教育方法学研究
Online ISSN : 2189-907X
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ISSN-L : 0385-9746
30 巻
選択された号の論文の25件中1~25を表示しています
  • 原稿種別: 表紙
    2005 年 30 巻 p. Cover1-
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2005 年 30 巻 p. App1-
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 目次
    2005 年 30 巻 p. Toc1-
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 川地 亜弥子
    原稿種別: 本文
    2005 年 30 巻 p. 1-12
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本稿では,1930年代の生活綴方の教育評価論について,形成過程を明らかにすると同時に,作品批評の実際として集団的合評作業に注目し,その構造を明らかにする。綴方教師は子どもの生活把握を契機として,学校における既存の価値基準を問い直した。その上で,作品批評に関する議論において,子どもの認識と表現のリアリズムとともに,全人的な評価の重要性が自覚された。同時に,子どもの内面に手をのばし,子どもたちが文化を生み出すための技術として,基礎的な表現技術の獲得が目指された。このような作品批評の規準の転換が行われる中で,教科の体系からではなく,民衆の生活と子どもの発達要求からの綴方指導の体系の構築,すなわち「生活学」とそれに基づく「教育学」の構築が目指された。また,その体系は教師の「教養」によって鍛え直されるべきとされた。集団的合評作業の分析からは,以下のことが明らかになった。綴方教師たちは,子どもたちの自由な表現を大切にし,教師も協働者として位置づけた。また,集団的合評作業を通じて生活の改善と文化の創造が目指された。その中で,直接的に生活に役立つ行動のみでなく,悩みや問題を共有し,相手の立場で考える過程も「協働」と捉えるような,新たな作品批評規準が誕生していた。生活綴方における教育評価論は,子どもたちの議論を通じて文化を生み出させていく作品批評の中で構築されたのである。
  • 吉田 成章
    原稿種別: 本文
    2005 年 30 巻 p. 13-22
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は,1990年10月3日のドイツ統一後に,クリングベルク教授学がどのように展開したのかを明らかにすることである。ドイツ統一後のクリングベルクの論文を検討すると,次の三つの点で論が展開していることがわかる。第一点目として,東西ドイツの教授学状況の地図を描くことを課題として取り組んだクリングペルクは,東西ドイツの教授学は完全に違う方向へと展開していったのではなく,いくつかの点で類似していると主張したことが挙げられる。その上で彼は,旧東ドイツが政治的な観点のもとだけで評価されてしまう危険性を指摘するのである。第二点目として,一般教授学と教科教授学との関係について,教科教授学の位置をより確かなものとすることを強調しながら,両者の関係を統一的に捉えようとしたことが挙げられる。そこでは,彼の教授学のコミュニケーション論的な側面と,教科教授学を強調しながらも一般教授学を強調する側面とが明白に現れている。第三点目として,ヘルバルトとディースターヴェークを援用しながら,「指導と自己活動」というテーマに関して,自らの論を深めるかたちで展開していることが挙げられる。東西ドイツの教授学は,その出自は同じドイツに伝統的な教授学であり,クリングペルク自身も,自らの教授学をその伝統的な教授学理解の中に据えながら,自らの論を展開している。
  • 吉田 誠
    原稿種別: 本文
    2005 年 30 巻 p. 23-34
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    従来,道徳教育の教育過程に関する議論において,「教える」ことと「学ぶ」こととが統一的に捉えられてこなかった。そのため道徳教育の現場において,それらが便宜的に使い分けられるかのように捉えられ,混乱が生じている。教育方法学研究において「教える」ことと「学ぶ」こととの関係に関する議論は「教育関係」の研究を通じてなされてきたが,両者の統合はなされていない。ノールの「教育関係」論の思想的な源泉であるディルタイの教育関係論についても,その論究が不十分に終わった,とされたため,これまで主題的に研究されなかった。だが,今日のディルタイ研究では教育論と精神科学論の関係をもとに全体像を再吟味する必要性が指摘されている。そこで本稿では,まずディルタイの教育論における「陶冶」と精神科学論における「形象化」との関係が「教える」ことと「学ぶ」こととの関係に対応していることを解明した。次に,ディルタイの「体験・表現・理解」の方法が「陶冶」と「形象化」とを結びつけるものであることを論証し,それに基づいてディルタイの教育関係論を解明した。結論として,ディルタイの教育論において,教育関係は「体験・表現・理解」の方法によって段階的に解消され,F教える」ことと「学ぶ」こととが統合されていることを論証した。それにより道徳教育方法における「教える」ことと「学ぶ」こととの二項対立的な状況を解消するための示唆が得られた。
