マーケティングジャーナル
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書評
矢作敏行(2021).『コマースの興亡史』日本経済新聞出版
石原 武政
著者情報
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2023 年 42 巻 3 号 p. 90-92

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I

本書の著者,矢作敏行氏は日本経済新聞社時代から,日本の流通問題,それも現実に展開している小売業を追いかけ,最先端の小売業態に流れる太い「論理」を探り出そうとしてきたことで知られている。その姿勢は大学に職を得てからも変わることなく,むしろより一層強く,深く追求されるようになったとさえ思われる。例えば,氏の初期の著作である『コンビニエンス・ストア・システムの革新性』(日本経済新聞社,1994年)はコンビニエンス・ストア・システムの内部に立ち入り,現場の論理を積み上げる中でその革新性を明らかにしたものとして高く評価され,日本商業学会優秀賞を受賞した。その後も氏の姿勢は変わることなく,本書に関連するものだけでも,『小売イノベーションの源泉』(日本経済新聞社,1997年),『日本の流通100年』(共編著,有斐閣,2004年),『日本の優秀小売業の底力』(編著,日本経済新聞社,2011年)といった著作として公表されてきた。その一貫した姿勢と生み出された質の高い研究書の多さには,ただただ敬意を表するほかはない。

本書『コマースの興亡史』はそうした著者の長年の研究の延長線上にある。本書は,日本の小売業の発展を丁寧に追いかけ,そのルーツを戦前あるいは江戸時代からの商業倫理の確立の求めてきた著者のまさに集大成とも言うべき大著である。ごく簡単に本書の流れを整理しておこう。

本書は序章,終章のほか,4部,11章から構成される。まず序章では,商業社会の誕生をアダム・スミスの時代(日本ではそれに先立つ江戸時代)に求めた上で,今日に至るまでの過程における3つの分水嶺を提示する。この分水嶺こそ,本書を貫く太い,大きな流れである。そしてこの分水嶺は第1章で概要が説明される。

第1部第2章では江戸商人,あるいは石門心学にまで遡り,日本における商業倫理の確立を確認する。これが著者の言う第1の分水嶺である。

第2の分水嶺はチェーンストアの確立であり,それが第2部の内容をなす。第2部は第3章から第8章までの6章から構成され,本書の中心部分をなしている。まず,第3章でチェーンストアによって戦後の流通革命を主導した中内功と渥美俊一を取り上げ,第4章でその小売事業モデルの革新性を確認する。その上で,第5章でスーパーマーケットの業務革新を関西スーパー,サミット,ヨークベニバルを通してみ,第6章ではセブン-イレブン・ジャパンを通してコンビニエンスストアの連続的適応をみ,第7章ではファストリテイリングを通して製造小売業の経営革新を分析する。これによって,戦後の小売業における主要な業態革新が俎上に乗せられたことになる。そして第8章ではこれら流通革命期の革新が総括され,広く浅いイノベーションから狭く深いイノベーションへの進化が確認される。

第3の分水嶺はデジタル社会の到来であり,第3部ではそれによって発生する既存のチャネルの破壊が考察の対象となる。第9章ではプラットフォーマーの出現による小売ビジネスの変容が紹介され,第10章では従来のパイプライン型・オフライン型に加えて,新たにプラットフォーム型,オンライン型が組み合わさって展開されるという構図が示される。

第4部第11章では,この革新の長い歴史を貫くのは顧客に対して「価値あるもの」をいかにして提供するかの戦いであったことを確認し,その上で価値が製品価値から経験価値に変容し,価値の提供から価値の共創へと進化してきたことを確認している。

終章ではこうした革新,あるいは分水嶺を貫くのが顧客中心志向であった改めて確認される。

このごく簡単なスケッチだけからも,本書が膨大な実証研究の成果を著者独自の理論枠組みに基づいて分析・整理した壮大な研究であることが理解できるだろう。しかも,それは単に過去の歴史的分析に止まることなく,現在進行中の新たな現実を見据え,歴史を将来に向かって拡大しようとする意図まで含んでいるようにみえる。それだけでも,本書の価値がいかに大きいかがわかるであろう。評者としては,1人でも多くの人に本書を手に取って,丁寧にお読みいただくよう願わずにはいられない。

II

こうした壮大な視野をもった著書に目を通せば,多くの共感と感動を覚えるが,しかし反面で,いくつかの違和感ないし疑問を抱くことになるのも事実である。以下,その中の主要なものを指摘することによって書評者としての責めを果たしたい。

第1はCaveat Emptorの理解についてである。これは古来の取引関する大原則で,評者は「買い手ご用心」と表現してきたが,著者は「買い手責任制」と表現している。それは取引に際して売り手と買い手の間に情報の非対称性が存在し,そのため取引には必然的にリスクが伴うが,そのリスクは買い手が負わなければならないという大原則である。もちろん,この原則がそのまま働けば,買い手は取引に消極的となり,結果として売り手は買い手を見出せず,市場取引全体が萎縮する。それを避けるための手段は売り手の側でも,あるいは市場全体の運営者や政府の側からも行われる。売り手にとってみれば,品質保証等を通して買い手のリスクを軽減することは間違いなく競争優位に立つことを意味する。そして,その嚆矢となったのが,ヨーロッパでは19世紀の生活協同組合の正直商法であり,百貨店の品質保証であった。

