マーケティングジャーナル
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マーケティングケース
4億本を売り上げる,赤城乳業の『ガリガリ君』マーケティング
岩井 琢磨牧口 松二
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2020 年 40 巻 1 号 p. 107-117

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Abstract

このケースでは,年間4億本という売上本数を誇る氷菓「ガリガリ君」に注目する。「ガリガリ君」は,赤城乳業から1981年に発売されたロングセラーブランドである。赤城乳業は2004年から,同商品のパッケージ・キャラクター「ガリガリ君」のマーケティング活用を積極化している。以降,新味追加などの契機に話題を発信し,氷菓「ガリガリ君」の売上本数を,2004年の1億本台から2013年の4億本台へと成長させている。この間の「ガリガリ君」のマーケティングを担当したのが,現在は赤城乳業株式会社 執行役員 開発本部本部長代行である萩原史雄である。荻原は1995年に赤城乳業に入社,営業として販売現場に立ち,販売企画課を経て2004年に営業統括部(マーケティング担当)を設立した。さらに2006年にはキャラクター「ガリガリ君」をマネジメントする「ガリガリ君プロダクション」を設立し,2013年にはマーケティング部を設立した。正に「ガリガリ君」を核とした取り組みによって多くの生活者による語りを生み出してきた人物である。このケースでは,萩原に対する2018年の取材および2020年の講演に基づき,赤城乳業が氷菓「ガリガリ君」を成長させたマーケティング活動のプロセスについて見る。

Translated Abstract

This case deals with a long selling brand of popsicles “Garigari-kun” that has been produced by Akagi Nyugyo since 1981. It focuses specifically on the marketing effort since 2004, using a fictional elementary school student character “Garigari-kun,” which helped boost its sales from 100 million to 400 million units annually. Fumio Hagiwara, the current acting director of Akagi Nyugyo’s development division, was in charge of the “Garigari-kun” marketing strategies for many years. He joined the company in 1995, first worked in sales, moved to the sales planning division, and then established the sales management division in 2004. He also created a specialized “Garigari-kun Production” division to promote the character in 2006, and finally established the marketing division in 2013. These reforms enabled the company to promote the brand effectively both online and offline, and “Garigari-kun” became a popular topic of conversation among customers. The case is based on an interview with Hagiwara in 2018 and his public lecture in 2020.

氷菓「ガリガリ君」のキャラクター

出典:赤城乳業提供

I. はじめに

このケースでは,年間4億本という売上本数を誇る氷菓「ガリガリ君」に注目する。「ガリガリ君」は,赤城乳業から1981年に発売されたロングセラーブランドである。

赤城乳業は2004年から,同商品のパッケージ・キャラクター「ガリガリ君」のマーケティング活用を積極化している。以降,商品の新味追加などの契機を捉えて大量の話題を発信し,同時に氷菓「ガリガリ君」の売上本数も,2004年の1億本台から2013年の4億本台へと成長させている。

この間の「ガリガリ君」のマーケティングを担当したのが,現在は赤城乳業株式会社 執行役員 開発本部本部長代行である萩原史雄である。荻原は1995年に赤城乳業に入社,営業として販売現場に立ち,その後販売企画課を経て2004年に営業統括部(マーケティング担当)を設立した。さらに2006年にはキャラクター「ガリガリ君」をマネジメントする「ガリガリ君プロダクション」を設立し,2013年にはマーケティング部を設立した。正に「ガリガリ君」を核とした取り組みによって,多くの生活者による語りを生み出してきた人物である。このケースでは,萩原に対する取材に基づき,赤城乳業が氷菓「ガリガリ君」を成長させたマーケティング活動のプロセスについて見る。

II. 赤城乳業の概要

赤城乳業は,1931年創業のアイス専業メーカーである。資本金は7億7,000万円,売上は2006年212億円から2018年471億円へと,12年で2倍以上に成長している。社名に乳業とあるが創業は乳製品メーカーではなく,1916年に創業された「町のアイス屋さん」がその起源である。

企業メッセージは「あそびましょ。」である。社員数は390人(2020年現在)で,アイスという夏期商品中心の会社であることから,同社ではこれらの社員を冗談めかして「越冬社員」と呼んでいる。本社および本社工場は埼玉県深谷市にあり,2010年には新工場「本庄千本さくら『5S』工場」を稼働させ生産能力を増強させている。営業拠点は,札幌・仙台・北関東・東京・名古屋・大阪・中四国・福岡にある。

