセスのイノベーションに患者が関わっているといえよう。

3つ目にあげたポジションのイノベーションとは製品やサービスの設計や仕様というよりはその意味を変えるものである。Tidd and Bessant(2014)は,小児用や疲労回復用の飲料をフィットネス愛好家向けの健康飲料に変更した例をあげている。本稿冒頭であげたマスキングテープもこの部類に入るだろう。

医療におけるポジションのユーザーイノベーションとして,プロフェッショナルなユーザーである医師が医薬品の新用途を発見した例を紹介したい。心臓病の治療薬が乳児血管腫にも効果があることをフランスの医師が発見し,2008年に専門誌で報告を行い,広く知られるようになった。乳児血管腫とは「いちご状血管腫」とも呼ばれる,乳児にできる赤みのある腫瘍のことである。成長とともに縮小するものであるが,しみやこぶ,しわが残ることもある。

上記の医師が心臓病と乳児血管腫を合併していた乳児に心臓病治療薬を投与したところ,偶然,腫瘍縮小効果が確認された。その後,フランスの製薬企業が開発を進め,2014年に米国とヨーロッパで製造販売が規制当局より承認されている。日本においては国内の関連する学会から早期開発要望書が厚生労働省に提出され,これを受けて日本の製薬企業が外国企業より製品を導入,開発した。日本では2016年に製造販売の承認がなされている(Asahi, 2017; Minami, 2016)。この例はプロフェッショナルなユーザーである医師の発見を製薬企業が活用し,製品化を実現させたものとなる。

ポジションのイノベーションを進めるべく,医師や医療機関が資金調達に奔走する例もある。医科大学に所属する医師が臨床試験などの費用を得るために寄附型のクラウドファンディングを活用した例がある。胃がん治療薬としてすでに使用されている医薬品を膵がんの治療に用いた場合の有効性や安全性を検証するプロジェクトに寄附は充てられる。多くの人から賛同が得られ,寄附の目標額1,000万円に短期のうちに到達した(Kansai Medical University, 2019; Readyfor, n.d.)。

一方,エンドユーザーがポジションのイノベーションに関与した例として,一般用医薬品の風邪薬の用途を睡眠導入に拡張した例があげられる。ただ,この例では服用者が商品化したのではなく,製薬企業がエンドユーザーの用途革新を捉え,睡眠導入剤として開発,販売した(Christensen, Hall, Dillon, & Duncan, 2016)。

最後のパラダイムについては,Tidd and Bessant(2014)は組織行動の根底にある心的モデルの変化と説明している。同氏らはパラダイムのイノベーションの例として,グラミン銀行やiTunesのプラットフォームをあげている。本稿の第4章で患者団体が臨床試験や治験プロセスの設計に関与する動きを論じる。こうした患者らの参画については,日本では萌芽的な段階にあり,パラダイムのイノベーションにも相当するのではなかろうか。

4. 医療におけるユーザーイノベーションの志向性と触知性

前節では医療におけるユーザーイノベーションの対象を4つのPで分けて捉えた。本節ではユーザーイノベーションの作用について整理したい。触知性を取り入れたサービスの分類(Wirtz & Lovelock, 2016)に手を加えて,有体財も含むイノベーションがどのように作用を及ぼすか再確認してみよう。この分類は2つの軸で4つに分けるものとなる(表1)。1つは人を対象とするものか,所有物を対象とするものかで分ける軸である。もう1つは人や所有物に直接的に作用を与える触知性の高い活動か,人の心や情報といったものに作用を与える触知性の低い活動であるかにより分ける軸である。

表1

医療におけるユーザーイノベーションの触知性

(出所)Wirtz and Lovelock(2016, p. 23)を改変

医師や患者が自ら医薬品や医療機器の開発に関わったとしよう。この場合,人である患者に直接的に作用を与える,触知性の高いイノベーションとなり,表1では左上に該当する。

では,第2節で紹介した医療用ウィッグはどのマス目に該当するだろうか。かゆみや蒸れを防ぐ特性は患者の身体への作用において発揮されるので,左上に当てはまる。同時にこのウィッグには子に気兼ねなく遊んでほしいとの願いが込められており,左下の心に作用を与える触知性の低いイノベーションにも該当する。すなわち,医療用ウィッグは表1では左上と左下のマス目にまたがって位置しているといえよう。

