霊長類の文化的変異研究が道具使用や採食に関わる行動に集中する中、チンパンジーやオマキザルなどで社会的慣習の証拠が知られるようになってきた。ニホンザルにおいても、近年、緊張緩和行動として機能している抱擁行動のパタンが、金華山島と屋久島で異なることが報告され、文化的変異と見なされている。具体的には、金華山では対面で抱き合い互いの体を大きく揺するのに対し、屋久島では対面のみならず一方は他方の体側や背側から抱きつき、体を大きく揺するかわりに他個体を握った掌の開閉動作を伴う。本発表では、下北半島のニホンザルにおいて観察された抱擁行動のパタンについて報告する。
当該行動は、2008年12月27日から2009年4月20日、下北半島南西部のニホンザルA87群を対象に谷口が行った母親と赤ん坊の採食行動の調査中、母親、赤ん坊それぞれ200時間の個体追跡中に、8回と2回の計10回、追跡個体以外で3回観察された。
観察された抱擁行動は、事例数が少ないながら、金華山や屋久島同様、闘争直後や毛づくろいの中断後など緊張をはらむ状況で観察され、やはり緊張緩和行動と考えられた。他方、行動パタンとしては、屋久島同様3方向からの抱擁が見られた一方で、金華山同様の掌の開閉動作のない相手の体を大きく揺するという、両地域の特徴が交じり合ったパタンが認められた。
アンケート調査の結果、嵐山、勝山、高崎山からは複数の長期継続調査者から抱擁行動そのものを観察したことがないとの回答が得られ、金華山においても群れによっては観察したことがないという回答が得られている。行動の有無も含め抱擁行動の個体群間、群れ間変異を文化的変異と見なすなら、今後の行動の革新や消失が起こる可能性がある。また、抱擁行動の見られない群れで緊張状態がないとは考えられないことから何らかの代替行動があるとも予測される。今後の課題である。