北條民雄の「道化芝居」(一九三八年)は、転向した社会主義者とハンセン病に罹った同志の再会を描いたテクストである。この物語設定が、ハンセン病者の監獄に収容された社会主義者が、そこでかつての同志に出会うという島木健作の「癩」(一九三四年)に類似するのは偶然だろうか。本論文は、「道化芝居」が「癩」への対抗言説として書かれていることを初めて主張するものである。さらには、「癩」のテクストがハンセン病者の社会的排除を絶対視することで成立していることを確かめ、「道化芝居」がその設定を転用して「癩」における他者表象の倫理性を問題化するテクストであることを明らかにする。