血糖値モニターの遠隔受信の例は既存の端末に改良を施したものであり,右上に当てはまるイノベーションといえる。それから,患者の身体情報を離れたところに送信する機能に着目すると右下のマス目にも位置していると認識できる。さらに,イノベーションの成果により,患者や家族がより安心して生活できるようになったとすれば,左下にも及ぶことになる。

医療分野のユーザーイノベーションというと,左上のような患者の身体に作用を与え,かつ治療目的のものを連想しやすい。周囲のマス目も含めると,医療におけるユーザーイノベーションの多様性を認識しやすくなる。

III. 医療におけるユーザーイノベーションの実現可能性

1. 患者によるユーザーイノベーションが求められる状況

(1) 希少疾患・生活上の制約・生命の危機

本章と次章では,医療におけるユーザーイノベーションの実現可能性について考えてみたい。Habicht et al.(2012)は,患者が主導して医療機器や治療法を開発,起業した例を多数調査し,患者が企業家となる経路や条件について考察した。同氏らは患者によるイノベーションが生じるのに特有な状況を3つ指摘している。1つ目がその疾患が稀なものである状況である。2つ目がその疾患が患者の生活に多大な制約をかけている状況である。3つ目が策を講じなければ,患者が生命の危機に瀕する状況である。

1つ目の状況について補足説明しておきたい。これは希少疾患を指し,医薬品や治療法の開発が進みにくい領域とされる。Habicht et al.(2012)はその理由を企業活動や政策立案の観点から3つあげている。同氏らはまず,患者数が少ないと収益の見通しが立たないため,研究開発が進みにくくなることを指摘している。次に,健康や医療に関する政策は多くの患者を助けるものに優先的に予算をつけるため,希少疾患への予算配分が後回しになってしまうことを理由にあげている。最後に,それぞれの専門家が実際に治療した経験が少なく,治療に関する専門知識の体系化が難しいことも理由として指摘している。

こうした理由により,希少疾患の領域では,患者自らがイノベーションを進める必要性が高まることになる。前章で紹介した「のう胞性繊維症」の患者が自ら医療機器を開発した例は希少疾患領域におけるユーザーイノベーション,ユーザー企業家の例となる。

(2) ユーザー企業家の命題への適合性

Ogawa(2013)は,前項で紹介したHabicht et al.(2012)による事例研究と,Shah and Tripsas(2007)が提示したユーザー企業家の命題とを突き合わせ,医療分野のユーザー企業家が生じる条件を考察しており,ここで紹介したい。

まず,Shah and Tripsas(2007)が提示した4つの命題は以下の通りである。ただし,命題の翻訳は筆者によるものであり,Ogawa(2013)によるものとは異なる。

命題1 製品などの使用が経済的便益よりも楽しさを提供するとき,ユーザー企業家は生じやすい。

命題2 当該ユーザーのイノベーションに関わる機会費用が相対的に低いとき,ユーザー企業家は生じやすい。

命題3 当該産業が小規模で,周縁的でニッチな市場からなり,需要の多様性があるとき,ユーザー企業家は生じやすい。

命題4 当該製品市場が不安定なとき(製品が新しく,ニーズについて不確実性や曖昧さがあり,ニーズが刻々と変化しているとき),ユーザー企業家は生じやすい。

Ogawa(2013)はこの4つの命題と,Habicht et al.(2012)の事例研究を照らし合わせ,医療分野のユーザー企業家は上記命題の2~4に当てはまると考察している。命題1が外れたのは,治療を目的とする場合,楽しさを提供する部分が少ないからである。ただし,医療の概念を生活の向上まで拡張した場合,本稿で紹介した医療用のウィッグのように命題1に当てはまる製品やユーザー企業家を見出せるだろう。

命題2についてOgawa(2013)は,疾患をもち治療を受けている患者が職から離れているとすれば,自らのイノベーションに注力した場合の機会費用は相対的に低くなり,ユーザー企業家を目指すのは不思議ではないとしている。命題3の小規模で周縁的な市場とはまさに希少疾患の状況に当てはまるものである。命題4にある,市場の不安定性,ニーズの不確実性については,医療分野でいえば,日常生活における制約の深刻さといったところと関わる。これは患者本人だからこそその程度を認識しやくなり,ユーザー企業家を目指す契機となりうる。

このように命題2~4と医療のユーザーイノベーションは関連がある。Shah and Tripsas(2007)が提示したユーザー企業家の命題は医療分野にも適用できそうである。

