本稿では大岡昇平の「ミンドロ島ふたたび」における、戦友の「弔い」に〈フィリピン〉という他者を織り込むプロセスを考察する。視点人物「私」は戦友を弔うためフィリピン・ミンドロ島の「ルタイ高地」への再訪に執着するが、自筆原稿等によれば、「ルタイ高地」はあらゆる「地図」に存在しない私的な呼称である。「私」の語りは〈フィリピン〉を俯瞰する「地図」を描くように空間の認識を構成していくが、フィリピン人との邂逅により、相手の認識する〈フィリピン〉とのずれを思い知らされ、「ルタイ高地」での「弔い」も未遂に終わる。そこで「私」は、確定的な位置づけを拒む「ここ」という地点に立ち、戦友の死と〈フィリピン〉を不可分に想起する「弔い」を生起するのである。