同社の主力商品は,1981年発売の氷菓「ガリガリ君」である。商品ラインアップとしては「ガリガリ君」のほかに,「ソフ」,「ガツン、とみかん」,「ミルクレア」,「ブラック」,「チョコミント」などがあり,そのほかにも多くの他社とのコラボ商品を展開している。なかでも「ガリガリ君」の年間売上本数は1993年の4,100万本から2013年には4億7,500万本へと拡大している。萩原は「ガリガリ君」のことを,「日本で一番購入率が高いアイスブランド」であると述べている。

III. キャラクター「ガリガリ君」の歴史

一般的にロングセラーブランドは,パッケージや新しい味の追加などはあっても,商品自体を大きく変更する訳ではない。ブランドが長寿化すれば,市場における地位が確保され売上の安定をもたらす一方で,ブランドの鮮度が失われていくというジレンマもある。つまりロングセラーブランドを育成するためには,常に新しい物語を発信し続け,それが「多くのステークホルダーの間で共有され,語り継がれ,中長期的に企業の競争力を強くする」という循環を保つ必要がある(Iwai & Makiguchi, 2016)。

赤城乳業はキャラクターの「ガリガリ君」をシンボルとして活用する独自の取り組みによって,これを実現している。

氷菓「ガリガリ君」は,赤城乳業の氷菓製造技術を活かして開発され,1981年に発売された商品である。同社には1964年に発売された,「赤城しぐれ」というカップ氷菓のヒット商品がある。しかしカップだと食べるときに両手が塞がってしまうため,「子どもが遊びながら食べられるかき氷ができないか」という着想から,スティックタイプの開発を始めたという。ただ氷菓にスティックに挿すだけだと陳列の際に崩れやすく,スティックがすぐ抜けてしまうという問題点があった。そこで同社はかき氷をアイスキャンデーでコーティングし,さらに子どもに人気のあるソーダフレーバーを採用し,現在に至る「ガリガリ君」が誕生した。また当初から,「『あたり』の文字がスティックに入っていたらもう1本もらえる」という,クジ付きスティックを採用した。価格は発売時の1981年から1990年までは50円,1991年から2015年は60円,2016年4月からは70円であり,子どもがお小遣いで買える価格設定を保っている。発売当時の商品コンセプトは,「でかい・うまい・安い・当たりつき・爽やか」である。

赤城乳業は同商品の発売直前まで,食べる時に「ガリガリ」と音がすることから,商品名も単に「ガリガリ」にしようと考えていたという。しかし「ガリガリ」だけでは何か寂しいという話を担当者が社内でしていたところ,社長が「じゃあ『君』をつけよう」と提案したことから,満場一致で「ガリガリ君」という商品名に決まったという。そこからキャラクターが想起され,同商品が「子どもが遊びながら食べられる」ことを価値にしていたことから,青空の下で元気に遊ぶ「わんぱくなガキ大将」をイメージしたキャラクターデザインになった。「ガリガリ君」は発売当初からキャラクターのイラストをアップデートしてはいるものの,一貫して同キャラクターをパッケージに使用し続けている(図1)。

図1

ガリガリ君のパッケージデザイン

出典:赤城乳業提供

IV. ロングセラーブランド「ガリガリ君」の取り組み

1. 2004年~2006年:1億本時代「キャラクターの活用」

氷菓「ガリガリ君」が初の1億本を超える売上本数を記録したのは2000年であったが,その後に1回落ち込んだものの再び本数を伸ばし,2004年には記録的な猛暑も手伝って,1億4,800万本という過去最高の売上本数を記録していた。2006年に発売から25周年を迎えることもあり,赤城乳業社内では同商品の売上本数の拡大が大きなミッションになっていた。しかし社内ではブランド認知向上・配荷店舗数拡大による伸長は最早ピークに達したという認識があり,これ以上の売上本数拡大のためにはこれまでとは違う取り組みが必要と考えられていた。

一方でキャラクター「ガリガリ君」は高い認知度があるものの,2004年に行われた7,600人を対象とした雑誌での「企業キャラクター調査」において,「嫌いな企業・商品キャラクター」でベスト5に入ってしまっていた。萩原は当時の認識について,「商品は好かれているが,キャラクターが嫌われている。それならばキャラクターの価値をアップさせれば良いのだから,可能性は無限にあると考えた」と話している。赤城乳業はこの年から,キャラクター「ガリガリ君」を最大限にマーケティング活用するという取り組みをスタートさせた。