2. 患者個人によるユーザーイノベーションの実現可能性

前節をふまえると,特に希少疾患の領域においてユーザーイノベーションが求められやすいと考えらえる。そこで,Oliveira, Zejnilovic, Canhão, and von Hippel(2015)が希少疾患の患者および介護者を対象に行ったユーザーイノベーションの実態調査を紹介したい。

この調査では500名の回答者に,疾患をよりよく管理するために自ら開発,使用している問題解決策をあげてもらっている。新規性のある解決策として,約180件の回答が寄せられた。そのうち40件が医療の専門家にも知られていない新しいものであった。

Oliveira et al.(2015)は患者による解決策の多くが技術的にはシンプルなものであるが,患者には大きな価値を提供するものであったと認識している。一例を紹介したい。疾患により運動失調に陥った子をもつ親がいた。医師や専門家から推奨された方法を用いて子の運動を促したが,うまくいかなかった。偶然,近所で開催された誕生パーティに子を連れて行ったところ,部屋に浮いていた風船のひもをつかもうと興奮して飛び跳ねる子の姿を目の当たりにした。この光景に着想を得て,自宅の部屋に多数の風船を置いたところ,子は長い間,風船をつかむのに熱中した。親は膝を補助するバンドも用意し,立ちやすくなるよう工夫した。これらの一連の策が功を奏し,運動能力が向上したという。この方策は医療の専門家から新しいものと認められた(Oliveira et al., 2015)。

では,風船の例で親は何を開発したのだろうか。風船そのものを開発したのではない。風船を手段に運動を促す方法を生み出した。表1に関連づけると,左半分のマス目に位置するといえよう。子の身体と心に作用をもたらす運動療法を創出したといえる。

Oliveira et al.(2015)の調査は希少疾患の患者や介護者を対象にしたものだった。患者らが医療機器や補助具といったプロダクトを開発した例は10%ほどで,残りは治療法の開発や行動の変容を促す策といったサービスに分類されたものだった。プロダクトのイノベーションの件数が少ないのはなぜだろうか。まだ推測の段階であるが,次の3つの要因があげられる。

1)ユーザーである患者自身が疾患を抱えており行動が制約される。

2)イノベーションを主導するのに専門知識や経験を要する。

3)他分野に比べて成果が出るまでに莫大な費用と長期間を要する。

前節で述べた通り,医療のエンドユーザーである患者は相対的に機会費用が低いことも推測され,イノベーションや起業に取り組みやすい面はあろう。また,自身が抱えている問題は当事者だからこそわかる部分もあり,ユーザーイノベーションに活用できそうだ。

しかし,疾患がその人本来の創造性を低下させていることも考えられる。また,通院による治療で済むほどに回復したとしても,通院治療には多くの時間と体力を要するので,イノベーションに取り組む余力が残らないことも想像できる。

次に2番目の知識や経験について関連情報を提供したい。患者が医薬品の開発に取り組むとしよう。当人には,疾患のほか,生命,身体,化学,薬学などに関する専門知識が必要とされるだろう。特に,ユーザー企業家となって製品化や事業化を進めるのであれば,医薬品開発のプロセス自体もよく知らないといけない。

医薬品開発プロセスに関し,大阪大学が実務者向けに提供している教育コースを紹介したい(Osaka University, Graduate School and School of Pharmaceutical Sciences, 2019)。表2に示した通り,このコースは6つのモジュールからなる。1つのモジュールは4日間で組まれており,1日は4時限で構成されている。受講者は必要とするモジュールを選べる仕組みになっている。実務者対象ということで,1日分だけを見ても膨大な情報,知識を扱っている。こうした体系だった知識を患者が修得するのはとても難しいだろう。

表2

医薬品開発教育のモジュール

(出所)Osaka University, Graduate School and School of Pharmaceutical Sciences (2019).

