公共政策
Online ISSN : 2758-2345
1998 巻
選択された号の論文の40件中1~40を表示しています
『日本公共政策学会年報』
特集:「公共政策研究は何を目指すか」
基調講演
基調論文
  • 薮野 祐三
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-005-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー
  • 足立 幸男
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-006-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    公共政策の非効率は,その主要な責任を供給サイドに帰属せしめることが出来るものと,需要サイドに帰属せしめることが出来るものの,二種に大別される。前者には,(1)政策執行者としての政府機関が認知する,異なるレベルの政策効果を産出するための限界費用と,達成可能な最小限界費用との間の乖離に起因する非効率(X非効率)と,(2)政策決定者や政策執行機関が認知する限界費用と社会的限界費用の乖離に起因する非効率,つまり政策のコスト(政策実施のための資源費用と,政策実施が社会構成員の間に生み出す不利益の総和)を供給サイドが的確に把握していない(過大あるいは過小に見積もる)ことに由来する非効率の,二つのタイプがある。後者の,需要サイドに責任を帰することが出来る非効率には,(1)便益享受と費用負担がセットになっていないこと(フリーライドの容易性)に起因する政策需要のインフレ化が引き起こす非効率と,(2)政策需要者が,政策効果についての的確で豊富な情報をもっていなかったり,あまりに自己中心的で,その効用関数の中に将来世代を含む他者の厚生や,人間以外の生物や事物への配慮が不十分にしか反映されていないために,需要が社会的限界便益を下回る,そのようなときに発生する非効率の,二つのタイプがある。本稿は,以上四つのタイプの非効率が各々どのようなメカニズムによって発生するのか,如何なる処方箋がその各々の克服に有効であるのか,これを検討しようとするものである。

第1回学術研究大会企画論文
セッション1「環境思想と環境政策」
  • 岸本 哲也
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-007-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー
  • 宇佐見 誠
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-008-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    公共政策は現在の自国居住者への配慮に基づくという従来の前提は,環境問題の深刻化により大きく揺らいでいる。環境破壊は他国居住者・将来世代・他の生物に重大な影響を与えるからである。本稿は環境倫理学の諸理論の批判的検討を通じて,これらの存在者に配慮の射程が正当に拡張されうるかを考察する。まず,諸個人が対立にもかかわらず共存しうるリベラル・デモクラシーの下では,公共政策の正当化論が不偏性を要求されることが確認される。その上で,他の生物への本来的配慮を唱えるディープ・エコロジーが吟味され,対立の看過,不偏性への違背,基本的権利の侵害のゆえに退けられる。次に,他国居住者への配慮を否定する救命ボート倫理を批判した後,著者は本来的配慮の2つの論拠を提出する。環境問題の国際関係における矯正的正義・配分的正義と,窮状国居住者の援助を他国政府に求める配慮補助の原理である。続いて,将来世代への配慮について,子孫への情愛,将来への自己拡大,将来世代の権利による正当化の試みを検討した後,著者は世代間の自然的遺産の継承関係における公正を正当化根拠として提示する。最後に,継続的税率上昇を伴う包括的環境税が提案され,それがもたらす社会的変化が展望される。

セッション2「法制度化と環境政策」
  • 坪郷 實
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-009-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー
  • 阿部 昌樹
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-010-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    地方自治体は,法的権限の欠如を補うべく,公害防止協定という,規制対象企業との「合意」に依拠した政策手法を創造し,活用してきた。そして,この公害防止協定には,個々の規制対象の特性に応じた柔軟な規制が可能となる等の,法令に基づく規制にはない利点があった。しかしながら,規制対象企業の「合意」とは,結局のところは,自治体による公害規制権限以外の法的権限を用いたしっぺ返しに対する懸念や,地域世論の圧力によって強いられた「準合意」であり,そこに依拠することには,法治主義の理念から逸脱した「権限なき行政」としての不安定性が常に伴う。それにもかかわらず,多くの自治体が公害防止協定を活用した背景には,法を政策目的実現のための一手段と見なし,法が道具として役立つならば法を使うが,そうでなければ,法以外の道具を,たとえその法的地位が不安定なものであっても,独自に考案し,活用していくという,道具主義的な法意識の生成を読み取ることができる。こうした道具主義的法意識に基づいて自治体行政が行なわれるとき,垂直型の中央地方関係およびその法的現象形態としてのトップダウン型の法秩序の自明性は,大きく揺らぎ始め,ローカルに形成される多様な規範秩序が分立する,水平型の中央-地方関係が発展していく可能性が生じる。そうした意味において,公害防止協定は,中央-地方関係の新たなかたちを,萌芽的にではあれ顕現しているのである。