  • 渡邉 眞依子
    原稿種別: 本文
    2005 年 30 巻 p. 35-46
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本論文の目的は,ドイツ教授学における「指さし(Zeigen)」の今日的な意義やあり方を明らかにすることである。ここでは,ギールの「指さし」論のドゥンカーによる継承と展開について,教科を越えた授業と関連づけながら考察する。「指さし」は,教育人間学の立場に立つギールによって教授学構想の中心におかれた。「指さし」をもとに構想された多視点的授業は,四つの視点から日常現実をモデル的に再構成することで,現実を批判的に解釈し社会的に参加できる行為能力の形成を目指した。しかしこの構想は,日常現実を批判的に解釈するための能力を付与することにとどまっていた。現在,世界の多彩さを引き出すだけでなく,その視点に迫る方法も開示する「指さし」がドゥンカーによって求められている。この「指さし」では視点の転換が問題にされる。たとえば教科を越えた授業においては,各教科の秩序から,それとは異なる秩序や構造へ視点を転換させることこそが重要となる。ドゥンカーの構想は,慣れ親しんだ見方から子どもたちを解放させるという点でギールの「指さし」を継承している。しかし,日常的な見方からだけでなく教科の見方からも解放させようとする点,また,新たな秩序を作り出しながら子どもたちの視点を転換させようとする「指さし」である点で,ギールらの多視点的授業よりも発展的な「指さし」が構想されるのである。
  • 遠藤 貴広
    原稿種別: 本文
    2005 年 30 巻 p. 47-58
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本稿は,G. ウィギンズの「看破」学習に注目し,その教育方法論に込められた意図を明らかにするものである。「看破」学習とは,教科の中核にある「重大観念」を「本質的な問い」による探究によって暴き出す(看破する)ことを目指した方法である。ウィギンズが「看破」学習を公言するようになったのは,1980年代後半のことである。当時,彼は,重要なことをすべて教えようとする「網羅」型カリキュラムと,論理的技能の指導に偏った思考技能教授により,「無思慮な習得」が招かれることを憂慮していた。この問題を克服するために,彼は「問い」を追求し続けることの重要性を主張していた。例えば,当時彼が研究部長を務めていたエッセンシャル・スクール連盟では,「本質的な問い」を軸にカリキュラムを編成することが試みられていた。その「本質的な問い」は「学問の構造に迫る問い」と「性向に注目する問い」の2つに分類することができる。ウィギンズは,適切な性向を伴った探究を要求していた。それは現在,「理解の六側面」に基づいて設定されるパフォーマンス群によって評価されることになっており,そのようなパフォーマンスが発揮される状況を評価課題に設定することは「真正の評価」論として提起されていた。ウィギンズの教育方法論は,学問の構造に迫る中で新たな性向を養成することをねらったもので,そのことは評価にまで貫かれている。
  • 倉本 哲男
    原稿種別: 本文
    2005 年 30 巻 p. 59-70
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    サービス・ラーニング(Service-Learning以下,SL)とは,コミュニティー(community)における市民性(Citizenship)を向上させることを教育目標に据え,アカデミック教科学習とコミュニティーにおける貢献的活動を統合(integrate)することによって,新たなカリキュラムを開発した学習論である。SLは,州が定める各教科の教育目標に関わるスキル・学習能力を活かしながら発展学習にテーマを形成し,そこに体験的活動であるサービス活動を統合していくところも特徴的である。更にSLは,その実践的方法論に「リフレクション」を位置付けている。「リフレクション」とは,高次元な思考を反映するものであり,生徒は自分自身の体験を振り返り,知識・情報を検証し,サービス体験前後の価値観の変容を再考し,自分が学習したことを将来の経験に発展的に応用できるようになることである。本研究の問題意識は,第一に,SLの授業構成因子が「教科要件・内容」「コミュニティーのニーズ」「生徒の主体性・興味関心」から成立することを明らかにし,その3因子と「リフレクション」の関係性について理論的整理をする。第二に,この理論的枠組に対応するかたちで,これをサーベイ調査によって実証的に検証する。以上の研究手続きによって,SLの授業構成因子の態様を明らかにしていくことが本研究の目的である。
