抄録
野生チンパンジー社会では,葉っぱをちぎって音を出す「リーフクリッピング」と呼ばれる行動がいくつかの集団で観察されている.最初に観察されたマハレ(Nishida 1980, 1987)やウガンダのキバレ(Watts 2008)では主に交尾の誘いかけなど「求愛」の文脈で用いられるとされているが,ギニアのボッソウ(Sugiyama 1981)では主に欲求不満の表出や遊びとして,さらにコートジボアールのタイ(Boesch 1995)では主に突撃誇示の前におこなわれることが知られている.マハレでは求愛の文脈のほかにも欲求不満の表出など他の文脈でも見られることが報告されているが,実際にどのような文脈でどの程度の頻度で生じるのかについては,これまで十分な質・量の観察データにもとづいた分析はおこなわれてこなかった.そこで本研究では,複数の調査者によって観察されたリーフクリッピングのデータを集積し,行動の現れる文脈やその頻度を分析することによって,リーフクリッピングがいわゆる「求愛誇示」として機能していると言えるのかどうかを検討した.
結果として,マハレ M集団のチンパンジーがするリーフクリッピングについて,(1)求愛の文脈(交尾の誘いかけや発情メスへの移動の促しなど)(2)遊びの誘いかけ,(3)(求愛の文脈以外での)移動の促し,(4)相手や文脈が不明のもの,など複,数の文脈での生起が確認された.この結果は,リーフクリッピングが従来考えられてきたような「求愛誇示の信号」として十分に機能していないこと,この行動の「発し手側の意図」にもとづく表出はこの行動のコミュニケーション機能の一面であり,行動の「受け手側の解釈・利用」がもう一方の重要な一面を担っていることを示していると考えられる.