抄録
Tanaka (2003) は、飼育下チンパンジー5個体がヒトの写真に対して強い視覚的好みを示すことを報告し、この好みは乳児期の経験によって形成されることを示唆した。本研究ではこの仮説を検証するため、誕生時から母親に養育され、群れで暮らしているチンパンジー幼児を対象として視覚的好みを調べた。対象としたのは京都大学霊長類研究所で飼育されているチンパンジー成体8個体(20歳~39歳)と幼児3個体(3歳4か月~5歳)であった。幼児はすべて母親に養育されている個体であった。実験はタッチパネル付きの15インチ液晶モニターを用いておこなった。刺激はカラーの画像ファイル(198x198ピクセル) を用いた。刺激に用いたのは、ヒト、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンの4種と、テナガザル科とオナガザル科の2科を合わせた6つの分類群であった。各分類群に20枚の画像を用意した。実験の手続きは以下の通りである。個体ごとにモニター画面に向かい、スタート刺激に触れると、各分類群から1枚づつ、計6枚の画像が提示された。6枚のうち2枚に触れると1試行は終了し、次の試行ではすべて入れ替えられた6枚の画像が提示された。10試行を1セッションとして、各個体について8セッションおこなった。1試行において最初に触れた画像の分類群に2点、次に触れた分類群に1点として得点を集計した結果、成体は8個体すべてでヒトの得点がもっとも高くなった。一方、幼児のうち1個体は3歳4か月から3回にわたって実験をおこなったが、一貫してチンパンジーの得点がもっとも高く、年齢が進むにつれて得点も上昇した。他の幼児2個体では5歳より前には分類群による明瞭な差が見られず、5歳の時点で成体と同様にヒトの得点がもっとも高くなった。これらの結果は、チンパンジーの視覚的好みが乳幼児期の社会的経験によって形成されるという仮説を支持するものだった。