3番目にあげた費用や時間の要因も医療のユーザーイノベーションの実現可能性に大きな影響を与えることになる。特に,医薬品の有効性や安全性の検証には5年,10年と長期間を要する。その一方で患者側に残された時間やタイミングには限りがある。

上記で論じたもの以外に,厳格な規制も医療におけるユーザーイノベーションを阻む要因としてあげられる。患者の身体に作用を与えるものに区分される医薬品,医療機器の開発に関しては厳しい法規制がある。例えば,「医薬品,医療機器等の品質,有効性及び安全性の確保等に関する法律」の第14条では,医薬品や医療機器を製造・販売するには厚生労働大臣の承認が必要であり,承認の申請には臨床試験の成績に関する資料を添付しなければならないと定められている。

このような制約をふまえると,生活の質の向上をはかるものや運動療法のような補完的な治療法については患者や介護者のアイデアを比較的容易に具現化できそうである。また,表1の右半分に該当するような患者の所有物や情報に作用する方策であれば,費用,時間,規制の問題が少ないと考えられるので,この領域においても患者によるユーザーイノベーションの実現可能性は相対的に高いといえよう。

その一方で,表1の左上に位置し,かつ医薬品や医療機器のように直接的な治療を行うものとなると,患者が個人で挑むには難易度は高くなる。

3. 患者組織による開発要望/支援型のイノベーション

それでは,医療のエンドユーザーである患者は,医薬品や医療機器といった医療の中核的な手段に関し,ユーザーイノベーションを実行できないのだろうか。

Habicht et al.(2012)は医療分野で自らイノベーションを進めた患者の行動パターンとして以下の4つをあげている。1つ目は自身がもつ専門的な知識や経験を深化させ,活用する行動である。2つ目は基本的なアイデアは出すものの,製品開発においては専門知識が欠けていることを認識し,多くの関係者の協力を募り束ねていく行動である。3つ目は患者としての経験を深く内省し,そこから問題の所在や解決策を探る行動である。4つ目は革新的な開発にともなうリスクを受容する行動である。

患者が医薬品や医療機器のユーザーイノベーションを進めるには1つ目や3つ目の行動パターンも重要であろうが,2つ目にある多くの人の力を結集させることも劣らず重要ではないか。特定の疾患の患者,支援者,専門家が集い,情報交換や啓蒙活動を行う組織を一般に患者団体という。外国で使用できる医薬品が日本での製造承認を受けておらず,国内で使用できない,いわゆるドラッグラグの問題がある。海外では使用が認められているのに,国内でそれがかなわないまま,命を落とした患者もいる(Yuasa, 2007)。このドラッグラグの解消のため,患者団体が早期開発を製薬企業や行政機関に対して要望することがある。また,希少疾患の患者団体が臨床試験や治験に参加する患者を大学などの研究機関に紹介したり,製薬企業や大学などに開発資金を提供したりすることもある(Nikkei, 2015)。

これら一連の患者団体の行動はプロダクトやポジションのイノベーションを要望したり,後押しするもので,本稿では「開発要望/支援型のイノベーション」と位置づけたい。

食品や日用雑貨品の分野ではユーザー側が欲しい商品の要望を当該企業に出し,それを受けて企業が開発や販売を行うのは珍しいことではない。このような開発要望の行為をユーザーイノベーションとすることに違和感を覚える人もいるだろう。しかし,医療分野ではエンドユーザーである患者が開発の要望を出すのは一般的でなく,言ってみればパラダイムを変える行為ともいえる。また,製薬企業や大学と患者団体との共創ともいえ,ユーザーイノベーションに含めてもよいのではないか。

以上,患者団体が要望したり,支援したりする形でのイノベーションを論じたが,逆に患者団体などが開発や使用の取り止めを要望する例もある。ここで2つの例を紹介しておきたい。1つは1990年代に生じたものである。既存のがん治療薬の有効性を検証する臨床試験に患者団体が異議を唱えたものである。すでに標準的な薬剤や治療法が認められているのに,さらに古い薬剤の効果を臨床試験で検証することは被験者に不利益をもたらすと取り止めを主張したのである(Kozaki, 2013; Tashiro, 2016)。治療薬のプロフェッショナルなユーザーである医師らが企画,実施した臨床試験を患者団体が差し止めようとした。この臨床試験は最後まで実施されたが,反対運動の影響もあり,被験者が予定通り集まらなかったとのことである。

また,アトピー性皮膚炎の治療法に関して,ステロイド剤の副作用を問題視し,脱ステロイド療法の必要性を訴えている患者団体がある(Ushiyama, 2015)。この団体は患者が運営しているが,脱ステロイド療法を実践する医師との結びつきも強い。Ushiyama(2015)は医療人類学の先行研究を参考にしながら,医療を提供するセクターとして,「専門職セクター」,「民俗セクター」,「民間セクター」の3つがあると指摘した。専門職セクターは近代医療を提供するもので,本稿第1章であげた医業を行うものとなる。民俗セクターはいわゆる民間医療を指し,「自由医業類似行為」を行っているといえる。最後の民間セクターには,NPO,NGOなどの非営利組織や患者団体が含まれる。ここで紹介した脱ステロイド療法を推す患者団体も民間セクターに入る。なお,脱ステロイドの療法は標準治療でないため,これを提唱する医師は専門職セクターと民俗セクターの中間に位置することになる。