  • 住沢 博紀
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-011-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    地球環境の時代にあって,政府省庁機関Vs.環境自治体・環境NGOという,環境政策をめぐる新しい対立図式が生まれている。この中で,議会,政党という伝統的な政治アクターの役割が衰退してきている。議会・政党は,中央でも地方でも,利益団体(許認可行政)や利権構造

    (公共事業)など伝統的な利益配分政治に取り込まれており,そこからの転換は容易ではない。欧米では,緑の党の成立や環境市民運動の発展により,環境政治は議会・政党政治の中に重要な地位を確保した。逆に,環境問題の政治争点化が議会・政党革新に寄与したともいえる。日本では,こうした「新しい政治」は,行政(環境自治体)と消費者運動(生協運動)に受容された。とくに自治体行政は,第1に,企業との公害防止協定という非法制的手法によって,第2に,市民参加や環境基準において国の制度よりも進んだ環境基本条令を制定することによって,主導的な環境主体として登場してきている。議会・政党の領域では,環境派議員というごく少数の議員の個別的な活動が見られるだけである。住民投票が決議機関になってくる。

    環境問題も民主主義の課題として設定されないと,多様な市民が参加し,社会全体を変えることは困難である。逆に,こうした挑戦が会派中心の議会や集権的な政党システムを改革する契機となる。政党は,ネットワーク型組織論と市民主権の理念に立つローカル・パーティ(地域市民政党)へと再編される。民主主義も,代議制民主主義の優越から,市民参加型行政,住民投票などの直接民主主義,ローカル・パーティ,NPO/NGOなどの市民組織の間での,相互活動的な民主主義へと変容する。

  • 田中 充
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-012-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    1960年代の公害問題への対応を契機として,地方自治体は体系的な環境行政を整備し,展開するようになった。その後約30年の経過の中で,自治体は地域の課題に対応するため,公害防止条例や環境アセスメント制度など個性ある制度づくりを進めてきた。そして90年代に入り,地球環境問題が主要な政策課題として登場してきた状況下で,環境基本条例や環境基本計画等のように自治体が政策体系を掲げ,市民参加のもとで推進する動きが広がっている。加えて,地方分権が本格化するに伴い,自治体は地域の課題に対応できる政策能力を備え,市民の意思を実現する行政制度を確立していくことが急務となっている。

    本稿では,環境基本条例等のもとで総合的環境行政を展開している川崎市を例に,政策法務の実態を報告する。第1章では,環境問題において自治体が果たす役割を展望した上で総合調整,政策立案,市民参加という三つの特質を最大限に活用していくことが大切であることを指摘する。第2章では,行政現場における政策法務の取組として,法律等の運用に係わる運用法務,自治体の立法権に基づく立法法務,訴訟をとおして自治体政策を主張する訴訟法務に分けて論じる。第3章は,川崎市環境基本条例制定の経緯を振り返り,政策法務の視点から市が基本条例に意図した内容を紹介する。第4章では,具体的に環境基本条例の内容と運用状況を述べ,自治体環境行政の実態を報告する。最後の第5章は,自治体環境行政における政策法務,とくに行政実務からみた課題について論じる。

シンポジウムA「環境政策の総合化をめぐって」
  • 坪郷 實
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-013-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー
  • 宇沢 弘文
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-014-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー
  • 長谷川 公一
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-015-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    環境社会学の学問的アイデンティティは,環境問題の解決への貢献という価値関心と,社会学的方法にある。(1)社会現象を行為の集積ととらえる,(2)フィールド調査を重視する,(3)居住者や生活者の視点を重視し,地域社会(コミュニティ)への関心が強い,(4)問題の全体関連的な理解への志向が強いことが,社会学的方法の特質である。環境問題の社会学としての環境社会学は,被害論・運動論・政策論からなるが,公共政策学や環境経済学,環境法学などとの連携のもとで,政策論の彫琢をはかることが喫緊の課題である。

