抄録
ニホンザルは雑食性動物で、主に果実や種子、花、葉、昆虫などを採食する。季節によって異なる多様な食物を利用するが、通常、糖質や脂質を多く含む果肉や種子部分を好む。しかし、寒冷地域である長野県上高地のニホンザルが冬季に利用する食物の70%は九枚笹(Sasa senanensis)や樹皮である。一方、同様に寒冷地域である長野県地獄谷野猿公苑の餌付け集団は、冬季に公苑から与えられる穀物を利用することができる。植物は、植食者から防御するため、有毒な二次代謝産物を生産している。特に竹や笹には高濃度の青酸配糖体(cyanogenic glycosides)が含まれている。青酸配糖体は、酸性環境や酵素の作用によって植物の細胞組織が破壊された後、有毒な青酸(cyanide)を放出する。青酸はヘモグロビンと結合して好気呼吸を阻害するため、通常、青酸配糖体を含む植物は哺乳類の栄養源として適さない。特殊な食性を持つ多くの野生動物は、腸内の共生微生物による新たな代謝能力に依存している。本研究では、上高地のニホンザルも、腸内共生微生物が、青酸に晒される笹食適応しているのではないかと仮説を立てた。まず、上高地の無雪期(2023年10月)と積雪期(2024年2月)に各10本の九枚笹を採取した。九枚笹における青酸配糖体の分布特性を明らかにするために、根、茎、葉縁、葉脈、側芽の5つの部位に分けて、網羅的代謝物分析(メタボローム分析)をおこなった。同時に、上高地のニホンザル個体群から10個の糞便サンプルと、地獄谷個体群から15個の糞便サンプルを収集し、Illumina NovaSeq X Plusプラットフォームでショットガンシーケンスを行い、すべての腸内細菌のDNAの塩基配列を網羅的に含むメタゲノム配列を決定した。HUMAnN3.0ソフトウェアを用いて種組成と機能遺伝子を網羅的に決定し、両地域間のニホンザル集団の腸内細菌の遺伝的な機能の差異について報告する。