まず2005年春には,「ガリガリ君レインボー売場」キャンペーンを行った。パッケージが青の「ソーダ」,赤の「コーラ」,黄色の「グレープフルーツ」,薄い赤の「りんご」,さらに「ゆず」「みかん」「ピーチクーラー」「マスカット」などの色とりどりの商品ラインアップを売場にならべ,まるで「レインボー」のような売場をつくった。これはアイス売場では特売時にまとめ買いが起きる傾向があることから,「『ガリガリ君』の持つ物語性・商品の多さなどを明るくアピールし,アイスクリーム売場の視認性・話題性を高める」(萩原)ことが狙いであり,大きな成果を上げた。続く2005年夏には,「子どもたちの夏の会話の中にガリガリ君を登場させる」ことを狙いとして,ゲーム会社と太陽の下でしか遊べない携帯ゲームを発売したり,漫画雑誌に「ガリガリ君」を連載したり,キャラクターが商品を飛び出し,独自に活動する取り組みを行った。

この年の取り組みが大きな話題となり,赤城乳業は「『ガリガリ君』というキャラクターで話題をつくることで,アイス売場そのものに人を呼べる」(萩原)という手応えを掴んだ。この時点で赤城乳業が改めて「ガリガリ君」のブランドイメージ調査を行ったところ,他社商品よりも「楽しさ」というイメージで突出していることがわかったという。

これを受けて2006年春には,この「楽しさ」を徹底的に追求するために,赤城乳業自体の企業メッセージを「あそびましょ。」に変更している(図2)。この時の企業メッセージ変更の狙いを,荻原氏は「突き抜けた『ガリガリ君』25周年実行のために企業メッセージ・HP・社章までもチェンジし,全社員を巻き込むことで,逃げ道をなくしました」と述べている。

図2

企業メッセージ「あそびましょ。」

出典:赤城乳業提供

「ガリガリ君」の25周年の年となる2006年夏には,さらにキャラクター「ガリガリ君」が,パッケージを飛び出し単独のタレント活動を広げている。その一つが仮想の部活動,「ガリガリ部」である(図3)。商品パッケージで募集したところ会員は約1万人に達し,これらの会員がブログへの登録のほか,各種キャンペーンなどに参加するという結果となった。例えば同年8月には,ガリガリ部員約5万人のアンケートを行い,その結果から「みんなのマンゴー味」を開発し発売している。

図3

仮想の部活動「ガリガリ部」キャンペーン広告

出典:赤城乳業提供

そのほかにも,山手線アドトレイン,花火大会でのうちわ配布,キャラクターと一緒に商品サンプリングなど,キャラクターを中心に各世代に向けたプロモーションを数多く展開した。

この時の成果を,萩原は「提供した話題がネット,口コミが広がることによって,想定外のターゲットにも響くことがわかった」としている。話題づくりが生活者の商品に対する行動に大きな影響を与えることを実感した赤城乳業は,次は商品から話題をつくろうと,あえて氷菓の低迷期である冬に口コミを狙い「ガリ子ちゃん」を発売した。さらに年始には縁起物アイスという位置付けの「ガリガリ君リッチ」を投入した。氷菓のプロモーションとしては非常識とも言える冬期での展開について萩原は,「しょーもなさすぎるほどの計算から生まれた」と表現している。この取り組みが奏功し,2006年冬期の売上本数は,前年比で2.5倍以上になった。

また2006年はこれらの継続的な話題発信によって,各種メディアの新商品ランキングで上位に入ったほか,特集で小学生の人気商品として取り上げられるなどの広報成果も拡大した。氷菓「ガリガリ君」の年間売上本数は,2006年に過去最高となる1億5,800万本に到達した。

2. 2007年~2009年:2億本時代「話題量の拡大」

「とにかく生活者と一緒に楽しむことを徹底したコネタ」(萩原)の連発によって,生活者が動くという手応えを掴んだ赤城乳業は,2007年には「あらゆるコネタを生活シーンに散らす」ことに取り組む(Okui, 2013)。

