抄録
被食者が高い捕食リスクを認知する場所や景観は「恐れの景観」と呼ばれている。これまでも,被食者が認知する「恐れ」を評価するための行動学的手法が数多く提案されてきた。こうした対捕食者行動は外的要因と関連した利益とコストに応じて変化することが知られている。これまでの霊長類を対象とした研究では,特に警戒声が着目される機会が多かったものの,警戒声の頻度や様式に関わる外的要因を調べた事例は乏しい。本研究では、ニホンザルの警戒声の特性を評価するために,「警戒声は発することで得られる利益が乏しい状況や発声することのコストが高い状況では,発せられない」という仮説を検証した。調査は,2024年6月から2025年3月にかけて福島県南会津町に生息する加害群10群を対象に実施した。各群れの規模は約11~58頭であった。群れの観察中に追い払いにも利用されている火薬音を発し,群れ単位で警戒声の頻度を記録した。調査の結果,警戒声は群れが林外にいるときよりも林内にいるときにより頻繁に発せられた。また,群れの個体数が多いほど警戒声の発生頻度は高かった。警戒声の発生頻度に関して群れ単位での反復率を計算した結果,反復率は有意に0と異なり,発声頻度には明確な群れ差(集団個性: collective personality)があると考えられた。視認性の高い林外や集団規模が小さい群れでは,音声コミュニケーションに依存する利益が低いとともに,捕食の対象になりやすいなど発信者の逃避コストが高くなるため,警戒声の頻度が低下した可能性がある(仮説を支持)。以上のことから,警戒声は人などの捕食者と対峙した際に常に発せられるわけではなく,群れの特性や景観的要素を反映して表出の様式は異なる可能性が示唆された。このことから,警戒声の頻度が高い場所で必ずしも群れが強い「恐れ」を認知しているとは言えず,警戒声を恐れの指標として使用するうえでは注意が必要だと考えられた。