    環境問題は産業公害・高速交通公害・生活公害・地球環境問題に大別できる。本稿では,生活公害の典型としてのスパイクタイヤ公害問題と,地球環境問題の典型としての地球温暖化問題をとりあげ,前者の可視性の高さと後者の不可視性とを対比する。環境問題においては一般に,(1)問題および被害の可視性,(2)対策の緊急性,(3)技術的対策の容易さが対策を促進する。問題の可視性が低く,緊急性の度合いが認識されにくく,技術的な対策も困難であるほど,取り組みは難しい。地球温暖化問題は,そのような性格をもつ環境問題の代表例である。日本政府の,温暖化対策を大義名分とする原発推進政策の政治的性格は問題の不可視性をさらに強める効果をもっている。逆に,太陽光発電の推進や節電運動は透明性や参加感が高く,可視性を高める効果もあわせもっている。

  • 田中 紀夫
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-016-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    ①4大エネルギー消費が現代文明に浸透しているため,エネルギー政策は,輸入エネルギーの遮断などの緊急事態をも想定しておかねばならない。②エネルギーに関わる環境負荷は,生産・輸送から消費・廃棄の段階に広がり,環境保全対策も広域化,国際化している。③環境負荷の発生から,原因究明,対策発効,効果浸透までには多大な時間がかかっており,環境破壊に歯止めがかかっていない。④この原因は,戦後復興を急いだ企業優遇システムとしての「日本型企業社会」の存在がある。その構成要素は,a.倫理感を希薄にしてモノ・カネづくりのための企業利益極大を目的,b.企業に終身雇用され忠誠を誓った社員・家族・関連する企業城下町,c.戦前からの官僚システムの上に企業利益優先策を推進した国会議員・中央官僚・地方議員・自治体官僚組織,d.イデオロギー的に育てなかったNGO,などである。⑤現代エネルギー文明の先行きを展望すると,a.自動車交通とb.原子力発電を位置付けなければならない。a.自動車偏重社会は,死傷事故の多さ,環境負荷の広域化,人の尊厳意識の低下から是正すべきで,自動車の高価格化と公共交通機関の増強が必要である。b.原子力発電については,高レベル廃棄物対策を強力に進めるが解決策がなく,炉の安全性にも問題が残るようなら,国民に対して代替エネルギーの実態を提示したうえで,廃棄を伝え,自動車縮小と共に現代文明を簡素化する。

  • 南川 秀樹
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-017-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    日本は,1960年代から70年代にかけて深刻な公害を経験し,克服してきた。この過程において,公害対策・環境保全についてさまざな知恵や技術を体得しつつ,高度経済成長を果たした。この経験を我々のものだけにしておくのは不幸なことである。今後同様の経験をするであろう開発途上国にこの貴重な経験を伝達し,「持続可能な開発」を遂げてもらう必要がある。開発途上国にとって,産業公害,都市型環境問題,地球環境問題に同時に対処しなければならないのは困難なことであるが,日本を含めた先進国は開発途上国にのみその負担を負わせるのではなく,互助の精神でできる限りの協力を行い,負担を分担していかなければならない。そのためには,開発途上国の経済社会システムと価値観だけでなく,先進国の経済社会システムと価値観についても変えていく必要がある。日本においても,21世紀を見据えて行政組織をはじめとした諸制度を改革する動きがあるが,その中において環境保全型社会への移行,強力な国際協力体制の整備をぜひとも行わなければならない。日本の公害経験を開発途上国に伝達していく上でも早急にこれらの改革を成し遂げる必要がある。

セッション3「分権化と地方改革」
  • 佐々木 信夫
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-018-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー
  • 山谷 清志
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-019-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    地方分権改革のポイントの第一は「受け皿論」ではない。自治型の政策システムをいかに構築できるのかということである。そのためには,財務監査や行政監査に偏ったコントロールではなく,政策システムをうまくコントロールする仕組みを作り上げることが必要である。この仕組みの一つは政策システムに関わるアクターをコントロールするということであり選挙,リコール,住民運動などが考えられる。もう一つは政策システムを構成する政策自体の要素,たとえば政策目標,この目標を達成する手段としての施策や事業をコントロールする方法である。いわゆる政策評価,プログラム評価,プロジェクト評価がこれにあたる。これらのコントロール能力を自治体それぞれが身につけるとともに,住民自治が拡充されたとき,自治型の政策システムは機能するようになるであろう。