平日には出勤前・出勤途中・出勤中・帰宅中・帰宅後の日常生活のあらゆる時間帯,さらに休日にも「ガリガリ君」との接点をもってもらうことを目指し,交通広告・看板・Webサイト・モバイル・他社コラボなどを通した接点増強を目指していった。さらにJリーグやティーン向けのイベントや,江ノ島海の家やビーチクリーンや花火大会といったイベントなど,キャラクターを核としたコラボレーションを数多く仕込むことに注力した。このようなアイス売場にとどまらない日常生活での様々な場所での告知,イベントとのコラボレーションなどによって話題をつくり,生活者をアイス売場に誘引することを目指した。

2008年には野球大会・サッカー大会などの各種スポーツ大会とのコラボレーションを行ったほか,音楽会社から「ガリガリ君」の新曲発表をしたり,ゲームセンターに「ガリガリ君」のUFOキャッチャーを置いたり,細かく多数のコラボレーションを行うことにさらに注力した。

これらの取り組みによって口コミが急増し,同時に売上本数もアイス市場の伸びを大きく上回る151%という伸長率となり,2007年には年間売上本数2億2,300万本を記録した。さらに2008年・2009年も連続して2億本を超え,2009年の年間売上本数は2億4,500万本に達した。これを萩原は,「ブレないコネタ提供の継続の成果。口コミは話題としてのある閾値を超えた時に,初めて大きな売上効果が出る」と語っている。

3. 2010年~2011年:3億本時代「新規生活者の獲得」

2010年2月に赤城乳業は,本庄千本さくら「5S」工場を稼働させた。これを受けてガリガリ君の生産能力は大幅に拡大した。すでに年間売上本数は2億本後半に至っており,単純計算では全国民が年間2本買っている計算になる。

しかしこの時,萩原はたまたま雑誌で「アイスクリームベスト30」というランキングを目にする。それは一定数の調査対象にアイスクリームブランドの喫食有無を聞き,その比率でランキングしたものだった。そのランキングでガリガリ君は第5位に入っていたが,喫食比率は約14%と示されていた。萩原はこれを見て「それなら食べる人をまだ増やせるだろう」と考え,この年の戦略課題を「新規顧客拡大」に設定した。

2010年には,サッカーW杯南アフリカ大会が行われた。新規顧客拡大のためにはコネタではなく「大ネタ」が必要と考えた萩原は,サッカー日本代表チームとのコラボレーションを仕掛けた。この取り組みを荻原氏は,「全国でガリガリ君を食べている人を約1,800万人,サッカー日本代表チームを応援する人は約6,700万人と考えると,その差はなんと4,900万人。この取り組みで新たに4,900万人のガリガリ君ファンを獲得できる(笑)」と表現している。サッカー日本代表とのコラボレーションキャンペーンでは,「サッカー日本代表のテレビ観戦はハラハラドキドキの連続,ほっと一息できるハーフタイムにガリガリ君ソーダSAMURAI BLUEを食べてリフレッシュ。ハーフタイムにみんなで6,000万本食べよう」とうたったキャンペーンを展開した。

2011年には東日本大震災が発生した。ガリガリ君はこの年30周年を迎え,日本の子どもたちに「元気!勇気!楽しさ!」を提供しようと,「みんなでがんばろう!」というメッセージを広告などを通して発信した。さらに電力不足を受けて,「ガリガリ君とうちわで暑い夏を乗り切ろう!」というメッセージと共に「エコ祭り」を開催したり,東北キャラバンを行ったりと,子どもたちを勇気づける活動を数多く行っている。

さらに節電不況が予測された2011年には,アイス需要の落ちる冬季に「ラーメンの後にガリガリ君」という新しい食シーンの提案を行っている(図4)。「東京ラーメンショー2011」に協賛,ガリガリ君「梨」を先行販売し,ラーメンショー開催期間の5日間で合計2万5,734本を売上げた。これは来場者の約5人に1人が,ラーメンの後にガリガリ君を食べた計算になるという。これらの販売によって得た利益は,東日本大震災の義援金として寄付されている。

図4

「ラーメンの後にガリガリ君」キャンペーン広告

出典:赤城乳業提供

またこの年には全国で30周年展覧会「ガリガリ祭り」を展開するほか,東北ガリガリ君キャラバンや,大阪天保山,香川ニューレノマワールド,埼玉国際ジュニアサッカー大会,山梨や九州での音楽や映画イベントなど,きめ細かく地方でのイベントにキャラクターが巡回するキャラバンを仕掛けている。

