マーケティングジャーナル
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書評
森藤ちひろ(2021).『ヘルスケア・サービスのマーケティング ― 消費者の自己効力感マネジメント ―』千倉書房
南 知惠子
著者情報
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2023 年 42 巻 3 号 p. 88-89

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人生100年時代の健康寿命の延伸問題,医療高度化による医療機関の経営課題,さらにCOVID-19パンデミックにより明らかになった我が国の医療体制の不備やICT利用の増強の必要性など,医療や健康増進に関連した課題は多い。医療・健康増進に関するサービスはヘルスケア・サービスと総称されるが,医療の提供は公共性の高いサービスと捉えられ,また健康増進自体が新サービス創出の機会として捉えられてきている。このような環境下,本書は,消費者行動の視点からヘルスケア・サービスにアプローチし,患者の満足がどのように形成されるのか自己効力感を鍵概念として明らかにしようとするものである。

我が国では,クリニックでかかりつけ医に総合的に診てもらえるというプライマリケアへのアクセスは他国に比較して恵まれており,患者側は少なからぬ選択肢から医療機関を選べる状況である。健康増進についても様々な運動施設があり,企業が従業員への健康管理支援を行うなど,これも消費者側に提供される機会が多い。ヘルスケア・サービスについて患者側がどう反応し,行動するのかを明らかにし,それらの知見に基づきサービス提供側がいかにマーケティング活動に活かしていくかは社会的需要が高まっていると想定される。

なかでもヘルスケア・サービスへの品質評価と,結果として起こる満足とが複雑な関係を持つことがこれまで研究上の関心を集めてきている。飲食のサービスであれば,料理や接客が期待した水準であったのかどうかで顧客側の満足度は決まることが想定されるが,医療サービスの場合,医師の丁寧な説明の仕方が顧客に良い感情や品質評価をもたらしたとしても,結果として治療の効果がなければ患者側に満足感は生まれない。さらに医師の診断や技量も重要でありながら,患者側の治そうとする気持ちや良くなるという期待感も重要なのである。この複雑な満足の構造については,医師と患者との相互作用の特性に依るところが大きいが,本書はこの複雑な相互作用と患者満足がどのように生まれるかについて,理論的,実証的に明らかにしている。

本書は,サービス研究におけるサービス品質と顧客満足との関連性についての研究蓄積をベースにしながら,まずヘルスケア・サービスの特性について整理する。医療サービスには,専門サービスとしての医師と患者との間に情報の非対称性が存在し,また医師側の医療行為への意識は,患者を顧客扱いするサービス感覚とは異なるものであることを説明する。一方の患者側や健康増進が必要な消費者については,ヘルスケア・サービスにおいては,自らの参加や努力が必要とされることが特徴としてクローズアップされる。アドヒアランスといった患者の積極的な治療方針への遵守や,そして「自己効力感」という,自ら望む結果を実現するうえで必要な自分自身の中にある信念に焦点が当てられ,関連する概念とともに議論が展開される。

ヘルスケア・サービスの質に関して,患者からすれば,医療機関として設備が整っているか,医師によりどのように医療サービスが受けられるかのプロセスも重要でありながら,最終的には病気が治癒する,あるいは状態が改善するかの結果が重要である。これらのことは本書では,構造品質・過程品質・結果品質として理論的に説明され,さらに満足が品質評価とどのように関連するかの先行研究を踏まえ,とりわけ医師と患者との相互作用に焦点を置く。

本書において特筆すべきはこの医師と患者との双方への調査研究である。クリニック7施設と大学病院1施設に勤務する医師12人と,各医師が担当する外来最新患者135人に対し個別に半構造化インタビューを実施し,医師と患者とのペアリングにおいて,患者の価値観に応じていかに両者の関係性のモデルを構築すべきか,医師が患者との相互作用の中で見出すことの効果を論じている。

本書における主題は自己効力感の患者満足への影響であるが,自己効力感自体は新奇な概念でなく,Banduraにより1970年代に提起された,人の行動原理を説明するものとして,心理学分野ではむしろよく知られた概念であり,測定方法も開発されている。ヘルスケア・サービスの研究分野のみならず,先端技術ベースの新サービスの受容に関する研究分野では自己効力感の概念が頻繁に適用され,操作化されてきている。本書における自己効力感に対するアプローチのオリジナリティは,ヘルスケア・サービスのマーケティングの変数として扱っていることである。具体的には二水準の自己効力感についての調査分析の結果をもとに,性別や年齢といった人口動態的な変数ではなく,自己効力感により患者(消費者)層をセグメンテーションすることを主張している点に本研究の特徴がある。

本書において論じられる自己効力感には,長期的に保持され一般化された,特性としての自己効力感と,特定課題に対する自己効力感との二つの水準がある。後者の特定課題とは治療意欲や健康増進のことであり,本研究では「健康自己効力感」として概念化される。調査対象となったヘルスケア・サービスにおいてはサービス提供者のサービス品質が健康自己効力感を経由して患者満足を高め,施設のサービス品質は提供者のサービス品質を通じて間接的に影響することを実証的に明らかにしている。さらにサービス消費後の治癒意欲および健康意識の変化と患者満足との関連を分析し,自己効力感の高低によるセグメンテーションと,自己効力感をマネジメントすることを提唱している。一方,特性的自己効力感についても消費者層を分類する軸として用い,情報探索や健康意識等の消費行動の差異が見られることをWeb調査により明らかにしている。

本書全体を通じて,患者・消費者の自己効力感と品質評価,満足との関連を定性的・定量的な様々な調査を組み合わせ,多層的にアプローチしながら,ヘルスケア・マーケティングに資する実践的な含意を導き出そうとしている著者の姿勢が強く印象に残る。過去10年間にわたる調査研究を成果としてまとめたものであるが,先鞭をつけた医療ツーリズムにおける消費者の動機づけや品質評価問題については,COVID-19の影響を受け,消費者の移動に関する研究がその後進められなかったことが推測できる。また近年台頭してきている,スマートウォッチを通じた診断や健康管理などのICT利用のヘルスケア・サービスに対する消費者行動研究の発展も望まれるところである。こうした新しい現象に対して,著者が今後どのように研究を発展させていくか期待したい。

 
© 2023 The Author(s).

本稿はCC BY-NC-ND 4.0 の条件下で利用可能。
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