脱ステロイド療法が主流でなく,周縁的であるため,この療法を支援する患者団体は脱ステロイド医との関係が強く,この患者団体が専門家主導でも患者主導でもない中間的な団体になっていると同氏は考察している。この例でも患者団体がある治療方法を抑制する形でイノベーションを実行しようとしている。

IV. 開発プロセスへの患者参画による共創

1. 開発プロセスに患者が参画する意義

本章では,医療分野のユーザーイノベーションに関して難易度が高いと考えられる医薬品開発に患者らが参画する意義を論じたい。具体的には臨床試験や治験への患者参画を中心に論じる。まずは臨床試験や治験に限定せず,製薬企業などがユーザーと共創を進める意義について確認したい。Smits and Boon(2008)は製薬産業における伝統的な研究開発の流れが変わろうとしていると指摘した。1980年代までは基礎研究で発見されたものが臨床研究,製品化へと移行するといった直線的な流れに乗って研究開発が遂行されていた。将来の見通しがきき,品目ごとの開発計画はパイプラインと称されていた。研究開発の主役は製薬企業,大学,研究機関であった。しかし,研究開発費の高騰,市場競争の激化,科学技術の進展,情報をもち高度な付加価値を求めるユーザーの出現といった現象を背景に直線的な研究開発の遂行が難しくなってきたという。

同氏らは製薬産業において,製薬企業や大学などが,患者団体,医療機関,保険企業といった広い意味でのユーザーと相互作用しながら研究開発を進める方向に移行するとの展望を示した。また,製薬企業などが上記ユーザーを研究開発に参画させることが正当とされる理由を以下の通り5つあげた。

1つは,希少疾患の治療薬に関する理由である。患者団体や学会からの要望を製薬企業や研究機関が受け止め,応えることでいわゆる市場の失敗の回避につながる。2つ目はリードユーザーのような先見性のあるユーザーの動向を捉えることは製薬企業などにとっても利点があるからである。例えば,ある医療機関が先進的な治療法や診断法を採用し,ほかの医療機関がその成否について関心をもっていたとしよう。製薬企業などが先進的な医療機関の動向をつかみ,製品化などを共に行うことで将来,ほかの医療機関に普及させることが可能になる。また,患者団体が経験的な知識(experiential knowledge of patients)をもっていることがある(Caron-Flinterman, Broerse, & Bunders, 2005)。例えば,栄養素の摂取状況とある疾患の発生の関係ついて仮説を提示した患者団体がある。製薬企業などはこうした患者団体と交流を深めることで集合的な患者の経験や知識を入手,活用できる。3つ目は患者団体などからの資金提供により,研究開発の費用効率が高まるからという理由である。4つ目は新技術の社会の受容に関するところである。研究開発の成果をめぐり,さまざまな利害関係者が存在しうる。イノベーションの普及に反対する組織があれば,こうした組織の要望にも耳を傾ける必要がある。また,当該イノベーションを肯定し,製品化を強く擁護してくれる「チャンピオン」と呼ばれる組織と関係が構築できれば,イノベーションの普及につながる効果が期待できる。最後の5つ目は理念的なところである。基礎研究などに公的な資金が投入されているほか,イノベーションの影響を受けるのはユーザーである。したがって,ユーザーの希望が聞き入れられるのは民主的なことであるとSmits and Boon(2008)は説明している。

本稿で注目している患者の臨床試験や治験への積極的な参画は上記の5つの理由においては2番目に該当するものであろう。臨床試験や治験に関する患者側の知識や経験を試験の実施主体である製薬企業などが活かすことにつながる。Tashiro(2016)によると欧米において新薬の臨床試験や治験の設計に患者が参画する動きが2000年代以降,見られるようになった。「患者の知」を活かすことが研究の社会的価値も高めるとの認識を広がってきたからである。