そのこと自体に争いの余地はないが,果してそれをもって「買い手責任制から売り手責任制へと商業倫理を転換し」た(29頁,356頁)とまで言えるのだろうか。確かに,新たに品質保証を導入した生協や百貨店は買い手のリスクを大幅に軽減したが,売り手の多くが直ちにそれに追随したわけではなかろう。経済全体の中では,いぜんとして買い手責任論は健在であったし,生協や百貨店との取引においてさえ,買い手はすべてのリスクから解放されたわけではなかったはずである。そのことは,その後もさまざまな詐欺まがいの商法が横行したり,その度に「正直商法」が改めて強調されたことや,製造物責任法や各種の消費者保護法が制定されてきたことからも明らかであろう。個々の売り手が自らの信用を高めて取引を拡大しようと努力してもなお,取引にはリスクは付き物であり,社会における制度としてはそれを買い手が負担するほかはないというのが現実であったように思われる。

そのことは,デジタル社会の中で,誰もが発信者となり,その意味で誰もが商人となる時代が到来してもなお変わらない。確かに,例えばクックパッドに投稿すれば誰もが「マーケッター(調理人)」になることができる。しかし,誰もが一流の調理人になるわけでは決してない。いわば誰もが「そこそこの調理人」としてネット上に並列されるわけであり,その中から「本物」を見つけ出すのは依然として買い手に委ねられたままである。多くの利用者の投票(「いいね」)によってランキングされるとしても,そのランキングさえもが操作されている可能性が指摘されるのであり,買い手責任論はどこまでも付きまとっているように,評者には思えてならない。

第2は3つの分水嶺と通して流れる「顧客志向」についてである。確かに,指摘されるように小売革新の歴史の中に顧客志向を読み取ることはできる。だが,効率化を求める顧客志向の追求はともすれば川上の納入業者や関連事業者への「圧力」を生み出す。実際,かつての理不尽ともいえるリベートの要求から,店着価格という慣行の拡大解釈ともいえるセンターフィー問題,不当な返品や派遣店員の問題,あるいはコンビニにおける粗利分配方式という名の下での優越的地位の乱用問題など,係争点となった問題は数多い。しかし,この点についての言及は本書を通じでほとんどない。むしろ,「コンビニの圧倒的なバイイングパワー(優越的な購買力)は…伝統的な流通制度・取引慣行を創造的に破壊した」(162頁)と肯定的に評価している(コンビニ問題については167頁,233頁に簡単な言及があるが,それだけである)。

確かに,顧客志向が効率化を求め,その競争に促されるように新たなオペレーションの方法が開発され,それが小売革新を生んできたのは間違いない。しかし,それによって顧客により良い価値の提供が可能になったとしても,「他者を思いやる同感」(51頁)が果たして川上の納品業者や関連事業者,あるいは加盟店に対して向けられたと言えるかどうかは大いに疑問が残る。この点の問いかけが見られなかったのは,残念に思えてならない。

おそらくそれは,著者が求めた顧客志向が直接の取引相手としての顧客への気遣いであったことに由来するのであろう。「売り手よし,買い手よし,世間よし」は近江商人の心根を表現したものとされるが,本書にはこの中の「世間よし」の視点がほぼ完全に欠落している。実際,石田梅岩から説き起こした本書にして,「三方よし」あるいは「世間よし」は67頁に一度触れられるだけであり,索引にも採用されていない。

第3は,ないものねだり的な願望である。著者は小売市場は取扱品目からみると,食品系と非食品系に分かれ,後者はさらに衣料品系と住居・家庭用品系の2つに分類されるとしているが(193頁),ドラッグストアを含め,住居・家電系の事例研究が見られなかったのは残念である。特に家電業界は化粧品業界とともに,戦後,大型小売店が誕生するのを待てなかったかのように,メーカーによる系列化がいち早く強く推し進められ,かつて著者が「ツー・パラレル・システム」と評した事態が展開した業界である。それだけに,これらの業界についてもぜひ触れて欲しかったという願望は捨てきれない。しかし,そうすればこの大著がさらに特大の著になることは必至であり,それを考えれば,これは余りにも欲深い願望というべきなのかもしれない。

最後に本書のタイトルについて触れておきたい。本書を「コマースの興亡史」としたのは著者の一大決断であったと想像する。英文タイトルはRetail Industryであり,本書の革新である3つの分水嶺は,本文の中では「商業社会における分水嶺」として提示されている(20頁)。それでもなお,タイトルに「コマース」という語が選ばれたのはなぜか。英文タイトルがRetail Industryであるのは,ヨーロッパはまだしも,アメリカではこの語はほとんど用いられていないことが一因であるのかもしれない。しかし,日本においてもコマースの語はほとんど用いられてはいないのだから,おそらくもっと深い理由があるに違いない。

だとすれば,小売業の革新に幅広く迫りながら,なお小売業としては語りつくせない何かがあると考えるほかはない。それが小売業を含む幅広い取引のネットワークを意味するのか,あるいは他に理由があるのか。著者は明確な説明を与えず,その理解をわれわれ読者に委ねている。それはおそらく多様な解釈を許容するという著者の意思表示でもあるのだろう。もしそうだとすれば,その真意を探るためにも,もう一度改めて本書を通読してみたいと思う。本書はそうするに値する書であり,そうすることによって,初読の時とは違った新たな発見や気づきを与えてくれることも間違いないであろう。

 
© 2023 The Author(s).

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