マーケティングジャーナル
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書評
松井剛(2019).『アメリカに日本のマンガを輸出する― ポップカルチャーのグローバル・マーケティング ―』有斐閣
関沢 英彦
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2020 年 39 巻 3 号 p. 140-142

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本書の業績は,非物質財である文化製品のグローバル・マーケティングに新たな知見をもたらしたことにある。文化製品でも,とくにマルチモーダルな表現物を海外に広めるときは,特別な配慮が求められる。例えば,英雄という日本語を英語のヒーローに翻訳することに比べて,その図像を含めて伝えることは困難を伴う。アメリカでは,ヒーローは肉体的に大きいことが求められるが,日本では小さいことが多い。マンガの場合,アメリカでは複数人数のフレーミングが多いのに対して,日本では接近した部分画像が多用される。コンテンツの輸出の成否は,文化の枠組み,視覚言語の違いなどが左右する。本書は,そうした難しさを伴う日本マンガのアメリカへの輸出の経緯を詳細に分析している。

まず,第1章では,ポップカルチャーとしてのマンガの海外進出が,「クール・ジャパン」というスローガンのもと,政策的課題になったことが示される。その上で,本書が目指すのは,「ある国や地域で育まれてきたポップカルチャーを海外に輸出する際に生じる文化的障壁をどのように克服するべきなのか,というグローバル・マーケティングにおける重要課題を検討すること」にあると確認される。具体的には,日本のマンガがアメリカ市場にどのように提供され,受容されたのかを現地出版社の行動を通して明らかにしていく。

第2章では,グローバル・マーケティングの論点を解きほぐすために,異文化ゲートキーパーとスティグマという2つの視点が導入される。文化製品を創りだし流通させる仕組みは,文化産業システムと呼ばれる。文化産業システムは,消費者に提供するものを絞り込むフィルターの役割をするゲートキーパーでもある。ゲートキーパーとしての文化産業システムは,商業的に成功する可能性のある「タレント」を探索・選択し,アーティストと連携してコンテンツの生産にも関与する。加えて,アウトプットを評価し,特定の製品を消費者に薦める。言うまでもなく,アメリカに輸出されたマンガは,現地の慣習・文化に適応させる必要がある。一方,規模の経済性を享受し,複雑性を減らすために標準化も求められる。文化の違いが,日本のマンガに対してアメリカの消費者が受け入れにくい部分を生み出すこともある。「他の人に望ましくないとみなされてしまう属性」を,アーヴィング・ゴフマンはスティグマと名づけた。本書は,アメリカの出版社がスティグマと想定される部分をいかに管理していったかを詳細に論じる。

第3章では,分析のための元データが紹介される。アニメ・コンベンションのフィールドデータ,出版社や翻訳家への取材などが第一の柱である。また,1,000冊を超える英訳された日本マンガの書誌データベースの構築,業界誌,業界ニュースメディア,ファンコミュニティサイトからの2次情報の収集,英訳された日本マンガやアメコミを掲載したマンガ誌の検討がなされる。アメリカ市場におけるポップカルチャーをよく知る人に寄稿を依頼した『一橋ビジネスレビュー』も資料である。フィールドや文献の調査だけでは捉えにくい対象をどう把握可能なものにするかという手続きについて,後学の徒に役立つ部分と言える。

第4章から第7章は,1986年以前から2014年頃までのアメリカにおける日本マンガの浸透状況を具体的に分析している。第4章は,日本マンガの市場が成立していない1970年代から1980年代半ばを対象とする。当時,アメリカにおいてマンガを輸入する書店は,顧客の注文に従って探索・選択を行うだけの受け身的な存在であった。異文化ゲートキーパーは生まれていなかった。中沢啓治『はだしのゲン』が非営利組織によって英語に翻訳されたが,それは商業出版と言うよりも平和運動の一環であった。日本マンガは,1983年に『マンガ!マンガ!:日本のコミックスの世界』によって本格的に紹介される。

第5章は,1987年から2001年頃を扱う。小学館の子会社ビズコミュニケーションズが翻訳した日本マンガを,アメコミを販売するコミックショップで扱ってもらうことに成功した時期である。アメコミスタイルでのマンガ出版を可能にするために,左開きに対応する反転印刷,オノマトペの翻訳,アメコミ的口調によるセリフの翻訳,カラー化,アメコミと同様の薄いフォーマットと刊行スケジュール,内容修正などの現地適応化がされた。

第6章は,2002年から2007年頃を対象とし,トウキョウポップがマンガ市場を拡大していく成長期を検討している。トウキョウポップは,日本と同じ右開きのマンガを一般書店で販売し,子どもを取り込むことに成功した。また,少女マンガをアメリカに導入することにも貢献している。第5章と第6章は,ビズコミュニケーションズとトウキョウポップという2つの異文化ゲートキーパーの戦略の違いが検討されており,グローバル・マーケティングの展開についてとくに示唆に富む部分である。

第7章は,2008年から2014年頃までを扱う。リーマンショックに伴って縮小したアメリカのマンガ市場は,インターネットの普及によって再び活性化する。まず,アメリカのファンが,日本のマンガを勝手にスキャンし,翻訳(トランスレーション)をするスキャンレーションによって新しい局面が開かれる。その後,日本の出版社がアメリカ市場に同時配信を始める。定額制のサブスクリプションサービスによって,アメリカの読者層は,日本と同じマンガを,しかも,未知のマンガも含めて接することができるようになる。

第8章は,異文化ゲートキーパーが,アメリカ市場で望ましくないと受け止められるスティグマをどのように管理し,対応したかが分析される。子ども市場への対処,アメリカの道徳規範に従った修正,ジェンダーに関するステレオタイプの解消などが上げられている。

第9章は,アメリカ市場と比較したフランスのマンガ市場が考察される。アメリカと異なるのは,日本人や日本の出版社でなく,フランス人が主体となって市場を形成した点にある。さらに,フランス市場は,多様なマンガを受け入れ,性暴力表現にも寛容であるとされる。

第10章では,異文化ゲートキーパー,スティグマ管理という2つの視点についての理論的意義と実務的意義がまとめられる。巻末では付録として,ポップカルチャーをめぐる中央官庁の施策である「クール・ジャパン」競争が検討される。ポップカルチャーを巡る文化政策の問題点を考える上で役立つ。付録には,加えてマンガ書誌データベースの詳細,取材先の一覧,関連年表が収録されている。

以上を読み進んできた読者は,今後の展望についても知りたくなるだろう。本書にはすでに手がかりが示されている。第7章で指摘されたように,インターネットによって,日本のマンガは直接,アメリカの読者に届くようになってきた。その際,アメリカにおける異文化ゲートキーパーの担い手は全く影響力を失うのか,検索エンジンなどによるフィルタリングが新しい関門になることはないのか,ソーシャルメディアによる日本マンガのファン作りはどこまで広がりを持てるのかなど,諸問題の追跡は読了した者に課せられている。まさに本書の貢献は,海外へのコンテンツ輸出に関する明解な見取り図を描き,今後,私たちが何に取り組むべきか,何に取り組む必要がないかを考える好機を与えてくれたことにある。

 
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