抄録
本稿は古墳時代中期に朝鮮半島からの影響で登場する甑を受容する際に、どのような選択過程があったのかを示すことを通じて、渡来文化受容の具体像を解明することを目的とする。長原遺跡やその近隣の八尾南遺跡・久宝寺遺跡で出土した古墳時代中期前半の甑30点を対象に、各技法の相関関係を分析したところ、朝鮮半島の技法を保った甑と伝統的な土師器の製作技法による甑の2つの技法の連続性を確認することができた。この結果は従来から指摘されていたことであるが、動作連鎖(chaîne opératoire)の観点で見ると、もともと備わった身体技法の一貫性により、ほかの技法が受け入れられず、後者については朝鮮半島の甑の形態のみを継承し、技法については伝統的な土師器の製作技法に転換したのである。この点から渡来文化受容の主体が在地集団であることをあらためて確認することができる。