  • 北川 正恭
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-020-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    情報化の急速な進展に伴い,時代は大きな転換期にある。

    日本のあちこちで「行政改革」が叫ばれ,地方分権,規制緩和,情報公開等について活発な議論が展開され,行政のあり方が根本的に問われている。折しも,国では地方分権推進委員会が4次にわたる勧告を終え,地方分権推進計画の策定が進められているところである。地方自治を真に住民の立場から進めていくためには,国も地方自治体も「自覚」と「責任」をもって時代の流れを真摯に受け止め改革を図る必要がある。

    三重県では,「生活者を起点とする行政」への転換を目標に,1995年度から「さわやか運動」と称する改革を進めてきた。これまで,①事務事業評価システムの導入,②マトリックス予算,③業務契約方式,④使い切り予算からの脱却,⑤住民参画の推進等の取り組みを行ってきた。さらにこの運動が実を結ぶためには,今の県の組織,行政の運営方法について抜本的かつ集中的な改革が必要である。これが1998年度に向けて取り組んでいる「行政システム改革」である。

    この改革は,生活者の視点から,「分権・自立」,「公開・参画」,「簡素・効率」をキーワードにして,現在の県の役割,システム,組織を抜本的に見直そうとするものであり,単なるリストラのための改革ではない。

セッション4「政府改革の視点」
  • 辻山 幸宣
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-021-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー
  • 飯尾 潤
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-022-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    官民関係の改革に際しては,その国における国家-社会関係を検討することが必要である。日本では国家と社会が相互に浸透しあい,きわめて融合的な官民関係が形成されているため,規制緩和等によって国家領域を縮小するという場合にも,量的な縮小だけではなく質的な縮小が要求される。すなわち日本の官僚制が割拠制と拡張性を特徴としているため,一方で設置法体制により社会全体を分割して各省庁が推定管轄領域を確保するともに,その領域内においては,丸抱えした社会的アクターにたいして半官半民組織を窓口として,政策介入を無限定に行うという現象が見られる。そこでは公的な役割の社会的アクターへの浸透と,官僚制への直接的な利益表出が対になって機能している。また地方政府が国家の政策実施機関であり,同時に地方を代表する機関であるということは,中央政府との関係で半官半民組織と同様の扱いを受けていることを意味する。そこで規制緩和においては,企画立案・監督・検査の諸機能を同じ組織が担い,かつ官庁に包括的な推定管轄権が与えられるという状況を変革する必要がある。また民営化は公的機能を目的別に再定義するという意味で,情報公開は省庁の領域内の情報を一般化するという意味で官民関係の変革に寄与する。また司法的紛争解決機能の向上が必要とされるほか,官民関係の変革が日本における市場的な競争のあり方を変えるという側面がある。

  • 澤井 勝
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-023-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    EU諸国で検討されている税制調和についての考え方を,分権的な国政改革に沿ったかったちで我が国の垂直的税財源配分に援用し,特に個人所得税の再配分を実現する条件をシミュレーションによって検討した。その際,第一に財政構造改革という制約条件を考慮する必要があること。第二に国民的意識としての横並び選好という事情,第三に政府への不信と税への不信,これらも政策化の前提条件として織り込む必要があること。そしてアカウンタビリティーの確立と効率的行政の遂行とを両立させる調整的な政策が求められることを指摘した。

    新潟県内の21都市の分析では,まず財政力指数0.5以上の都市を不交付団体に転換するという条件を与えた。これによって13都市を不交付団体化することができる。そのため,まず各都市が配分を受けている地方交付税を地方税に転換することした。しかし,新潟県のように交付税への依存度が高い,担税力のない地域では,この交付税の地方税への転換でも財政力指数を1以上にすることは全ての都市において不可能である。したがってこのような地域で,基準財政需要額を不変とするなら,追加的な財源移転を,国及び大都市地域から行わなければならない。特に自治体間の水平的財政調整がそのポイントとなる。自治体間の水平的財政調整が,兼村,町田のシミュレーションにおいても共通の課題となっている。垂直的税制調和は,水平的財政調整と補完関係にあるといえよう。

  • 岡本 哲和
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-024-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は,我が国の中央政府における情報管理政策についての検討を行い,その問題点を明らかにすることにある。