これらの取り組みによって年間売上本数が2009年から急速に増加,2010年には3億本を突破し,2011年には3億9,000万本に到達した。

4. 2012年~2013年:4億本時代「単品異常値の販売」

2012年2月の商談時に,ひとりのバイヤーから萩原は次のように声をかけられた。「売れる商品を安定供給させようとしているのは理解できるけど,夏のガリガリ君の開発,攻めていないよね,守っているよね。ガリガリ君には,みんな何かやってくれると期待しているよ。ガリガリ君だけには,何か新しいこと,遊び心にチャレンジしてほしい。その責任,義務があると思うよ」,というものだった。この言葉に代表されるように,既にガリガリ君は,生活者からも小売からも常に新しいことを期待されるブランドに成長していた。2012年に設定した目標について,萩原は「赤城乳業の商品・話題からアイス売場の新規顧客拡大をはかり,単品の異常値販売を達成すること」を目指したとしている。

2012年6月には,2011年に大人気のため品薄となった「梨」を季節限定で発売した。事前に「2012年夏,どこまで販売は伸びるのか!?今年こそ“まぼろし”とは言わせない!日本全国の梨ファンのみなさま,お待たせしました!」としたリリースを配信して事前に話題を喚起して販売し,前年比で230%・2年間で約5倍という販売を記録した。

さらに2012年8月には「夏は,まだ終わらない!ガリガリ君史上,最大のニュース!最大の衝撃!」とリリースし,「ガリガリ君リッチコーンポタージュ」を発売した(図5)。この商品はYahoo!トップで7回掲載されるなど大きな話題となり大ヒットを記録した(Kobayashi, 2016)。あまりの人気から商品供給が追いつかず,9月に一時販売休止した際にはJR東海道新幹線内の電光ニュースでも掲示されるなど,大きな社会現象にまで至った。

図5

「ガリガリ君リッチコーンポタージュ」パッケージ

出典:赤城乳業提供

この期間の成果から,ガリガリ君には多くのファンがおり,すでにアイスという商品を超えたニュースを生み出す媒体になっていた。赤城乳業はこの時期,商品そのものの行動によって大きく話題を獲得し,商品販売につなげられるという手応えを感じている。萩原はこのことを,「ガリガリ君をプラットフォームにして,大きなニュースを発信する。これによって普段アイスを買わない生活者がアイス売場に誘引され,アイスを買う購買者になってくださり,アイスを食べる消費者になってくださる」と表現している。

またこの時期の商品を起点としたPR動線について,萩原は「リリースによってネット系ニュースとSNS拡散を獲得する。これがさらにネット系ニュースやマス番組で取り上げられ,話題化する。その上で商品を発売するとたくさんの方が商品を体験してくださり,今度はその感想をSNSで拡散してくださるということが起こった」と語っている。

これらの取り組みによって,「ガリガリ君」の売上は2012年には4億3,800万本,2013年には4億7,500万本に到達している。キャラクター活用を始めた2004年の1億4,800万本から,約10年で売上本数において3倍以上の成長を記録した。さらに1981年の発売から見ると,19年かけて1億本を突破し,その後7年で2億本,3年で3億本,そして2年で4億本を突破していることになり,年間売上本数において成長を加速させている。

V. 「語り」を生み出す組織横断型チーム

1. 赤城乳業の「ガリガリ君」における取り組みの特徴

赤城乳業の「ガリガリ君」における取り組みの特徴は3つある。

第一にその話題発信の「多量性」である。「ガリガリ君」というキャラクターを軸にして,夏期を山場に大量の「コネタ」を展開している。サッカー日本代表とのコラボレーションという大型キャンペーンを展開した時でさえ,その周辺にコラボグッズなどの「コネタ」を仕込むことを継続している。

第二には話題作りの「多面性」である。コネタの種は自らの広報や広告展開といった“プロモーション”領域でも豊富だが,赤城乳業の取り組みはそこに留まっていない。当初はアイス売場という店頭から取り組みを始め,その後各種のイベントやコミュニティサイトを開発したように“プレイス”領域でも話題を作り出している。そして2016年春に「ガリガリ君」の価格を60円から70円へと値上げした際には,経営陣が全員で謝罪するというTVCMを展開して話題となり,ニューヨークタイムズにも掲載されるなど社会的にも大きな注目を集めた。つまり“プライス”をも話題化している。さらに近年では「コーンポタージュ」に代表されるような奇抜な新味を展開し,“プロダクト”自体でも話題を作り出している。一貫して「ガリガリ君」というキャラクターをアイコンとして,プロモーション・プレイス・プライス・プロダクトというマーケティングの4Pすべての領域で話題を作り出していると言える。

