近年ますます多文化主義についての議論が重要性を増してきている。本稿の目的は,多文化主義の問題点を批判的に検討し,今後われわれの取るべき道を示唆することである。理論的には,多文化主義は自由主義-共同体主義の対立軸の中道に位置づけられる。その中でも,たとえばチャールズ・テイラーの言う「差異の政治」などは,共同体主義への傾きをもっている。そのような共同体主義的な多文化主義は,文化相互の共約不可能性という壁を適切に評価せず過大評価する,という意味での相対主義を内包している。
このような相対主義的傾向は,文化的・集団的アイデンティティーを本質主義的に捉えすぎることによってもたらされる。このような文化相対主義に陥ることで,文化と異文化の交流は不可能と見なされ,集団は自文化の権利を主張する群集と化し,他文化に対する不寛容と自文化の「集団的目標」に対する無制限な寛容を帰結する可能性が高い。実際このような政策は,アメリカにおけるアファーマティヴ・アクションなどに見られるように諸文化相互の対立を必要以上に激化させる結果を招いている。
この難を除くためには,アイデンティティーのあり方を適切に捉え直さねばならない。本来アイデンティティーとは,対話状況によって変化する,高度に状況依存的なものである。もしある集団のアイデンティティーが,それとして公的機関によって政治的に承認され,したがって固定化されてしまうとすれば,それは公私混同なのであって,成員それぞれのアイデンティティーを不適切に扱うことになる。集団的目標の無制限な公的承認は,危険なナショナリズムなどの原因となりかねない。今後,諸文化が多元的なままに相互理解を深めてゆくためには,文化と文化の共約不可能性を緩和し,真の意味で公共的な対話空間を構想してゆくことがぜひ必要となってくるはずである。