抄録
従来,道徳教育の教育過程に関する議論において,「教える」ことと「学ぶ」こととが統一的に捉えられてこなかった。そのため道徳教育の現場において,それらが便宜的に使い分けられるかのように捉えられ,混乱が生じている。教育方法学研究において「教える」ことと「学ぶ」こととの関係に関する議論は「教育関係」の研究を通じてなされてきたが,両者の統合はなされていない。ノールの「教育関係」論の思想的な源泉であるディルタイの教育関係論についても,その論究が不十分に終わった,とされたため,これまで主題的に研究されなかった。だが,今日のディルタイ研究では教育論と精神科学論の関係をもとに全体像を再吟味する必要性が指摘されている。そこで本稿では,まずディルタイの教育論における「陶冶」と精神科学論における「形象化」との関係が「教える」ことと「学ぶ」こととの関係に対応していることを解明した。次に,ディルタイの「体験・表現・理解」の方法が「陶冶」と「形象化」とを結びつけるものであることを論証し,それに基づいてディルタイの教育関係論を解明した。結論として,ディルタイの教育論において,教育関係は「体験・表現・理解」の方法によって段階的に解消され,F教える」ことと「学ぶ」こととが統合されていることを論証した。それにより道徳教育方法における「教える」ことと「学ぶ」こととの二項対立的な状況を解消するための示唆が得られた。