第三は,話題づくりと発信の「継続性」である。一時的に大きな話題を作り出すだけであれば,その時期に集中した大型展開を図れば起こり得ることである。しかし赤城乳業の「ガリガリ君」の場合は,2004年以降,話題作りと発信を絶え間なく続けている。つまり「ガリガリ君」は,多量かつ多面的な話題を継続して発信し続けている。これによってガリガリ君というキャラクターが絶えず生活者の目に触れるだけでなく,その蓄積が生活者の期待をつくり,発信される話題への生活者の反応を良くしているとも考えられる。また話題に触れた生活者は,コンビニエンスストアなどの身近な店舗で気軽にその商品を体験できる環境もある。話題化が売上本数に直結するのは,赤城乳業が氷菓カテゴリーの代表企業であり,全国に幅広い配荷網を持っている強みを活かしていると考えられる。

2. プロジェクトチーム

このような多量性・多面性・継続性ある取り組みを生み出すために,赤城乳業は「ガリガリ君プロジェクトチーム」を編成している。チームは組織横断型であり,マーケティング部を筆頭に開発部・商品情報・技術部・購買部・品質保証部・ガリガリ君プロダクションなどで構成されている(Furukawa, 2019)。2013年時点では8名で運営されており,平均年齢は30歳台,男性5名・女性3名で構成されている。「コネタ」アイデアはどの担当者からも出し,チームで議論する形式で生み出しているという。

このプロジェクトチームには,ガリガリ君のアイデアを発想するための行動ルールがある。第一は「普段の生活導線の中で考える」ことである。アイスという領域に捕われず,普段の生活に焦点を広げてネタを考え,それをアイス売場に関連づけるためにネタを掘り下げることを考えている。この基本姿勢について萩原は,「しょーもないことの発想が基本」と語っている。また組織横断型チームであるためそれぞれに担当している現業務があり,アイデアを考える時間をまとめて取ることが難しい。だからこそ「忙しさを言い訳にせず」(萩原),普段の生活の中で情報の幅を広げることを意識しているという。

第二は「まずは0円企画から」考えることである。0円・低予算で考えようとすると,自然と色々な場所に出て,人と会うために自ら動くことになる。「そこからヒントが生まれる。つながり,紹介によってネタが拡大していく」という。

第三は「共創」である。赤城乳業の取り組みは,生活者を巻き込んで一緒に楽しみながら話題化し,ブランドとしての鮮度を保ち続けている。このルールについて,「ガリガリ君の場合,リアルにネタを置き,ツイッターなどでネタに突っ込んでもらう。メーカーと生活者は対等の関係,話題は一緒につくるもの。生活者の視点と正直に向き合う姿勢があれば大丈夫」と,萩原は述べている。

また萩原は組織横断型のチームでのディスカッションを成功させるポイントを,「アイデアを普通に否定すること」と述べている。職能もバラバラのチームで,何が良いアイデアで何が良くないアイデアかという基準があるわけではないからこそ,否定することで「やってはいけないこと」の判断基準への共通認識が生まれることが重要であるという。

3. 赤城乳業の企業風土

さらに萩原がいうところの「しょーもないコネタ」を発想できるのは,赤城乳業の企業メッセージに「あそびましょ。」とある通り,「赤城乳業が小学生の頃のわくわく感を忘れていない会社だからだと思う」と萩原は述べている。「しょーもないことを一緒に面白がる,そんな子どもの頃の気持ちを忘れていないから,『しょーもないイノベーション』を起こし続けてこられたのだと思います」。

