抄録
野生動物の被害管理においてhuman dimensions(人間側の諸要因)を取り扱う必要性は従来から指摘されている。しかしこれまでの日本の管理政策は,被害を与える野生動物の管理手法に主眼が置かれており,被害を受ける人間側の諸要因が考慮されることはほとんどなかった。本発表では,青森県下北半島の北限ニホンザルによる農業被害問題を事例に,行政主導により設置された電気柵が農家に適切に管理されず効果を失った問題について,その社会的背景と地域住民の意識から考察する。青森県下北郡佐井村では1991年ころから野生ニホンザルによる農業被害問題が発生し,1994年から県あるいは国の補助事業として電気柵の設置を開始した。電気柵は被害頻発農地から優先的に全額行政負担で設置されているが,農家に対する聞き取りを行った結果,電気柵に対する反応は,1.導入段階,2.管理への積極性,3.問題と直面した際の対応,の各段階で異なっていることがわかった。特に地域社会の土地所有制度が関わる問題は電気柵の積極的な管理を妨げる要因となっており,それを克服して管理を徹底している農家は稀であった。これらの電気柵管理に対する意識・行動の多様性が生まれる背景としては,農業の地域的特性が考えられる。当地ではほとんどの農家は家庭菜園を主とした趣向的な自給農業であるが,各個人の農業への関わり方や意義は多様であり,必ずしも経済主義的な生産性が重視されるわけではない。一方で電気柵による対策事業の目的は“食害”(=物質的な農作物の損失)防止に終始しており,地域農業の多元的価値に必ずしも適合していないと考えられる。対象種に対する生態・行動学的な見解を元にした食害防除の方向性に加え,被害を受ける農家の「被害意識」の実態を明らかにし,獣害に対して地域がどう対応した社会システムを形成していくべきか検討しなければならない。