  • 窪田 知子
    原稿種別: 本文
    2005 年 30 巻 p. 71-82
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本研究は,イギリスにおいて,分離教育から特別なニーズ教育を模索する中で生まれた理論および実践の一つであるホール・スクール・アプローチに関する論稿である。本稿は,同アプローチが行き詰まった要因を,とくに「分離」との関係に着目して検討し,ホール・スクール・アプローチと「分離」の関係をあらためて問い直すことを目的とする。その論証過程として,90年代にクラークらによって展開された「ホール・スクール・アプローチを超える試み」が,「分離」の否定を理念に掲げながらも,その実践において,内的・外的要因によって「分離」を再生する結果に直面したことに着目する。なぜならこの事実は,「分離」そのものをいかにとらえるかという視点から,ホール・スクール・アプローチと「分離」の関係を問い直す必要性を我々に示唆するものだからである。そこで,治療的教育の再検討を通して,「分離」が積極的な教育的意義をもつ可能性を検討する。以上の考察から,「分離」を一面的にとらえてホール・スクール・アプローチと対置させて理解するのではなく,むしろ専門性の充実や個々のニーズに応じたきめこまかい指導を可能にする一面をもつことを積極的に評価する必要があることを明らかにした。その上で,この「分離」のもつ意義をホール・スクール・アプローチの実践の中に再構築することとして,両者の関係を理解することが肝要との結論を得た。
  • 廣瀬 真琴
    原稿種別: 本文
    2005 年 30 巻 p. 83-94
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本研究は,児童の自己評価能力を育成する方法を明らかにすることを目的とした。この点を明らかにするため,児童の自己評価能力の育成方法に関し,小学校の教師2人を対象に事例研究を展開した。その際,その能力の育成のための教師の指導方策を記述した。これにより,両者に共通して見られる育成原則を抽出し,それを育成原則として提案し,モデル化した。具体的な指導方策としては,(1)評価者に自己の他者評価をメタ評価させること,(2)他者の活動の姿を可視的にする学習環境を整備することが,各々の事例から確認されている。結論として,両事例の教師に共通して見られたのは,「児童が他者を見る目を活用する」という育成原則であった。これは,先行研究において指摘されている「自己が自己を見る目の活用(メタ自己評価)」や,「他者が自己を見る目の活用(他者評価)」といった自己評価能力の育成原則を拡充するものである。また,その知見の適用範囲が、中堅教師からベテラン教師にまで有用なものであることが確認された。
  • 中妻 雅彦
    原稿種別: 本文
    2005 年 30 巻 p. 95-106
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本研究は,「スピーチ活動」の実践によって,教師の「協同」と「協力」の人間関係をつくり,学校づくりを進める教師の「同僚性」の構築と「自律性」の樹立が進むことを明らかにし,「スピーチ活動」の意義を明らかにすることを目的とした。稲城市立稲城第六小学校で10年間にわたって実践されている「スピーチ活動」は,教師の自主的な合意によって,実践が開始された。「スピーチ活動」を通して,子ども理解が進み,教師の「協力」と「協同」による学校づくりも進展している。「スピーチ活動」は,教師の教育実践を公開し,批判を含めた話し合いによるお互いの教育活動の交流と子ども論議を可能なものとし,教職員の勤務経験や教科専門性を乗り越えて,さまざまな問題に対して,「協力」して考え,「協同」で対処する土台を形成している。こうした教職員の経験は,学校づくりの価値観を共有し,「同僚性」の構築と「自律性」の樹立による学校づくりを広げている。公立学校における「同僚性」の構築と「自律性」の樹立の課題に対して,「スピーチ活動」は,課題解決の方法の一つを示している。
  • 桂 直美
    原稿種別: 本文
    2005 年 30 巻 p. 107-118