VI. 実務への考察

以上の赤城乳業における「ガリガリ君」の取り組みから,今後のマーケティングにおける生活者とのコミュニケーションという実務において,いくつかの考察を行いたい。

ひとつめは,戦略の位置付けについての考察である。赤城乳業のガリガリ君の取り組みは,生活者・競合・自社を分析して成功する戦略を立案するという,固定的な設計を行っていないように見える。またコミュニケーションという焦点で見ても,TVCMなどの広告を大量に投下してブランドあるいはキャラクター認知をあげ,店頭での販売数をあげるといった取り組み形式はとっていない。ただ継続的な成長を目指し,戦略目標も自社のポジションや社会で起こっている事象に合わせて柔軟に変化させ,「コネタ」と呼ぶ手段に集中しているように見える。固定的な戦略を設計するのではなく,生活者にコネタを投げかけ,その反応によって適応的に次の打ち手を考えている。生活者が自ら情報の発信者となり,また体験を即座にオンラインでシェアできる時代において,生活者の反応を事前に全て予測することは困難である。特に消費財など比較的購買やブランドスイッチが容易い商材においては,多量・多面的な施策を継続的に打ち込み,その反応を確かめながら対応していくという戦略の位置付けが重要になっていくと思われる。

ふたつめは,組織体制についての考察である。赤城乳業のガリガリ君の取り組みは,前述した通り口コミ誘発のための広報や広告という“プロモーション”領域に限定していない。話題化を狙ったキャンペーンなどを多く投下する一方で,店頭やファンクラブといった生活者接点としての“プレイス”領域でも話題をつくっている。さらには「ガリガリ君」の値上げという“プライス”領域でも話題化を図り,商品パッケージや新味販売という“プロダクト”領域での話題をも作っている。つまりブランドの話題発信を販促領域の業務と捉えずに,マーケティング要素のすべてを話題化するという取り組みを行っている。これが可能にしているひとつの要因が,部署横断の取り組み体制である。マーケティング部が販促や営業的な側面だけに留まらず,開発部や技術部などとも連携して商品開発にも関われる体制をとっている。話題は情報に過ぎないが,それを商品に落とし込むことによって話題を知った生活者が商品を購入して体験するという一連のストーリーを築き,話題の増加が売上本数の増加につながるという成果を生み出している。生活者による語りを売上という成果にまで繋げていくためには,ひとつの領域に閉じない横断型体制によって戦略を立案し実行していくことが重要になっていくと思われる。

謝辞

このケースの執筆においては,赤城乳業株式会社 執行役員 開発本部本部長代行である萩原史雄氏に,多大なるご協力を頂いた。萩原氏からは,講演でのお話のみならず個別取材にも応じて頂き,取り組み内容だけでなくそこでのお考えについても説明をして頂いた。これらはマーケティングの結果ではなくプロセスを理解する上で貴重な示唆であり,学術的にも多くのヒントになるものである。なお本文中ではケース形式の記述とするため,敬称を省かせて頂いている。この場を借りてご容赦をお願いし,ご協力に厚く御礼を申し上げたい。

岩井 琢磨(いわい たくま)

早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了。1993年大広入社。2012年コーポレート・コミュニケーション・センターのセンター長に就く。事業変革・企業ブランディング設計プロジェクトを数多く支援。2018年株式会社顧客時間 共同CEO/代表取締役に就任。

牧口 松二(まきぐち しょうじ)

早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了。1992年博報堂入社。2001年博報堂ブランドコンサルティング創立メンバーに加わり,2009年執行役員に就任。新規事業戦略,ブランド戦略策定・実行支援等に関わる。2020年マーケティングプランニング戦略局局長代理に就任。

References
  • Furukawa, Y. (2019). Akagi-nyugyo: 1,000 bon nokku de kibatsusa hagukumu. Nikkei Business, September 23, 60–63.(古川湧(2019).「1000本ノックで奇抜さ育む」『日経ビジネス』9月23日号,60–63)(In Japanese)
  • Iwai, T., & Makiguchi, S. (2016). Monogatari senryaku. Tokyo: Nikkei BP.(岩井琢磨・牧口松二(2016).『物語戦略』日経BP)(In Japanese)
  • Kobayashi, N. (2016). “Garigari-kun ni ayamaraseru wakeniwa ikanai”: Shain sode no neage owabi CM ni 25 nenmae no hansei. Nikkei Digital Marketing, July, 17.(小林直樹(2013).「『ガリガリ君に謝らせるわけにはいかない』:社員総出の値上げお詫びCMに25年前の反省」『日経デジタルマーケティング』7月号,17)(In Japanese)
  • Okui, M. (2013). “Kudaranee” ga saidai no sanji: “Rashisa” wo burasazu ni kaishingeki. Nikkei Trendy, May, 168–169.(奥井真紀子(2013).「『くだらねえ』が最大の賛辞:“らしさ”をぶらさずに快進撃」『日経トレンディ』5月号,168–169)(In Japanese)
 
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