    「集権─分権」及び「集中―分散」の2本の判定軸を導入するならば,日本の情報管理体制は「分権―分散型」に分類され得る。この型の情報管理体制は,複数の政府機関における情報の重複,標準化の困難,情報の共有化における困難などの問題を生じさせる可能性が高い。

    政府自身もこの問題について認識しており,1970年代以降は主として行政改革の一環としてその解決が試みられてきた。1994年の「行政情報化推進基本計画」に従って推進されてきた霞が関WANや一元的データベースの設置,ワンストップ・サービスなどは,そのための具体的措置として挙げられる。

    これら一連の改善策を検討してみれば,そこには情報技術の導入が情報管理上の問題を解決するとの「技術決定論的思考」の影響が認められる。しかしながら,技術決定論には,手段としての情報化を目的自体へと転化させてしまいかねない問題点が含まれている。本稿においては,情報管理の改善においてまず重要なのは制度及び政治的リーダーシップの問題であることを指摘した上で,情報管理政策の改善に向けて具体的な提言を試みる。

シンポジウムB「国政改革の理念と制度化」
投稿論文
  • 窪田 好男
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-030-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    わが国ではこれまで政策評価の制度化がほとんど行われてこなかったため,わが国の政策評価論はもっぱら政策評価先進国たる合衆国の理論の紹介に努めてきた。筆者の理解するところでは,政策評価論の関心は,信頼性の高い(技術的な質の高い)評価結果をもたらす評価手法や制度の探求と,評価結果に基づいて政策形成者に政策提言を行う際の留意事項の整理に向けられてきた。端的に言って,従来の政策評価論は政策評価を政策の内容を改善するためのツールと見なしてきたのである。

    しかしながら,わが国における政策評価の先進的取り組みとして注目を集めている三重県の「事務事業評価システム」は従来の政策評価論が推奨する姿とは大きく異なるものであり,注目に値する。

    本稿は,筆者が三重県の事務事業評価システム関係者を対象に1997年7月~10月にかけて行った数度の面接調査を基に,事務事業評価システムがいかなるねらいを有するものであり,従来の政策評価論に対していかなるインプリケーションを有するかを明らかにしようとするものである。

  • 佐野 亘
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-031-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    適切な公共政策を実現するには,政策内容そのものについての分析だけでなく,政策をうみだす政治制度についての考察が必要である。本稿では,現在のところもっとも体系だった制度設計論の一つを提供している公共選択論をとりあげ,その妥当性を批判的に検討する。従来の公共選択論の分析によれば,政治過程は本質的に非効率なものであり,政治制度は政治過程に対して制限的に作用するものが望ましい。このような制約の存在は,効率的な政策アウトプットを積極的にうみだすことはないにせよ,非効率な政策アウトプットを抑制できるからである。しかし,このような制度設計論には幾つかの問題がある。第一に,政治過程は従来公共選択論が主張してきたほど非効率ではない可能性がある。二つ目に,政治的市場を抑制すべきであるとする議論は,それによってもたらされる副次的コストを過小評価している可能性がある。三つ目に,これが最も重要な点であるが,政治的市場の抑制を唱える議論は,参加や熟慮といった政治特有の価値の重要性を考慮していない。参加や熟慮の過程を経ることによってはじめて人々は自らの利益が何であるのか,また,社会全体にとって何が適切であるかを知ることができるのである。政治的市場の抑制はこうした政治的価値の実現を困難なものとし,結局は,より不適切な政策をもたらすことになろう。

  • 風間 規男
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-032-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    1995年1月17日の阪神大震災は,日本の防災政策の様々な欠点を露呈させた。その後,災害対策基本法の改正,防災基本計画の改訂,その他の制度の見直しを通じて,防災政策のレベルはたしかに向上したが,日本の防災政策には,そのような個別具体的な対応では解消されない構造的な問題が存在するように思われる。本稿は,政策ネットワーク理論を利用して,防災政策をめぐるアクター間の相互作用を分析し,防災政策ネットワークの構造的な欠陥を浮かび上がらせることを目的としている。このネットワークは,内閣という「メタコミュニティ」,国土庁-都道府県防災担当部局-市町村防災担当部局により構成される「核コミュニティ」,国-地方の政府間関係において他の政策領域に形成されてきた「既存の政策コミュニティ」などの相互作用により機能しているが,メタコミュニティ及び核コミュニティに権限・人材・情報・予算といったリソースが十分配分されていないために,既存の政策コミュニティに頼らざるを得ない構造になっている。この点を解消する方向で,防災政策のメタポリシーである災害対策基本法を検証する必要がある。