患者が新薬などの臨床試験や治験のあり方について意見を申し立てることについては,英国で先行しており,患者・市民参画(Patient and Public Involvement: PPI)と呼ばれている(Muto, 2014)。Muto(2014)によれば,ここでの参画とは,臨床試験や治験に被験者として参加するという意味でなく,臨床試験などの計画立案,実施,結果分析において積極的に関わることを指す。患者や市民が参画することにより,患者情報の利用が被験者に配慮して行われるなどの利点が期待されている。また,同氏は英国の医療分野の専門誌で患者の査読者を募集したことも伝えている。患者の査読者には,論文テーマが患者らにとって重要であるか,患者の立場から論文に欠落している点や逆に強調すべき点はないか,実際に患者に役立つ研究かといった事項に関し,意見を求めるとのことである。

こうした潮流は日本にも押し寄せている。健康・医療戦略推進法により閣議決定された「医療分野研究開発推進計画」は2016年に改正され,「臨床研究及び治験の実施に当たっては,その立案段階から被験者や患者の参画を促進するとともに,患者・国民への臨床研究及び治験の意義やそれが国民にもたらすメリット等についての啓発活動を積極的に推進する必要がある」との文言が盛り込まれた(Muto, 2018)。

2. 患者団体によるイノベーションへの参画と課題

前節で述べた通り,患者のイノベーション参画の機運は高まっている。しかし,依然として具体的は施策が提示されていないとの指摘もある(Tashiro, 2016)。ここで,日本の患者団体が置かれた状況やイノベーションへの参画の例を論じたい。

Iwasaki et al.(2016)は海外と日本の患者団体が医薬品開発とどのような関わりもっているかについて調査をし,比較した。同氏らは欧米では創薬研究の段階から患者団体が行政機関や製薬企業と協力関係を構築している例が見られたが,日本の患者団体の場合,関係機関と協力関係を築いている例は多くないとの印象を表明している。

日本の患者団体の関係者を集めて行われた座談会(Amano, Iwasaki, Kugimiya, & Tsuda, 2016)で,ある出席者は大学の医師などが主導して行う治験であれば,拠点となっている病院や協力要請の情報を得やすいが,製薬企業による治験においてはどの段階から患者団体が関与できるのか,それが適切なのかも含めて不明であると述べている。このように日本において,患者団体による臨床試験や治験への関与について見通しが立っているわけではないが,本稿では先進的な2つの事例を紹介したい。

1つ目は脊髄損傷者への再生医療に関する臨床試験についてである。この試験の設計に患者団体が関わった(Sakai, 2014)。当該患者団体の「日本せきずい基金」は医科大学が臨床試験を実施することを,2003年のプレスリリースを通して知った。その患者団体は大学側に質問状を送り,試験実施前に質疑応答する機会を得た。さらに当該臨床試験に関する公開セミナーも開催するにいたった。この一連のやり取りで,移植細胞を培養する方法の問題点を患者団体側が指摘して変更につなげたり,臨床試験の被験者への説明・同意文書を患者の視点を取り入れて添削し,修正案を取りまとめた。ただし,この参画は当初より予定されていたものでなく,試験の実施に気づいた患者団体側が自発的に働きかけて実現したものである。

2つ目の事例は日本網膜色素変性症協会が2013年に実施した研修会である。当時,iPS細胞を用いた臨床研究が始まることを見越し,大学と研究機関に所属する研究者と患者が意見交換を行った。ワークショップ形式で研修会は行われ,患者グループの討論内容も含めて細部にわたり記録化され,同協会のウェブサイトで公開されている(Japanese Retinitis Pigmentosa Society, 2014)。この研修会に関わったTashiro(2016)は,新規性の高い臨床試験では不確実性があり,試験のあり方を決定するプロセスに患者が参画する必要性が増すであろうと展望し,この研修会でのやり取りは後に続く活動の参考になると意義を訴えた。ただし,これらの2つの事例は大学などの研究機関と患者団体とが連携したものである。製薬企業と患者団体の連携や交流が待たれるところである。iPS細胞を用いた臨床研究にはリスクが懸念されるが,こうした患者団体が肯定的に支援するのであれば,Smits and Boon(2008)が提示した,強力な支援組織「チャンピオン」となりうる。

本節では患者団体が臨床試験に参画した例を紹介したが,手放しでよいものと評することはできない。ここで課題も指摘しておきたい。1つは患者団体の負担の問題である。患者団体によって設立の経緯,会員規模,運営体制は異なる。例えば,「卵巣がん体験者の会」の代表者が関係誌に連載執筆したもの(Katagi, 2018)によれば,この代表者は患者や家族からの相談に応じており,多い日には7,8人から相談を受けるとのことである。臨床試験への参加をめぐって相談者に成り代わって医療機関に問い合わせをしたり,時には夜遅くまで患者の相談に乗ることもあるとのことである。患者団体の継続性を考えると,負担が特定の人に偏らない仕組みづくりが必要となろう。

