マーケティングジャーナル
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書評
西井真祐子(2023).『感覚訴求が消費者の感情と認知に及ぼす影響 ― 無自覚な連鎖反応のメカニズム ―』千倉書房
朴 宰佑
著者情報
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2025 年 45 巻 2 号 p. 175-177

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I. 本書の趣旨

私たちの購買選択は純粋に製品の良し悪しの評価だけで決まるのであろうか。店舗照明の明るさ,店内に流れるBGMや漂う香り,ソファーの座り心地,製品のネーミングやパッケージデザインなど,実は多くの環境要因や製品の周辺要因が消費者の購買意思決定に大きく影響していることが感覚マーケティング研究で明らかにされている。

本書は,感情や認知の形成は感覚システムや環境・状況的文脈に基づいていることを主張する基盤化された感情(grounded emotion)と基盤化された認知(grounded cognition)を理論的根拠として,感覚訴求が消費者の購買意思決定に与える影響を考察している。また,本書では,単一の感覚のみならず感覚間相互作用にも注目し,一つの感覚経験が別の感覚経験にいかなる影響を与えるかも検討される。

感覚訴求と感情の関係に関する実証研究では聴覚に焦点が当てられ,音楽の倍音(harmonic)が安心感知覚と製品の触覚評価に与える影響が検証される。感覚訴求と認知の関係に関する実証研究では視覚に焦点が当てられ,処理流暢性(processing fluency)と抽象的な意味概念の活性化の観点から製品パッケージの文字情報と影の方向性の一致や製品画像の背景色が製品評価に与える影響が検証される。

本書は感覚訴求によって形成される感情や認知が消費者の製品評価や購買行動に与える影響のメカニズムを体系的に検証することで,従来の情報処理モデルでは十分に説明できない感覚刺激としての環境要因や製品周辺要因と消費者行動の関係性の理解を促してくれる。

II. 本書の構成と概要

本書はIII部9章で構成されている。第I部は「感覚訴求と感情」,第II部は「感覚訴求と認知」,第III部は「感覚訴求と個人特性」である。

第I部では感覚刺激が感情に及ぼす影響が検討される。第1章「感覚訴求が消費者に及ぼす影響の議論」では,感覚訴求に関するマーケティング研究のうち,多感覚経験(multisensory experience)に焦点を当てた先行研究のレビューが行われる。この作業を通じて触覚とその他の感覚の相互作用に関する議論が少ないこと,また,とりわけ聴覚と触覚の相互作用の検討が最も少ないためこれらの相互作用が消費者に及ぼす影響の検討が必要であることが示される。第2章「感覚訴求が感情に及ぼす影響の議論」では,身体感覚に基づく感情である基盤化された感情と消費者行動に関する先行研究をレビューし,こうした感情が消費者に与える影響の研究をポジティブとネガティブの2つの視点で整理している。この作業からポジティブ感情に比べてネガティブ感情には孤独感や他者によって生じる圧迫感など高次で対人的なものが多いこと,また,ポジティブ感情に比べて,ネガティブ感情が消費者の製品やブランドの評価に与える影響の検証が不十分であることを提示される。第3章「倍音と安心感」では,第2章で検討した感情のうち安心感に注目し,店舗内の背景音楽が消費者の安心感知覚に与える影響についての実験室実験の概要と結果が示される。実験では,音楽の構成要素のうち音の基本周波数と整数倍の関係の周波数を指す「倍音」に焦点を当て,倍音の種類の違い(偶数次倍音対奇数次倍音)が消費者の安心感知覚に与える影響を検証している。その結果,偶数次倍音(基本周波数の偶数倍の周波数を持つ音)が多く含まれるように背景音楽を調整した場合,奇数次倍音(基本周波数の奇数倍の周波数を持つ音)が多く含まれるようにしたそれに比べて,消費者の安心感知覚が有意に高まることが確認される。第4章「倍音が安心感,製品評価に及ぼす影響」では,第1章で検討した感覚間相互作用に注目し,背景音楽の倍音の操作が安心感知覚および触覚重視型製品(タオル)の温かさと柔らかさの触覚知覚に与える影響を1つの郵送調査と2つの実験室実験によって検証している。その結果,第3章と同様に偶数次倍音に調整された背景音楽は,奇数次倍音のそれに比べて,安心感知覚を高めることを再確認する一方,タオルに対する温かさや柔らかさの評価は安心感知覚が高い偶数次倍音の条件よりもその知覚が低い奇数次倍音の条件のほうが有意に高いことが示される。

