抄録
京都盆地の北縁には鞍馬、市原、岩倉、上賀茂等の地区をその行動域の中に含むニホンザルの一群がいた。K群と呼ばれたこの群れ(京都B群と呼ばれたこともある)は、農作物および家屋に対する害のひどさから、昨年(2015年)7月京都市によって全頭捕獲された。私はこの群れを捕獲までの約10年間集中的に調査した。その結果と先駆者の調査報告、私が以前散発的に行った調査の結果、および、地域住民から得た聞き込み情報を総合するとこの群れの長期にわたる歴史的変化がかなり明らかになった。ここでは主として行動域がカバーした範囲と行動域サイズの変化について述べる。
京都の北郊にニホンザルの群れが生息していたということは、私の知る限り、何百年、あるいはそれ以上にわたってまったくなかった、といってよいだろう。この地にK群が初めて出現したのは今から約40年前、1970年代中ごろであった。行動域は鞍馬、貴船、二ノ瀬、雲ケ畑など、山間の集落を含み、後の行動域に比べるとずいぶん西北に偏在していた。また、そのサイズは約10km2であった(1987年)。この状況は1990年代後半から大きく変わる。行動域が1998-2000年:14km2、2005年:31km2、と後になるほど拡大していったからである。新しく行動域に加わった地区は市原、静原、岩倉、上賀茂、西賀茂、大原、八瀬である。これらの地区の多くはかつて純農村であった。京都市街地に近いため、多くの農地が住宅地に変わってきたが、それでも農耕地が相当残っている。K群の行動域が拡大した結果、農耕地と人家に対する猿害が増大した。
2005年以降行動域は徐々に縮小し、2013年におけるそのサイズは24km2であった。縮小したのは2009年ころから群れが大原、八瀬にほとんど行かなくなったからである。