また,先に述べた患者団体担当者による座談会(Amano et al., 2016)において,臨床試験や治験への被験者を患者団体が集めたり,紹介したりすることにリスクがあることも指摘されていた。患者団体が会員の患者に向けて臨床試験や治験の情報を提供したり,試験への参加を仲介したとする。試験に参加した患者に有害な事象が生じた場合,どのような責任が問われることになるのかといった不安を関係者が表明していた。患者団体が開発を支援する形でイノベーションを進めた際のリスクとその対応も今後の検討課題となるだろう。

患者団体と製薬企業との関係性について製薬業界も留意しているところである。製薬企業の業界団体である日本製薬工業協会は患者団体との協働のあり方をまとめたガイドラインを制定した(Japan Pharmaceutical Manufacturers Association, 2017)。ここでは,製薬企業などが「患者団体の活動方針や運営に関して,主体性と独立性を尊重する」ことや「患者団体に対し,医療用医薬品の広告・宣伝を伝えません」といった文言が掲げられている。

V. おわりに

本稿では医療分野におけるユーザーイノベーションの実現可能性を考察した。まず,医療の概念とユーザーイノベーションの概念をそれぞれ広く捉え,同分野におけるユーザーイノベーションの分類や多様性を確認した。医療におけるユーザーイノベーションの目的として直接的な治療を掲げるものもあれば,生活の質の向上や家族の安心を高めるといったものもありうることを指摘した。また,ユーザーイノベーションが作用する先の分類に関して,触知性に着目した分類を試み,患者の身体に作用するものもあれば,患者が所有する端末や身体情報へ作用するものもあることを例と絡めて指摘した。

医療分野のユーザーイノベーションは希少疾患の領域で必要性が高いと考えられる。しかし,簡単ではない。特に患者を治療する目的で,患者の身体に作用を及ぼす医薬品や医療機器の開発を患者が行うことは難しく,組織化された患者団体で実行できることを考察した。

今後,検証が必要となるが,患者の生活の質の向上をはかるものや,患者の所有物を対象にしたユーザーイノベーションについては患者主導でアイデアを創出することが可能なのではないか。一方,医薬品や医療機器については患者だけで開発を進めるのが難しい。患者団体が臨床試験や治験の被験者を研究機関などに紹介したり,被験者への試験内容の説明方法を提案するといった形での参画が実現性が高い策としてあげられるだろう。

臨床試験や治験への患者団体の参画について,日本ではまだ普及していない。本稿では先進的な例として,日本せきずい基金と日本網膜色素変性症協会の取り組みを紹介した。ただし,この2件は大学などの研究機関と患者団体とが連携,交流したものである。製薬企業と患者団体との連携が待たれるところである。これを実現するには,両者の協働関係について,議論を重ねる必要がある。

今回の研究では日本における事例の紹介にとどまっていた。今後は英国をはじめとする欧米各国で患者参画がどの程度進んでいるのか,その知見を日本で活かすことは可能なのか,患者参画を推進するにあたり,日本特有の課題はあるのかなどを論じたい。日本では患者が臨床試験や治験に参画する意識が弱いのかもしれないが,変化のきざしがある。Muto(2018)は日本で過去5年以内に治験参加経験をもつ人を対象にした調査を行った。多くの人が治験の経験をもとに自らの意見を表明できそうと回答している。例えば,「試験実施期間中の被験者への配慮事項」については68.8%の回答者が,「説明・同意文書の内容の適切さ」については65.6%の回答者が自分の意見を述べられそうと答えた。同氏は「経験ある被験者」の養成の意義を唱えている。

それから,本稿で取り上げた事例の多くが希少疾患に関連するものであった。希少疾患でなく,患者が多く,製薬企業がもとから主導的に研究開発を進めている領域では患者参画の意義や実現可能性がどう変容するのかについても今後,考察したい。

大原 悟務(おおはら さとむ)

同志社大学商学部准教授

同志社大学大学院商学研究科博士課程退学

学位 商学修士(同志社大学)

2003年より同志社大学商学部専任講師

2009年より現職

References
 
© 2019 The Author(s).
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