第II部では身体化認知(embodied cognition),基盤化された認知,処理流暢性の観点から感覚刺激が認知に及ぼす影響が検討される。第5章「感覚訴求と身体化認知の議論」では身体化認知に関するマーケティングおよび消費者行動研究のレビューが行われる。この作業を通じて物理的な身体感覚のみならず消費者の想像による身体的認知によっても特定の意味概念が活性化され,そうした活性化が製品の評価や購買に影響を与えることが確認される。第6章「感覚訴求と情報処理の流暢性の議論」では感覚訴求が消費者に影響を及ぼす主要な心理メカニズムのひとつである処理流暢性に焦点を当て,その種類を知覚流暢性,概念流暢性,検索流暢性,適合流暢性,運動流暢性の5つに大別した上で各流暢性が消費者行動にいかなる影響を与えるかについて先行研究のレビューが行われる。第7章「パッケージから伸びる影が製品評価に及ぼす影響」では,消費者の視覚的処理に注目し,製品パッケージに記載された製品名の文字方向とパッケージの影の方向の一致が製品に対する選好に与える影響を3つの実験で検証する。その結果,2つの方向性が一致する場合は不一致の場合に比べて処理流暢性が向上し製品選好を高めることが実験参加者のセルフレポートと反応時間の両側面から確認される。第8章「背景色が製品評価に及ぼす影響」では,製品を擬人化しやすい製品(ぬいぐるみなど)と擬人化しにくい製品(ゴミ箱など)の2つに大別した上で,製品画像の背景色という視覚刺激が製品の触覚知覚に関する印象形成と選好に与える影響が2つのオンライン実験で検証される。その結果,背景色を暖色(vs. 白色)にした場合,擬人化しやすい製品をより温かく,柔らかく知覚すること,また親しみやすさと購入意欲も高まることが確認される。

第III部では感覚訴求が消費者行動に及ぼす影響における個人特性の役割が検討される。第9章では感覚訴求の効果を調整する個人特性として性別,年代,文化,心理的特性が提示され,先行研究のレビューからそれらの特性がいかに感覚訴求効果を調整するかが考察される。また,これらの特性に加え,今後検討すべき調整要因として個人の孤独感とエージェンシー感が紹介される。終章では全体のまとめとして本書の研究成果と今後の研究の方向性が示される。

III. 本書の貢献と課題

本書の貢献は次の3点にまとめられる。第1に,感覚訴求の影響メカニズムについての理解を深化させた点である。感覚訴求が消費者の購買意思決定に影響することは多くの先行研究で確認されている。しかし,なぜ感覚訴求が消費者行動に影響するかについての心理メカニズムは未だ十分に解明されていない。本書は,丹念な先行研究のレビューとそこから導き出された斬新な仮説を厳密に統制された消費者実験で検証することで,感覚訴求が感情経路と認知経路を経由して消費者の購買意思決定に影響を与える心理プロセスを明らかにしている。第2に,感覚間相互作用についての新しい知見を提供している点である。ひとつの感覚に焦点を当て,その感覚訴求が消費者行動に与える影響については多くの研究知見が蓄積されている。一方,ある感覚が別の感覚の知覚に影響するクロスモダルな経路によって感覚訴求が消費者行動に与える影響については未だ十分な検証がなされていない。本書は,背景音楽が製品の柔らかさと温かさの知覚に有意な影響を与えることを明らかにすることで,先行研究ではほとんど考察されていない聴覚と触覚の相互作用に感覚マーケティング研究が注目するきっかけを提供している。第3に,本書は感覚マーケティング研究に対する理論的インプリケーションのみならず実務の現場で活用できる有用な実践的インプリケーションを多く提示している点である。たとえば,本書で検証された背景音楽と安心感の関係は,快適な小売環境の設計,サービス体験に対する信頼感の醸成,医療施設の利用における不安の解消など幅広い分野に活用できるであろう。また,製品画像の背景色(暖色)が製品の温かさの知覚に有意な影響を与えるという研究知見は,製品やブランドに対するポジティブな印象形成のための広告デザインやウェブサイトの設計,ロゴ開発などに活用できるであろう。

一方,本書で得られた研究成果をさらに精緻化するためには以下のような課題に対応することが求められる。ひとつは,感覚訴求が消費者の感情と認知に与える影響を一つの研究で同時に検証することである。本書では感覚訴求が感情と認知という2つの経路を通じて消費者行動に有意な影響を与えることを確認している。しかし,感情と認知の媒介効果をそれぞれ別の研究で検証しているため,影響経路における感情と認知の相対的重要性の比較などができていない。また,容易ではないものの,感覚訴求の影響における感情と認知の相互作用を検証することができれば感覚訴求の影響メカニズムの解明に大きく貢献するであろう。もうひとつは,実際の購買環境における感覚訴求効果の検証である。本書で示された研究知見は主に実験室実験で得られたものである。厳密に統制された実験室環境とは異なり実際の購買環境には焦点となる感覚刺激以外に多くの外生要因が一種のノイズとして存在する。したがって,フィールド実験の実施などによって感覚訴求の効果がどれぐらい現実の環境でも頑健であるかを検証することが必要であろう。

本書がきっかけとなり,より多くの研究者や実務家が感覚マーケティングに関心を寄せ,この分野の研究が一層発展し,実務への応用がさらに拡大することを期待してやまない。

 
© 2025 The Author(s).

本稿はCC BY-NC-ND 4.0 の条件下で利用可能。
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