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本研究は,学校教育における芸術教育と美的経験の持つ意味を捉えることを目的とし,音楽的自己表現の授業を「発生的方法」によって構成し,その授業で到達した1時間のこどもたちの表現に焦点をあてて,その学びの経験の意味を,構成主義的パラダイムにたつ「教育批評」の手法を援用して捉えようとするものである。芸術経験の根元的な意味を,具体的な活動の中でとらえるために,はじめに,子どもたちの芸術表現を可能にする授業のデザインと実践の過程を「発生的方法」に基づいて叙述し,次に,その授業が最終的に到達した一つの共同経験の意味を,アイスナーの「教育批評」の手法をかりて読み解く。個特異的な実践事例を,その場の中に入った批評家の立場からミクロに叙述することを通して,子どもたちの共同での深い音楽体験の中に,デューイの言う意味での「美的経験」があることが批評の言語を通して示された。またこの一つの批評実践をとおして,このようなF美的経験」は教科学習の枠組みを越えたところでなりたつこと,また学習者共同体における意味生成としての学びにおける「美的経験」の意味が論じられる。最後に,カリキゴラムの「美的経験の次元」を開示する研究方法論として,「教育批評」の可能性に言及する。
  • 福田 学
    原稿種別: 本文
    2005 年 30 巻 p. 119-130
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    外国語の授業では,芸術作品が有用な教材としてしばしば用いられるが,外国語教育研究においてはその意義について,「芸術作品は教材として自然である」という主張が前提とされることが多い。本稿はこの前提の意味を明らかにすることを試みる。まず,芸術作品の教材としての自然さは,教材研究での「真正性」という概念と無関係には論じられない。だが,そもそも外国語教育で真正性が問題となるのは,教室で学習する言葉がコンテクストから分離しているという事態による。そこで,この事態を,「場面の脈絡」という概念に基づいて考察すると,文法とは異なるレベルでの指導の必要性が示される。だが,この指導は,単に,言語が使用される場面に基づくものではなく,「コミュニケーション能力」にかかわるものである。ところが,コミュニケーション能力は,現在,多種多様な観点を示す曖昧な術語として用いられている。そこで,問題となっている前提を解明するには,ハイムズによる定義や,キャナーレイによる四区分に立ち戻って,コミュニケーション能力を再検討し,さらに,「一貫性」という概念を考察する必要がある。これらの考察により,芸術作品は,文や対話には表現されていない言葉に学習者を着目させるように教材化される必要があり,そのことによって,文や対話がいかにして我々に自然なものとなっているのか,という本来我々に主題化されることのない事柄を教示しうることが明らかとなる。
  • 原稿種別: 付録等
    2005 年 30 巻 p. App2-
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 奥平 康照
    原稿種別: 本文
    2005 年 30 巻 p. 131-134
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 難波 博孝
    原稿種別: 本文
    2005 年 30 巻 p. 134-136
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 池野 範男
    原稿種別: 本文
    2005 年 30 巻 p. 136-139
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 園田 貴章
    原稿種別: 本文
    2005 年 30 巻 p. 139-140
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 田中 耕治
    原稿種別: 本文
    2005 年 30 巻 p. 141-143
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2005 年 30 巻 p. App3-
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 鈴木 秀一
    原稿種別: 本文
    2005 年 30 巻 p. 145-146
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2005 年 30 巻 p. App4-
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 表紙
    2005 年 30 巻 p. Cover2-
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 表紙
    2005 年 30 巻 p. Cover3-
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
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