抄録
本稿は、国民学校令(1941年)によって導入された養護訓導制度の諸課題について、戦争の拡大とともに矛盾が顕在化する点に焦点を当てて検討した。まず、養護訓導制度化の前提となる、国民の健康実態(「身体虚弱者」・「病人」の増加)がどのようなまなざしでみられたのかを検討した。彼らは結核を発症する恐れがあり、その増加は国力を消耗すると捉えられ、鍛錬により「軍人として大いに役立つ」方向へ導く必要性があるとみられた。次に、養護訓導制度化に軍部が関与したことに触れ、さらに養護訓導の資格要件について検討した。また、養護訓導を置くことになった養護学校、養護学級についても検討した。人的資源の観点から拡充されたそのほとんどが、「身体虚弱児童」のためのもので、その学級数が「精神薄弱児」のそれの約25倍に上った(1942年度)。最後に、養護訓導資格と関係ある看護婦の養成について整理し、看護婦資格所有者の養護訓導(養護婦)が応召されたことについて検討した。1945年度の養護訓導数が、国民学校数の1割にも満たなかったのは、養護訓導養成の限界と看護婦の応召によるものと考えられる。