  • 増山 幹高
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-033-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    この研究は介護保険導入をめぐる政策理念の対立と収斂を解明し,介護保険の政治学的意義を考察する。介護保険の政策形成は,利害関係者による高齢者介護を救貧的な措置制度から生活支援の社会保険に転換するという「政策的学習」と,医療と福祉の再定義,医療保険の財政安定化といった争点における理念対立として理解される。国際的な国家体制や行政構造の相違は時間的な政策の変化を説明できないが,この研究は制度構造自体を「ゲームのルール」として政策形成を条件づけるものと捉え,その制約下における政治体制的な状況変化を視野に入れ,専門的な集団における政策理念の合従連衡に焦点をあてた事例研究を提示する。

  • 永松 伸吾
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-034-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    裁的刑罰を与えることで規制対象を誘導する規制を示す。これに対して交渉型規制は法ではなく,規制当局と個別企業との協議に基づき規制内容を個別に取り決めてゆく点において,命令型規制と対比的である。

    この論文では,命令型規制が敵対的な規制執行に陥りやすいこと,またそれに対して交渉型規制は必ず協調的な規制執行が行われるため,より効率的な規制手法であることをJ. T. Scholzの「執行のジレンマ」モデルを拡張することによって理論的に導く。またその結果を踏まえて,交渉型規制が有効に機能するための諸条件を探求する。

  • 中野 昌宏
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-035-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    近年ますます多文化主義についての議論が重要性を増してきている。本稿の目的は,多文化主義の問題点を批判的に検討し,今後われわれの取るべき道を示唆することである。理論的には,多文化主義は自由主義-共同体主義の対立軸の中道に位置づけられる。その中でも,たとえばチャールズ・テイラーの言う「差異の政治」などは,共同体主義への傾きをもっている。そのような共同体主義的な多文化主義は,文化相互の共約不可能性という壁を適切に評価せず過大評価する,という意味での相対主義を内包している。

    このような相対主義的傾向は,文化的・集団的アイデンティティーを本質主義的に捉えすぎることによってもたらされる。このような文化相対主義に陥ることで,文化と異文化の交流は不可能と見なされ,集団は自文化の権利を主張する群集と化し,他文化に対する不寛容と自文化の「集団的目標」に対する無制限な寛容を帰結する可能性が高い。実際このような政策は,アメリカにおけるアファーマティヴ・アクションなどに見られるように諸文化相互の対立を必要以上に激化させる結果を招いている。

    この難を除くためには,アイデンティティーのあり方を適切に捉え直さねばならない。本来アイデンティティーとは,対話状況によって変化する,高度に状況依存的なものである。もしある集団のアイデンティティーが,それとして公的機関によって政治的に承認され,したがって固定化されてしまうとすれば,それは公私混同なのであって,成員それぞれのアイデンティティーを不適切に扱うことになる。集団的目標の無制限な公的承認は,危険なナショナリズムなどの原因となりかねない。今後,諸文化が多元的なままに相互理解を深めてゆくためには,文化と文化の共約不可能性を緩和し,真の意味で公共的な対話空間を構想してゆくことがぜひ必要となってくるはずである。

研究ノート
  • 秋吉 貴雄
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-036-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    In order to improve the quality of public policy, we need to analyze not only policy contents, but also political systems. We must investigate how to design political systems. From this point of view, public choice theory seems a very useful clue for us, because it offers a consistent model of institutional design. According to this theory, “political market” is essentially inefficient because of its institutional nature. So we need some constraints on it, especially constitutional rules. We can suppress inefficient policy outputs by those constraints. However, we find some problems in this theory. First, “political market” may not be so inefficient as public choice theorists insist. Second, those constraints may bring some secondary social costs. For example, vested interests could be more influential because those constraints would decrease influence of general people too. Or they might increase burden for courts because many political groups would step into courts to realize their claims. Third, and most significantly, public choice theory does not pay attention to political values, especially participation and deliberation. We must consider political values for designing political systems because they will improve public policy greatly. We can refine and launder our preferences through participation and deliberation.

  • 土屋 大洋
    1998 年1998 巻 p. 1998-1-037-
    発行日: 1998年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー
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