抄録
厳冬期の最低気温が-25℃にも達する上高地に生息するニホンザルは、非ヒト霊長類で世界最寒地に生息する集団の一つと言える。本集団では厳冬期に水生昆虫の採食が観察されており、越冬戦略としての昆虫食の重要性が議論されている。しかし、採食する昆虫種の同定は行動観察のみでは困難である。また、先行研究で行われたmtDNA COI領域に基づく糞分析による昆虫種同定では、非検出種が多く存在するなど課題があった。そこで本研究では、ニホンザルの採食行動を高解像度のビデオカメラで撮影し、採食する昆虫種の同定を行った。さらに、mtDNA 16S rRNA領域を対象とし、昆虫類に汎用かつ種識別能力が高いマーカーとして開発されたMtInsects-16Sプライマーを用い、糞中DNAのメタバーコーディングを実施した。2023・2024年の冬期2シーズンに上高地で採取したニホンザルの糞サンプルからDNAを抽出し、上高地で採取した水生昆虫のDNA解析および上高地の河川水サンプルについての環境DNA解析で得られた配列を含む独自のデータベースを用いて照合した。これらの結果、先行研究で採食が確認されていた種を含む約20種の昆虫の採食が確認された。ニホンザルが採食する昆虫相のうち、水生昆虫では緩流に生息する種(例:ヒメフタオカゲロウ)が多かったが、比較的流れの速い水域に生息する種(例:オオマダラカゲロウ)も含まれており、上高地のニホンザルが河川の多様な環境で採食することが示唆された。また、カスミカメムシ科など樹皮下で越冬する陸生昆虫種もDNA解析によって検出された。検出された陸生昆虫は4種と比較的多く、また越冬時に1cm以上の大きさの種も含まれるため、本研究結果はニホンザルが昆虫食を目的として樹皮剥ぎ(あるいは樹皮食)を行う可能性を示唆する。以上のデータから、上高地のニホンザルにおける昆虫食の意義について考察する。