タンザニアのマハレで,チンパンジーが「対峙的屍肉食」をした事例を報告する。人類進化を考える上でかつて一世を風靡した「狩猟仮説」は,現在では「屍肉食仮説」に置き換わっている。初期人類が,屍肉食をしていただろうという点では概ね合意が得られているが,それが「消極的」だったのか「対峙的」だったのかについては,論争が続いている。前者は肉食獣が完全に放棄した後に骨髄などを利用していたとするもの,後者は肉食獣を追い払って獲物を奪っていたとするものである。こうした議論の中で現生類人猿が参照されることは少ない。それは,類人猿による屍肉食がそもそも稀であり,とくに肉食獣と対峙して獲物を奪った報告例がなかったからである。本事例では,ヒョウの姿が目撃され,その後チンパンジーによる警戒声が繰返し聞かれた。声の付近へ多くの個体が駆けつけると,一頭の雌が藪の下からブルーダイカーの成体雄を引きずり出した。ダイカーの頸部にはヒョウによると思われるごく新しい傷があったが,まだ食われてはいなかった。その後,チンパンジーたちはすぐ横の樹上でダイカーを食べ始め,肉食は計5時間以上続いた。のべ7頭がダイカー本体を保持した。その間,再びヒョウが近くで目撃され,チンパンジーによる警戒声が複数回聞かれた。ヒョウは獲物を置いて一旦その場から避難したものの,再び戻ってきたものと思われる。チンパンジーが完全に放棄してからダイカーの死体を回収したが,腹部・右後肢・左前肢以外はほとんど完全に残っていた。頭胴長が570 mm,残った部分の重量が2.20 kgであったことから,1~2 kgの肉が食べられたと推測される。マハレではこれまでにも,ヒョウから獲物を奪った可能性が指摘されてきたが,実際にヒョウの姿も確認された屍肉食の観察は今回が初めてである。こうした事例は稀であるが,チンパンジー大のホミニンが,自らを捕食する危険性もある大型肉食獣から獲物を奪うことが可能であったことを示唆する。